「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

友人に誘われてふらっと足を運んだ展覧会が、いつのまにか月に一度の予定になっている人がいる。かたや、書店で見かけて買った資格の参考書が、三日で本棚の奥にしまい込まれている人もいる。同じ「新しいことを始めた」はずなのに、片方は続き、片方は止まる。つい、情熱の量の差だと思ってしまいそうになる。

でも、たぶんそれは違う。そこにあるのは、性質のまったく異なる二つの壁だ。一つは、そもそも何かに触れる機会そのものが訪れるかどうかの壁。もう一つは、触れたものを自分の好きに育てるまで、そばで支えてくれる環境があるかどうかの壁。この二つは別々の仕組みで動いていて、片方を越えたからといって、もう片方の壁が消えるわけではない。

友人に誘われた日と、ひとりで開いたアプリ

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

「好きになれない自分」「続けられない自分」という言い方をすると、まるで一つの人格的な弱さの話に聞こえる。情熱が足りない、飽きっぽい、意志が弱い。そう自分を責めたことがある人は、きっと少なくない。

でも実際に統計を見ていくと、そこには時期の異なる二つのつまずきが、別々の姿で転がっている。一つは、何かを好きになる前の段階でのつまずき。もう一つは、好きになりかけたものを手放してしまう段階でのつまずきだ。順番に見ていきたい。

「趣味難民」の正体、意志ではなく偶然

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

トライバルメディアハウスが運営する趣味発見サービス「Funmee!!」が2017年に全国の20代から50代の男女約400人に行った調査によると、新しい趣味を「始めたい」と思っている人のうち約67%が、1年以上その状態のまま何も始められていない。この状態を同社は「趣味難民」、つまり何を趣味にすればいいかわからないまま探し続けている状態と名づけている。

面白いのは、実際に趣味が見つかった人がどうやってそのきっかけをつかんだか、という内訳だ。最も多かったのは「友人」で45%。次いでTVが25%、家族や雑誌・書籍がそれぞれ18.3%、SNSが15%だった。20代女性に限ると、SNS経由が45.5%まで跳ね上がり、その大半がInstagramだったという。

この内訳を見ていると、趣味が始まったきっかけの大半は、自分から探しに行った結果というより、誰かに誘われた、たまたま流れてきた投稿を見た、という偶発的な出会いだったことに気づく。67%の人が動けずにいるのも、意志が弱いからというより、そういう偶発的な接触の機会自体が、まだ訪れていないだけなのかもしれない。探し方が下手なのではなく、探す前の出会いの数が、単純に足りていない。

「三日坊主」の正体、意志ではなく仕組み

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

一方で、まったく別の壁を示すデータもある。習慣化アプリ「みんチャレ」を運営するエーテンラボが2023年10月にユーザー706人に行った調査では、85%が「三日坊主を経験した」と回答した。挫折した理由として最も多かったのは「途中でやめてもペナルティがなかった」こと。誰にも気づかれず、誰にも咎められず、静かにやめていく。

ところが、同じ目標を持つ仲間とチームを組んで取り組んだ場合は、96%が「習慣化できた」と実感している。その要因として最も多く挙げられたのが「仲間の投稿やコメントに励まされた」ことで、半数以上が21日以内に効果を実感したという。一人でやると三日で終わり、誰かの目があると三週間続く。この差を分けていたのは、根性ではなく、隣に誰かがいるかどうかだった。

サボったときに気づかれる仕組みがあるか、励ましてくれる相手が見えているか。続けられるかどうかを分けていたのは、結局そこだったらしい。趣味難民の壁とはまったく違う場所で、まったく違う仕組みのつまずきが起きている。

二つのつまずきを分ける、興味が育つ地図

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

なぜこの二つはこんなにも違う顔をしているのか。手がかりになるのが、教育心理学者のシギ・ヒディとアン・レニンジャーが2006年に発表した「興味発達の4段階モデル」だ。難しそうな名前だが、中身は意外とシンプルだ。

人が何かに興味を持ってから、それが本物の「好き」になるまでを、このモデルは四つの段階に分けて説明する。最初が、たまたま何かに触れて心を動かされる「引き起こされた状況的興味」。次が、その関心が消えずに続く「維持された状況的興味」。三番目が、繰り返し関わりたくなる「新興的な個人的興味」。最後が、他人に言われなくても自分から追いかけ続ける「十分に発達した個人的興味」だ。

面白いのは、最初の二段階、つまり興味が芽生えたばかりの時期ほど、環境からのサポートへの依存度が高いという点だ。グループでの活動や、誰かと一緒に取り組む仕組みがあって初めて興味は保たれ、後半の段階に入って、ようやく人は自分の力だけで関心を維持できるようになる。逆に言えば、まだ興味が芽生えたばかりの人に「自分の力で続けろ」と求めること自体が、そもそも無理な注文なのかもしれない。

この地図に当てはめてみると、趣味難民の67%が止まっているのは、そもそも最初の「引き起こされた状況的興味」すら起きていない、フェーズの手前の場所だ。三日坊主の85%が止まっているのは、一度は興味を引き起こされたのに、それを「維持された状況的興味」まで運べずに手放してしまう、もう少し先の場所になる。同じ「好きになれない」でも、地図の上ではまったく別の地点でつまずいている。

壁ごとに効く装置の違い

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

同じ「好きになれない」という結果に見えても、原因の置き場所が違えば、効く手当ても違ってくる。二つのデータを重ねてみて、一番面白いのはここだ。

趣味難民の壁に効くのは、偶発的な接触の機会を増やすことだろう。友人に誘われる、SNSでたまたま流れてくる投稿を見る。本人が機に向かって決意を固めることよりも、周囲との接点の数がものを言う。実際、67%が動けずにいる一方で、動けた人のきっかけの大半が「誘われた」「流れてきた」という受け身の言葉で語られていたのは、そのことを裏づけているように思う。

三日坊主の壁に効くのは、まったく別の装置だ。サボると誰かに気づかれる、続けると誰かが反応してくれる。「みんチャレ」のデータから見えてくるのは、意志力を鍛えることではなく、ゆるく背中を押してくれる仕組みと、見てくれている誰かの存在そのものの効き目だった。

もし「とにかく一歩踏み出せばいい」という一つの処方箋だけで両方を語ろうとすると、片方の壁にしか効かない対策を、もう片方の悩みにも当てはめてしまうことになる。趣味難民の人に「仲間と一緒に続ける仕組み」を勧めても、そもそも何を続けたいかがまだ見つかっていない。三日坊主で悩む人に「新しい出会いを増やそう」と言っても、すでに出会った後の話なので的が外れている。壁の場所を取り違えたまま処方箋を出しても、効かないのは当然だ。

才能論では説明できない場所

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

「好きになれない自分」を、情熱が足りない人、飽きっぽい人という個人の資質の問題として片づけてしまうのは簡単だ。でも二つの調査を並べてみると、そこに至る手前に、性質の異なる環境の壁があるという、もっと構造的な話が見えてくる。

趣味難民の67%も、三日坊主の85%も、本人の中に欠けているものがあるという話ではないのだと思う。たまたま接触の機会に恵まれたかどうか、たまたま続けやすい環境に居合わせたかどうか、という巡り合わせの要素が大きく関わっている。誰かに誘われて始めた趣味と、誰にも誘われずに終わった趣味の間にある差は、その人の中身の差というより、外側の環境の差であることのほうが、案外多いのではないか。

「好き」が育つ前にある、二つの分かれ道

「好きになれない」を分けているのは、壁の場所ではないか

いま「好きなものがない」と感じている人も、過去に何かを三日で手放した人も、実は違う場所でつまずいているだけかもしれない。前者に必要なのは、偶然の接触を増やしてくれる誰かとの縁であり、後者に必要なのは、続けることに気づいてくれる誰かの目だ。

だとすれば、次に誰かを何かに誘うとき、あるいは誰かの三日坊主を見かけたとき、自分がどちらの壁の話をしているのか、一度立ち止まって考えてみてもいいのではないか。

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参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times