蟷螂はなぜ「昆虫界の王者」と呼ばれるのか

「蟷螂」と書いて「カマキリ」と読む、その名前が背負っているもの

蟷螂と書いて、カマキリと読みます。読みにくい字です。小学校で習う常用漢字には入っていません。初めて見た人の多くは、読み方に迷うはずです。実はこの読みにくさ自体が、カマキリという昆虫の立ち位置をよく表しています。普段は庭先や草むらで静かに構えているだけの、地味な虫です。それなのに、名前にも振る舞いにも、どこか大物めいた風格がついて回る。

カマキリは分類上「カマキリ目」というグループに属し、世界には16の科に分かれて約2400種が記載されています。熱帯や亜熱帯ほど種類が豊富で、日本には外来種を含めて13種が分布しています。普段目にするオオカマキリやハラビロカマキリは、このうちのごく一部にすぎません。

英語の praying mantis という呼び名も、由来をたどると似た方向を指しています。mantis はギリシャ語で「預言者」「占い師」を意味する言葉から来ており、前脚を折りたたんで祈るような姿勢を取ることから、この名前が付けられました。日本でもカマキリには「拝み虫」という古い呼び方があり、同じ姿を見て東西で同じ発想に至ったことになります。もう一つ、「いぼむしり」という古名も伝わっています。これはカマキリでイボをなでると治るという俗説からついた名前で、現代の医学的な効能とは別の話ですが、人々がこの虫に単なる害虫でも益虫でもない、何か特別な力を見ていたことがうかがえます。

二千年以上前の中国から伝わる「蟷螂の斧」ということわざ

カマキリの名前を聞いて真っ先に思い出す人が多いのが、「蟷螂の斧」ということわざでしょう。自分の力量を顧みず、はるかに強い相手に立ち向かうことを指す言葉で、蟷螂はカマキリ、斧はその鎌状の前脚を意味します。

由来は中国の古典に記された逸話にあります。斉の国の君主が乗る大きな馬車が進む先に、一匹のカマキリが前脚を振り上げて立ちはだかった。普通ならそのまま轢かれて終わる場面ですが、君主はこの小さな虫の構えを見て「これが人間であれば、必ず天下に名を残す勇者になっただろう」と感じ入り、車を迂回させて助けたと伝えられています。

この故事が面白いのは、本来「無謀な挑戦」を戒める意味で使われてきたはずの言葉が、同時にカマキリの勇ましさを称える響きも持ってしまっている点です。弱者が強者に挑む構図そのものが、古代中国の時点ですでに人の心を動かしていました。小さな虫が見せた一瞬の構えが、二千年以上後の今でも慣用句として生き続けているのですから、これだけでも十分に王者めいた話です。

現代の日本語でも「蟷螂の斧」は、大企業に挑む中小企業や、優勝候補に挑む弱小校といった場面でよく引用されます。使われ方の多くは「勝ち目は薄いが、それでも挑む」という文脈であり、皮肉だけでなく敬意のニュアンスを込めて使われることも少なくありません。一匹の虫が振り上げた前脚が、こうして今も人の挑戦を語るときの比喩として生き続けているわけです。

カマキリの構えをそのまま取り入れた中国武術「蟷螂拳」

カマキリの動きそのものが、そのまま武術の体系に組み込まれた例もあります。中国武術の一門派である蟷螂拳は、清の初期に山東省出身の王朗という人物が創始したと伝えられています。きっかけは、一匹のカマキリがセミを捕らえる瞬間でした。王朗はその鋭い動きに着想を得て、新しい拳法を編み出したと伝えられています。

蟷螂拳には、カマキリの前脚の動きを模した「蟷螂手」と呼ばれる手技があり、これにサルの歩き方を取り入れた歩法を組み合わせて体系化されています。発祥地の山東省を中心に伝わる北派と、広東省や福建省など中国南方に伝わる南派に大きく分かれ、現在も複数の流派として継承されています。北派の中でも、動作が「北斗七星」に例えられる七星螳螂拳、一つの型から次々と変化を生み出す梅花螳螂拳、柔らかい力の使い方を重んじる六合螳螂拳の三派が代表的とされ、同じカマキリの動きから出発しながらも、硬い力で攻める流派と柔らかい力でいなす流派に分かれていったという経緯も伝わっています。人間がその動きを何百年も研究し、再現しようとしてきたという事実そのものが、カマキリの狩りの技術がどれだけ理にかなっていたかを物語っています。

一瞬で仕留める前脚と、昆虫には珍しい立体視

文化の中での評価はここまでにして、カマキリの身体そのものに目を向けると、王者と呼ばれるにふさわしい根拠がいくつも見つかります。まずカマキリの前脚、いわゆる鎌は、獲物を捉えるまでの時間がわずか100分の1秒ほどとされています。人間が瞬きする間にも満たない速さで獲物を押さえ込むため、セミやトンボのような飛翔能力に優れた昆虫でも、射程に入った時点でほぼ逃げる余地がありません。目で追える速さではないのです。

この精度を支えているのが、カマキリの目です。立体視ができる昆虫は珍しく、カマキリはその数少ない一種です。2018年には英ニューカッスル大学の研究チームが、カマキリの複眼にミツロウで固定した極小の3Dメガネを装着させるという実験を行いました。人間用の赤青メガネでは赤色がカマキリにほとんど見えないため、片方を青、もう片方を緑のレンズにした特注品を使ったといいます。この実験でカマキリに立体映像を見せたところ、獲物が迫ってくる映像に対して鎌を伸ばす反応を見せ、奥行きを認識していることが確認されました。さらに興味深いのは、左右の目に異なる映像を見せても反応したことで、これは人間が両眼の視差で奥行きを測る仕組みとは異なる、カマキリ独自の立体視のメカニズムだと報告されています。小さな脳でこれだけ省エネに奥行きを測る仕組みは、ドローンやロボットの視覚センサーへの応用も期待されているそうです。人間の脳が約1000億個のニューロンで構成されているのに対し、カマキリの脳のニューロンは100万個ほどとされ、重さもマイクログラム単位に収まるごく小さなものです。それでも精密な狩りができてしまう。生物の進化がどれだけ効率を重視してきたかを示す好例です。

首を180度近く回し、コウモリの超音波まで聞き取る身体

カマキリのもう一つの特徴が、首の可動域です。昆虫の多くは頭部を大きく動かせませんが、カマキリは逆三角形の頭を体の正面に向けたまま、後方近くまで回せます。この柔軟さに、複眼と単眼を組み合わせた広い視野が加わり、周囲を見渡しながら獲物を探せるわけです。

聴覚にも驚くべき特徴があります。カマキリは胸部の中央、後ろ足の付け根付近に耳のような器官を一つだけ持っており、左右対称ではないという珍しい構造をしています。この耳は2万ヘルツを超える高い音を捉えられ、夜間に飛び回るコウモリが発する超音波を察知すると、飛行中に急にルートを変えて回避行動を取ることが分かっています。地上の待ち伏せと、空中でのコウモリ回避。この両方を一つの小さな体でこなしているところに、生存戦略の緻密さが表れています。

体格を超えて鳥まで仕留める、意外な捕食範囲

カマキリの捕食対象は、虫だけにとどまりません。ある学術誌に掲載された調査では、南極大陸を除く世界の13か国で、カマキリが鳥を襲った事例が147件確認されたと報告されています。中でも狙われやすいのがハチドリです。アメリカ北東部に生息するオオカマキリの仲間による捕食例が25件報告されており、もっとも被害が多かったのはノドアカハチドリという種だったそうです。木の枝で待ち構えたカマキリが、蜜を吸いに来たハチドリを前脚で抱え込んで捕食する映像がインターネットで話題になったこともあります。自分より大きく、しかも飛行能力に優れた鳥を仕留めてしまうという実例は、昆虫の中でも異例の存在であることを裏付けています。研究者たちがこうした事例を集め始めたのは比較的最近のことで、各国の観察者から寄せられた報告を積み重ねて初めて、カマキリによる鳥の捕食がまれな事故ではなく一定の頻度で起きている現象だと分かってきました。庭先のバードフィーダーという、人間が善意で設置した餌場が、思いがけずカマキリの狩り場になっているという構図も、この話の奇妙な面白さの一つです。

体長20センチを超える種もいる、世界のカマキリの大きさ比べ

日本で見かけるカマキリの代表種はオオカマキリで、オスは最大90mm前後、メスでも100mm近くに収まります。これだけでも十分に大きい昆虫ですが、世界に目を向けるとさらに規格外のサイズに出会います。インドネシアのジャワ島に生息するToxodera denticulataは、体長が20cmに達します。報告されているカマキリの中でも最大級です。枯れた小枝そのものに見える姿で知られるオオカレエダカマキリ(学名Paratoxodera cornicollis)も体長200mmに届き、東南アジアの森で枝への擬態に特化した体形を発達させてきました。日本のオオカマキリと比べて実に2倍近い大きさです。アフリカ産のニセハナマオウカマキリ(Idolomantis diabolica)も体長13cm前後に達する大型種として知られ、派手な花に擬態する姿は観賞用としても人気があります。同じ「カマキリ」という括りの中に、これだけの体格差が存在しているわけです。王者と呼ぶにふさわしい体格を、カマキリという昆虫のグループ自体がすでに内包していることになります。

交尾の際にメスがオスを食べる、という話の本当のところ

共食いはカマキリの生涯のかなり早い段階から始まっています。一つの卵嚢には100〜300個ほどの卵が詰まっており、春になると同時に孵化します。生まれたばかりの幼虫は体長わずか4mmほどですが、この時点での生存率はすでに約80%まで落ち込み、最初の一週間でさらに40%前後まで下がるとされています。単独で孵化すればすぐに周囲の兄弟に捕食されてしまうため、一斉に孵化することで共食いの被害を分散させているとも考えられており、数百個の卵のうち無事に成虫まで育つのはわずか数匹にとどまるといわれています。狩りの名手として名高いカマキリ。その最初の狩りの標的は、実は自分の兄弟姉妹だったりするわけです。

こうした共食いの文化は、交尾の場面でも顔を出します。カマキリにまつわる話の中でもよく知られているのが、交尾中にメスがオスを食べてしまうという生態です。研究によれば、交尾後にオスを食べたメスは、食べなかったメスよりも多くの卵を産む傾向が確認されています。栄養の受け渡しという面でも、食べられたオスの体からはアミノ酸の大部分がメスに渡るのに対し、食べられなかった場合は射精によって渡るアミノ酸はごく一部にとどまるという報告もあります。つまりオスの体そのものが、次世代を育てるための栄養源として使われているわけです。

ただし、これは必ず起きる現象というわけではありません。栄養状態の良いメスは通常オスを食べないのに対し、栄養不足の状態にあるメスでは高い割合でオスを食べるという研究結果が出ており、野外での観察では実験室内の観察に比べて共食いの発生率が低いという報告もあります。つまり「カマキリのメスは必ずオスを食べる」というイメージは、実際の生態の一部を切り取って広まったものに近いというのが現状の理解です。

狭い飼育ケースの中でエサが限られた状態で観察すれば、メスがオスを食べる場面に出くわす確率は上がります。野外のように周囲にほかの餌が十分にある環境では、その必然性はいくらか下がるというのが研究者たちの見方です。「交尾中のオスは必ず食べられる」という強いイメージと、実際の発生率に差があること自体が、この虫についての俗説がどれだけ独り歩きしやすいかを示しているとも言えます。

アフリカの創造神から日本の季語まで、カマキリに託されてきたもの

生物としての特異な能力は、各地の信仰や文化の中にも形を変えて残っています。南部アフリカのカラハリ砂漠に暮らすサン人の間では、カッゲン(カグン)という創造神が信じられており、この神はしばしばカマキリの姿に変身すると語られています。祈るような姿勢を取るカマキリが、創造神の化身として神聖な存在に位置づけられてきたわけです。先に触れたギリシャ語の「預言者」という語源とあわせて見ると、祈りの姿勢を取るこの虫を神聖なものと見る感覚が、地理的に離れた複数の文化で独立して育っていたことになります。

日本では、カマキリは俳句の世界で秋の季語として定着しています。真夏に生まれた幼虫が秋にかけて成長し、晩秋に産卵するという生活史が、季節の移ろいを感じさせる題材として古くから詠まれてきました。「蟷螂」のほかに「鎌切」「斧虫」「いぼむしり」など複数の異名を持つ点も、この虫が日本人の暮らしの中で長く観察され、親しまれてきたことの証です。

中国の伝統医学では、カマキリの卵嚢そのものが生薬として扱われてきました。「桑螵蛸(そうひょうしょう)」と呼ばれるこの生薬は、頻尿や夜尿といった症状に対して古くから用いられてきたと伝わっています。狩りの名手としての一面だけでなく、卵を包む殻までが人の暮らしに取り込まれてきたという点に、この虫がただの昆虫以上の存在として扱われてきた歴史の厚みを感じます。

こうして文化と生態の両面を並べてみると、カマキリが「王者」と呼ばれる理由は一つに絞れないことが分かります。古代中国の故事とそこから生まれた武術、ギリシャ語の語源とアフリカの神話、そして実際の身体に備わった立体視や超音波感知、鳥まで捕らえる狩りの実力。これらはそれぞれ独立して生まれたものですが、どれも同じ一つの事実を指し示しています。体長十センチにも満たない虫が、見かけ以上の存在感を放ってきたという事実です。

中国の思想家が馬車の前に立つカマキリに勇者の姿を見たのも、アフリカの人々が祈る姿勢のカマキリに創造神を重ねたのも、実際にその身体が持つ狩りの能力を知らなくても起きたことでした。知れば知るほど、名前にも物語にも偶然ではない説得力が宿っていたことが分かってくる。次に庭先でカマキリに出会ったら、その鎌の構えの向こうに、二千年を超えて語り継がれてきた物語があることを思い出してみるのも悪くないはずです。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
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偏愛のミカタ PinTo Times