フォントの違いひとつで、同じ文章の印象はこれほど変わる
駅の看板、契約書の条文、教科書の本文は、どれも同じ「文字」でできていますが、よく見ると形がまったく違います。線の太さが均一なものもあれば、縦と横で太さが変わるものもあります。見出しはゴシック体、本文は明朝体。この組み方に何の疑問も持たずに読んできた人は多いはずです。形が違えば、意味も違います。それぞれの場所に文字を置いた人たちの意図が、形の中に詰まっています。契約書、高速道路、教科書、お札、パソコンの画面まで、普段は素通りしているフォントの違いを順番にたどってみます。
契約書や新聞が明朝体を手放さない理由

明朝体は縦線が太く、横線が細い書体で、文字の端に「とめ」「はね」「はらい」という筆の動きがそのまま残っているため、一画一画の輪郭がはっきりしています。起源は中国の宋代、10世紀ごろの木版印刷にあるとされ、明代の16世紀ごろに今の字形へと定着しました。日本には江戸時代、中国の書物を覆刻(ふっこく)する木版印刷を通じて字形の骨格が伝わり、明治時代になって金属活字とともに本格的に広まりました。
長い文章を読むとき、明朝体は目が疲れにくいという特性があります。縦横の太さに差があることで文字に陰影が生まれ、一文字ずつの輪郭を拾いやすくなるからです。新聞や文庫本に明朝体が使われ続けているのも、同じ理由です。
新聞各社の明朝体は、実は一枚岩ではありません。朝日新聞は「朝日書体」という専用書体を使い、そのルーツは昭和16年に登場した扁平(へんぺい)用活字にまでさかのぼります。毎日新聞の「毎日新聞明朝」は文字が大ぶりで鮮明という違いがあり、読売や日経もそれぞれ独自の明朝体を持っています。限られた紙面にできるだけ多くの情報を収めるため、新聞の文字は本来の字形から縦を8割程度に押しつぶす「平体」がかけられていることも多く、同じ明朝体でも新聞の文字は書籍とは少し違う顔をしています。
契約書のフォントに法律上の指定はありません。それでも多くの契約書で明朝体が選ばれているのには理由があります。Windowsが長く標準搭載してきた日本語フォントの歴史です。リョービイマジクスが写真植字向けに制作した明朝体の字母「本明朝-L」をもとに、リコーが1992年に発表したのが「MS明朝」です。1993年に発売された日本語版Windows 3.1以降、このフォントは標準搭載され続け、オフィス文書の多くが明朝体で作られる土台になりました。印刷して配ることが当たり前だった時代、紙に強い明朝体が選ばれたのは自然な流れでした。
ゴシック体が見出しや標識に選ばれる理由
ゴシック体は縦線も横線も太さがほぼ均一です。「とめ」「はね」「はらい」の表現も控えめです。筆の動きを削ぎ落とした分、文字は図形として認識しやすくなります。見出しやポスター、案内表示にゴシック体が多用されるのは、一瞬で情報を拾わせたいという目的と、この図形的な読みやすさが合致しているからです。駅の案内板や非常口のピクトグラムのそばに添えられた文字がたいていゴシック体なのも、同じ理由からです。図形と文字が同じ速さで読めたほうが、とっさの判断には向いています。
この「瞬時に読める」という性質が最も厳しく試されたのが、高速道路の標識でした。
高速道路の標識だけに存在した専用フォントの顛末

1963年7月、日本初の高速道路である名神高速道路が開通しました。当時、市販の日本語フォントはまだ流通していません。日本道路公団は標識の文字を自前で設計するしかなく、職員が一文字ずつ手作業で字形を作っていきました。これが「公団ゴシック」です。
目的はひとつ、時速100キロで走る車の中から、標識の100〜150メートル手前で文字を読み取れることでした。正しい字形より視認性が優先され、画数の多い漢字は思い切って省略されました。「豊」は「豆」の部分が省かれ、「都」は「ノ」が消え、「鷹」もかなり簡略化された形になっています。同じ「京」の字でも、東京都内の看板と京都府内の看板とで口の横幅が異なっていたというから、個々の標識でその都度最適な形が探られていたことがわかります。
このやり方は長く続きました。だがデジタルフォントが普及すると弱点が表に出ます。標識ごと、メーカーごとに手作業で字形を作るため、同じ漢字でも微妙な違いが生まれ、せっかくの視認性の高さがむしろ揺らぎ始めたのです。転機は2010年です。高速道路の標識の和文フォントは「ヒラギノ角ゴシックW5」に切り替わりました。このフォントは1995年に大日本スクリーン製造(当時)が発表したもので、字游工房の鈴木勉、鳥海修、片田啓一の3人が「若々しい」「さわやか」「クリア」という印象を目指してデザインしました。手作りの視認性が、設計されたデジタルの視認性に置き換わった瞬間です。
運転席から眺める標識の文字が、実は一文字単位で人間の手によって調整されていたと知ると、見慣れた景色の印象が少し変わってきます。公団ゴシックは完全には消えていません。直線的な字画でありながら「はね」が省略された独特の形が、むしろ旅先の非日常感やワクワク感を思い出させるとして、懐かしさを好む世代に再評価されています。この書体の雰囲気を再現した「GD-高速道路ゴシックJA-OTF」というフォントも作られ、ノスタルジックなデザインのグッズに使われています。誤字に近い省略の跡が、今では味わいとして扱われているわけです。
教科書の文字が「正しい字」から「読みやすい字」に変わった背景

教科書の書体にも、同じ転換が起きています。従来の教科書体は毛筆の運筆が基準でした。これに対し、近年広がっているUDデジタル教科書体は硬筆、つまり鉛筆で書く動きを意識して設計されています。「はね」「とめ」「はらい」をはっきり再現し、字を習う子どもがそのまま書き方の手本にできる形を目指したフォントです。
同じパーツはどこに出てきても同じ形です。たとえば「口」という部分は、漢字のどの位置でも右下に必ず横線が入ります。弱視の子どもや、ディスレクシア(読み書きの困難)がある子どもへの配慮もあります。文部科学省の学習指導要領に沿って作られた字形です。遠くからでも見やすく、タブレットや電子黒板に映してもかすれません。2020年度の教科書では、東京書籍、大日本図書、学校図書、教育出版、啓林館の一部の教科書に採用され、帝国書院のデジタル教科書にも使われています。読みやすさを突き詰めた結果、教科書の文字は「正しく書ける字」から「誰でも読み取れる字」へと重心を移しました。公団ゴシックが視認性のために字形を崩したのと同じ発想が、教室という別の現場でも静かに進んでいたことになります。
お札だけに存在する専用書体「大蔵隷書」の正体

お札の文字も、見慣れた明朝体やゴシック体とは別物です。日本銀行券の文字には、国立印刷局が独自に持つ「大蔵隷書」という書体が使われています。漢字の古い書体の一種である隷書をもとにデザインされ、読みやすさと穏やかな風格を両立させた字形です。昭和末期に写植用の書体として整えられ、現在はOpenTypeフォントに変換されて使われています。
お札の文字は、見た目だけで終わりません。額面の数字や「日本銀行券」という文字の部分には、インキを高く盛り上げる「深凹版印刷」という技法が使われ、指でなぞるとざらりとした感触があります。さらに、肉眼ではほとんど読めない大きさで「NIPPONGINKO」という文字が印刷された箇所もあります。見た目の書体だけでなく、触って確かめる文字まで用意されているわけで、偽造を防ぐための工夫がフォントの中に織り込まれています。
パソコンやスマホの画面の中で競い合ってきた日本語フォントたち

画面の中の日本語フォントにも、それぞれ生まれた事情があります。先に触れたMS明朝と対になるMSゴシックも、同じく1990年代初頭にリコーが写真植字用の字母をもとに手がけ、Windowsの日本語版に長く標準搭載されてきたフォントです。表計算の数字や短い見出しが多いExcelの画面で、長らくMSゴシックが初期設定だったのも、図形的に認識しやすいという性質と無関係ではありません。事情はどれも違います。
2002年に游明朝体、2008年に游ゴシック体が発売されました。2013年にはWindowsとMacの両方に標準搭載されます。両OSで共通の日本語フォントが使えるようになった最初の例です。字形はやや狭め、仮名は伝統的なスタイルを残して小さめです。文字を組んだときに余白が生まれ、ゆったりと明るい印象になります。
ヒラギノ角ゴシックはiPhoneなどアップル製品に採用されたことで広く知られるようになりました。文字の余白を均一に見せる設計で、都会的な印象を作ります。ひらがなは仮想ボディの中で大きめに設計されています。もう一つ、Windowsのシステムフォントとして登場したメイリオもあります。名称は「明瞭」に由来するとされます。視認性を重視し、日本語と英数字を混ぜて組んでも違和感が出ないよう設計されました。角ゴシックよりわずかに丸みを帯びているのも特徴です。
スマートフォンの文字にも、よく知られた由来があります。表示できない文字があると画面に出る四角い記号は「豆腐」と呼ばれますが、この豆腐を世界中の言語からなくすことを目標に、Googleとアドビが共同で開発したのがNoto Sans JPです。名前の「Noto」は「No Tofu」から来ているとされ、2014年7月に発表されました。デザインはアドビのタイプデザイナー、西塚涼子氏が手がけています。同じフォントはアドビ側では「源ノ角ゴシック」という名前でも提供されており、Android 6.0以降は標準フォントとして搭載されています。普段眺めている画面の文字は、こうした競争と協業の積み重ねの上に表示されています。
アルファベットのセリフとサンセリフが分かれた理由

日本語の明朝体とゴシック体に近い対比が、欧文フォントのセリフ体とサンセリフ体にもあります。セリフ体は文字の端に小さな飾り(セリフ)を持つ書体で、15世紀ごろ、古代ローマの石碑や建造物に刻まれた文字をもとに生まれ、縦横の線に強弱があることから、伝統的で格調高い印象を与えます。起源は石です。
一方のサンセリフ体は、縦横の線の太さがほぼ均等です。セリフの飾りを持ちません。活字として初めて作られたのは19世紀前半でした。モダンで親しみやすい印象を持つため、企業のロゴやウェブサイトの見出しに広く使われています。
この二つの性格の違いがよくわかる例が、Times New RomanとHelveticaです。Times New Romanは1932年10月3日、英国の新聞タイムズ紙の文字として誕生しました。スタンリー・モリスンが監修し、ビクター・ラーデントが描いたこの書体は、新聞という限られた紙面でも読みやすく、省スペースであることを重視して設計されたセリフ体です。一方のHelveticaは1957年、スイス・バーゼル近郊のミュンヘンシュタインにあったハース社で、マックス・ミーディンガーとエドゥアルト・ホフマンが作り上げました。発表時の名称は「ノイエ・ハース・グロテスク」で、1960年に国際展開にあわせ、スイスのラテン語名「Helvetia」にちなむ「Helvetica」へと改称されています。装飾を削ぎ落としたモダニズムの精神をそのまま体現したサンセリフ体です。高級ブランドのロゴに歴史を感じさせるセリフ体が多く、テック企業のロゴにサンセリフ体が多いのも、この成り立ちの違いを踏まえた選択だといえます。明朝体とゴシック体が担っている役割分担と、セリフ体とサンセリフ体が担っている役割分担は、文字の成り立ちこそ違っても、驚くほど似通っています。
フォントの違いが人の信頼や好みまで動かしている

ここまでの違いは、見た目の印象だけの話ではありません。フォントは読む人の感じ方そのものに作用します。2012年、映像作家のエロール・モリスはニューヨーク・タイムズ紙と組んで、ある実験を行いました。物理学者デイヴィッド・ドイッチュによる文章を、Baskerville、Computer Modern、Georgia、Helvetica、Comic Sans、Trebuchetという6種類のフォントのいずれかで読者に見せ、その内容にどれだけ同意するかを約4万5千人に答えてもらったのです。結果、同じ文章でもBaskervilleで表示されたときは、Helveticaのときより1000人あたり約5人多く同意する人が増えました。文章の中身は一字も変えていません。フォントを変えただけで、信じやすさが動いたのです。この現象は後に「バスカビル効果」と呼ばれるようになりました。
この効果を一番利用しているのが企業のロゴです。汎用の書体をそのまま使うブランドは少なく、多くの企業ロゴは既存フォントを土台にしながら、文字の角度や太さを独自に調整しています。汎用書体のままでは「その会社ならでは」の個性や信頼感が出しにくいからです。ゴシック体をベースにしたロゴが力強さや誠実さを感じさせるのも、線の太さが均一で図形的に安定しているという、これまで見てきたゴシック体の性質そのものに理由があります。文字の形を変えるだけで、同じ社名でも受け取られ方が変わってしまうのです。
フォントの違いに気づくと見えてくるもの

契約書の明朝体、標識のゴシック体、教科書のUDフォント、お札の大蔵隷書、画面の中の游ゴシックやメイリオ。それぞれのフォントは、誰かが「誰に、どんな状況で、何を伝えたいか」を考え抜いた末の答えです。目的は同じです。高速道路の職員が漢字を手作業で省略したのも、UDデジタル教科書体が「口」の形を統一したのも、国立印刷局がお札の文字にざらつきを持たせたのも、読む人や触る人の負担を減らし、伝わり方を調整するためでした。
フォントを選ぶという作業は、文字を決めているように見えて、実際には読む人との距離を決めている作業です。バスカビル効果が示したように、同じ言葉でも書体が変われば信じやすさまで変わります。次に街で標識や教科書、画面の文字に目をとめたとき、その形がなぜそうなっているのかを考えてみてください。文字そのものより多くの情報が、そこには見えてきます。
参考
- 高速道路の「独特の書体」もうすぐ消滅? “過剰に省略した文字”はなぜ生まれ、消えていくのか
- 高速道路には専用フォントがある!?「公団文字」は見やすければ誤字もOKって本当?
- 高速道路標識の文字が ヒラギノ角ゴシック W5 に!
- 学校で使うフォントは読みやすい“だけではいけない理由” モリサワに聞く「フォントのユニバーサルデザイン」(2)
- UDデジタル教科書体
- フォントを変えるだけで学びが変わる。教育現場から広がる見やすさへの配慮
- 明朝体とゴシック体の違いとは?特徴と使い分けを解説
- セリフ体とサンセリフ体の違いとは?欧文フォントの基本と種類
- MS ゴシック、MS 明朝相当のフォントについて知る
- お札の偽造防止技術
- Noto Sans JP — 「豆腐」をなくすために生まれた、ふたつの名前を持つ書体
- Are Some Fonts More Believable Than Others?
- The Times New Roman Typeface Debuts
- 朝日書体
- 明朝体
- 明朝体とゴシック体の言葉の語源は?
- ヒラギノフォントのあゆみ
- Revisiting Helvetica, the Typeface So Ubiquitous It "Feels Like Air"
- 「游ゴシック体」開発の字游工房、モリサワによる吸収合併を発表
- エロールモリスとは?
- 紙幣と官報──2つの書体とその世界:artscapeレビュー





