好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

鉄道が好きになった理由を聞かれて、すらすら答えられる人は少ない。「気づいたら好きだった」としか言いようがない、という感覚に心当たりがある人は多いはずだ。乗りものニュース編集部が2020年3月に行った「鉄道ファン」実態調査(n=1095、SNSフォロワー対象)は、この感覚を裏づける。好きになったきっかけを尋ねると、64.4%が「いつの間にか、なっていた」と答えた。親や兄弟姉妹の影響を自覚しているのはわずか8.3%。友だちの影響5.7%、親族の仕事の影響5.0%を足しても、1割台にしかならない。残りの大多数は、きっかけらしいきっかけを挙げられないまま、鉄道が好きだと自認している。駅のホームや踏切、時刻表は、好きになる前からすでに生活の風景の一部として存在している対象だ。これは普通、好きの根拠が薄いことの表れとして語られる。だが、きっかけを思い出せないことは、本当に好きの薄さの証なのだろうか。

きっかけは覚えていないのに、始まった時期だけは早い

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

同じ調査で好きになった年代を尋ねると、56.8%が「未就学児のときから」と答え、小学生のときからを加えると8割を超える。中学生以降にきっかけが生まれたという回答者は1割台にとどまる。きっかけは思い出せないのに、始まった時期ははっきり幼い。この二つの数字を重ねると、好きという感情が、本人の意識が及ぶ範囲の外側から始まっている可能性が浮かぶ。選んだ記憶がないのは、選ぶという行為を自覚できる年齢に、まだ達していなかったからだと考えれば、むしろ自然なことである。自分で物を選び、好みを言葉にできるようになる前に、好きの土台はすでに出来上がっていたということだ。

繰り返し目にしただけで好きになるという仕組み

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

好きになった記憶そのものがなくても好意だけが育つという現象は、心理学ではすでに説明がついている。同じ対象に繰り返し接触するだけで、それだけで対象への好意度が上がるという効果で、1968年に心理学者のロバート・ザイアンスが実証し、単純接触効果と呼ばれている。208の実験を束ねたロバート・ボーンスタインの1989年のメタ分析でも、効果量r=.26という、心理学の知見としては十分に安定した数値が出た。たった一度の刺激では何も起きない。だが接触が10回、20回と重なるうちに、理由のない親しみが静かに積み上がっていく。

物心つく前の子どもは、自分で環境を選べない。親の持ち物や習慣、家にある図鑑、通学路で繰り返し目にする踏切や車両、そうした身の回りの対象に、選ぶ意志とは無関係に繰り返し触れ続ける。その反復が自覚のないまま好意を積み上げ、何年も経ってから「気づいたら好きだった」という感覚として本人の前に現れる。親や兄弟姉妹の影響を自覚しているのがわずか8.3%なのも、影響があった本人が、その影響を「影響」として記憶に残していないだけだと考えれば説明がつく。

ただし、繰り返しの量だけでは説明がつかない

もっとも、単純接触効果だけで鉄道ファンの偏りを説明しようとすると、途中でつまずく。もし反復接触の量だけが好意を決めるなら、物心つく前の子どもが日常的に繰り返し触れる対象は無数にあるはずで、好意はそのすべてに薄く広く行き渡ってよいことになる。実際には、同じように繰り返し接触したはずの対象のうち、ごく一部にだけ強い好意が集中して固まる。「小さい子どもは何にでも興味を持ちやすいだけ」という、よくある説明も同じ壁にぶつかる。興味の持ちやすさが均等に働くなら、なぜ特定の対象にだけ好きが偏って定着するのかを言い当てられない。反復接触という環境側の偶然性だけでは、好きの土台の半分しか説明できていない。

もとになったザイアンスの実験自体、多角形や無意味な綴り、表情写真のような、意味を持たない中立的な刺激で実証されたものである。乗りもののような複合的な対象や、乳幼児という発達段階に、そのままの形で当てはめてよいかどうかは、本来別途の検証が必要になる。

対象の見え方そのものに対する感受性の差

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

残り半分の手がかりになるのが、対象そのものの知覚的な特徴に対して、本人がどれだけ強く反応しやすい性質を持っているかという、個体差の存在である。テキサスA&M大学のジェリアン・アレクサンダーらが2009年に発表した研究では、社会的な性別規範をまだ学習していないはずの生後3〜8か月の乳児30人に、視線計測の装置を使ってトラックと人形を見せている。この月齢の子どもは、まだ「男の子はこう、女の子はこう」という周囲の価値観を内面化していない。それにもかかわらず、男児はトラックへの、女児は人形への視覚的な関心を、それぞれより強く示す傾向が確認された。

車輪のついた機械的な対象という、鉄道にも通じる性質に対して、すでに個体差のある感受性が働いているということになる。レールの上を規則正しく走る、車両が連結部で規則的に連なる、時刻表どおりに来て去る。こうした知覚的な特徴に強く反応しやすい性質を生まれつき強く持つ子どもにとって、鉄道はその性質にぴったり噛み合う対象の一つになる。反復接触という環境側の偶然性と、対象の知覚的特徴への感受性という本人側の性質、この両方がそろって初めて、ある対象だけに好きが集中して固まる理由になる。環境がどれだけ繰り返しその対象を差し出しても、本人の側にその特徴へ強く反応する性質がなければ、好意は積み上がらない。逆に、どれだけ強い感受性を持っていても、環境がその対象を差し出さなければ、出会いそのものが生まれない。好きが生まれるには、その両方が同じ時期に重なる必要がある。

鉄道ファンの男女比に表れる極端な偏り

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

この感受性の偏りは、鉄道という具体的な対象で見ると、かなり極端な形で表に出る。一橋大学鉄道研究会が2010年9月に行った調査(n=60、大学鉄道研究会コミュニティを中心とした便宜的なサンプル)では、回答者の男女比は男性95%、女性5%だった。サンプルは小さく、大学の鉄道サークルという狭いコミュニティに偏っているため、鉄道ファン全体にそのまま当てはめるのは難しい。それでも、乳児期の視線研究が示した感受性の方向性と、矛盾する結果ではない。

性質の異なる四つの数字が、同じ話として繋がる理由

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

ここまで使った四つの数字は、集めた方法も対象者もまったく違う。乗りものニュースの調査はSNSフォロワーを対象にした自己申告のアンケートで、単純接触効果は実験室の中立的な刺激を使った基礎研究、乳児の視線計測は社会的な性別規範をまだ学習していない月齢を対象にした発達心理学の実験、一橋大学鉄道研究会の調査は大学サークルという狭いコミュニティの便宜的なサンプルである。母集団も精度もばらばらな四つを並べて語れるのは、いずれも「本人が自覚的に選ぶより前に働く、環境との接触、または対象の知覚的特徴への感受性」という、同じ心理のメカニズムの異なる側面を映しているからだ。大規模な自己申告調査に表れたパターンがまずあり、そのパターンを支える理論的な裏付けがあり、そのメカニズムが物心つく前から機能している直接的な証拠があり、最後にそのメカニズムが特定の対象において極端な形で表出した結果がある。役割はそれぞれ異なるが、矛盾なく積み重なっている。

ただし、乗りもの一般への感受性の偏りが、なぜバスや飛行機ではなく鉄道という特定の対象に収斂するのかは、ここに挙げた四つのデータだけでは説明がつかない。好きの土台がいつ、どのように形成されるかという話と、数ある対象の中でなぜそれが選ばれるのかという話は、別の問いとして残されている。

選んだ記憶がないことこそ、証拠になる

好きになった理由を誰も思い出せない、それこそが好きの正体かもしれない

ここまでをつなぐと、好きの土台は、物心つく前の環境でどの対象に繰り返し触れたかという偶然性と、その対象の知覚的な特徴にどれだけ強く反応する性質を本人がもともと持っていたかという感受性の個体差、この二つの掛け算でほぼ決まっている、という像が見えてくる。「きっかけを聞かれても思い出せない」という経験は、普通なら好きの軽さや根拠の薄さを示すものとして語られやすい。だが、ここまでの数字を踏まえると、話は逆になる。きっかけを思い出せないことそのものが、その好きが本人の記憶が形成されるよりも前から存在していたことの、静かな証拠になる。本人が「いつの間にか」としか言えないのは、環境との接触と、対象への感受性、この二つがどちらも自覚的な記憶が形成される前に完了しているからだ。

熱量や才能として語られがちな好きの個人差の少なくとも一部は、本人の人生が始まってすぐの、覚えていない数年間でほぼ土台が決まっている。だとすれば、「なぜ自分はこれが好きなのか」という問いへの答えは、本人の意志の中をいくら探しても見つからないことになる。答えがないのではない。答えを探す場所を、少し間違えているだけだ。

PinTo Times ニュースレター登録

参考

PinTo Times

  • x

-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times