バタフライエフェクトはなぜ蝶の羽ばたきで語られるようになったのか
「あの日電車に乗り遅れたから今の自分がある」というような話をするとき、人は何気なく「バタフライエフェクト」という言葉を使います。小さな出来事が、めぐりめぐって人生を変えるほどの大きな結果につながる、そんな意味で使われることが多い言葉です。ところが、もともとは気象学者がコンピュータの計算ミスから見つけた、天気予報の限界についての発見でした。蝶が登場したのも偶然です。提唱者本人の意図ではありませんでした。この言葉がどのように生まれ、どう広まっていったのかを追ってみます。
気象学者が偶然見つけた「誤差」が生んだ理論

バタフライエフェクトの出発点は、1961年にマサチューセッツ工科大学の気象学者エドワード・ローレンツが行っていた、コンピュータによる気象シミュレーションでした。ハーバード大学で数学を学んだ後、MITで気象学の博士号を取得し、同大学の教授になった人物です。後年、気象学の分野を超えてカオス理論の基礎を開いた功績により、クラフォード賞や京都賞を受賞しています。ローレンツはあるシミュレーションを途中から再実行しようとして、以前の計算結果のプリントアウトから数値を手入力しました。その際、コンピュータの内部では0.506127という数値が記録されていたところを、プリントアウトに表示されていた小数点以下3桁の0.506をそのまま入力しています。
本来なら無視できるはずの、わずか0.000127の違いです。誰も気づかないほどの誤差。ところがローレンツが席を外して戻ってくると、2カ月分のシミュレーション結果はまったく別の天気パターンになっていました。入力のずれはどんどん増幅され、最終的には元の計算と似ても似つかない結果になったのです。ローレンツはこの現象を「初期値に対する敏感な依存性」と呼びました。天気のように複雑な系では、観測や入力のわずかな誤差が時間とともに際限なく拡大し、長期的な予測を事実上不可能にしてしまうという発見でした。
この研究が注目を集めるまでには時間がかかりました。1963年に論文として発表された後も、10年近く専門家の間で広く知られることはなかったとされています。
もともとは蝶ではなく「かもめの翼」だった

意外に知られていないのが、ローレンツ自身が最初に使っていた比喩は蝶ではなかったという事実です。1963年の論文でローレンツが示したのは「かもめの一羽ばたきが、天候の推移を永久に変えてしまうほどの影響を持つかどうか」という問いでした。
転機は1972年12月、ワシントンで開かれたアメリカ科学振興協会の会議でした。ローレンツに割り当てられた講演の題名を、セッションの座長を務めていた気象学者フィリップ・メリリーズが、ローレンツ本人が不在のうちに「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、テキサスでトーナドを引き起こすか」という題名に変えてしまったのです。かもめからの変更について本人が事前に相談を受けていたかどうかは定かではありません。きっかけは、おそらくただの思いつき。それでもこの蝶のイメージは題名としてそのまま定着し、以後「バタフライエフェクト」という呼び名で世界中に広まっていきました。学術的な発見の核心は変わらないまま、世間に残ったのは誰かが即興でつけた題名の方だったことになります。
ローレンツ方程式が描く、蝶の羽のような軌道

もうひとつ、この言葉が定着した理由として語られるのが、ローレンツが発見した数式そのものが持つ形です。ローレンツの気象モデルを単純化した3つの連立微分方程式、いわゆるローレンツ方程式の解を空間上に描くと、軌道は決して同じ点を通らずに、しかし一定の範囲の中で左右に分かれた二枚の羽のような模様を描き続け、この図形は「ローレンツ・アトラクター」と呼ばれて、カオス理論を象徴する存在として教科書や展示で繰り返し使われてきました。
講演の題名に蝶が選ばれたいきさつと、方程式の軌道が偶然にも蝶の羽の形をしていたこと。本来は別々の出来事です。それでも両方に蝶が関わっているという巡り合わせが、この理論と蝶のイメージをいっそう強く結びつけることになりました。
身近な例で初期値への敏感さを体感できるのが二重振り子です。一本目の棒の先に関節でつながった二本目の棒が揺れる、ごく単純な仕掛けです。わずかに異なる角度から振り始めただけで、数秒後にはまったく別の軌道を描きます。見た目はランダムでも、動き自体は物理法則に従って一通りに決まる運動です。それでも長時間先の挙動は読み切れません。この、決まっているのに読み切れないという矛盾した状態こそが「決定論的カオス」で、バタフライエフェクトはその代表例として扱われています。
恐竜を狩りに行った男が踏みつぶした一匹の蝶

ローレンツが蝶の比喩で知られるようになる約20年前、SF作家のレイ・ブラッドベリが発表した短編小説に、すでに同じ構図が描かれていました。1952年に発表され、翌1953年には短編集「太陽の黄金の林檎」に収録された「雷のような音」という作品です。近未来、タイムマシンで恐竜狩りツアーに参加した客の一人が、定められた進路を踏み外し、うっかり一匹の蝶を踏み殺してしまいます。ツアー会社は「踏んでよい獲物以外には触れない」という厳格なルールを設けていたにもかかわらず、その小さな違反が引き起こしたのは、現代に戻ってきたときの言語や選挙結果までも変わっているという大きな歴史の改変でした。
ローレンツの発見とブラッドベリの小説は互いに無関係に生まれたものですが、どちらも「過去の小さな一点に触れることが、未来全体を変えてしまうかもしれない」という発想を、同じ蝶という生き物に託しています。科学と文学が、示し合わせたわけでもないのに似た直感に行き着いていたことになります。
一冊のベストセラーがこの言葉を一般に広めた

ローレンツの発見とフィリップ・メリリーズの思いつきだけでは、この言葉はおそらく専門家の間だけの逸話で終わっていたかもしれません。決定的だったのは、1987年にアメリカのジャーナリスト、ジェイムズ・グリックが出版した「カオス 新しい科学をつくる」という一冊の本です。カオス理論が成立するまでの過程を一般読者向けに描いたこの本は、全米で100万部を超えるベストセラーとなり、ピューリッツァー賞とナショナル・ブック・アワードの候補にもなりました。この本によって「バタフライエフェクト」は、専門用語から誰もが知る日常語へと変わっていきました。
この本が科学読み物として異例のヒットを記録したことは、思いがけない形で別の作品にも影響を与えています。マイケル・クライトンの小説、そして映画「ジュラシック・パーク」に登場する数学者イアン・マルコム博士が、恐竜のテーマパークの崩壊を予言する根拠として語るのが、まさにこのカオス理論とバタフライエフェクトです。恐竜を狙う一匹の蝶の物語から半世紀近くを経て、巡り合わせのように、話題は再び恐竜とともに語られることになりました。
「風が吹けば桶屋が儲かる」との決定的な違い

バタフライエフェクトは、日本の「風が吹けば桶屋が儲かる」という言い回しとよく似ていると感じられるかもしれません。風が吹くと砂埃が立って目を悪くする人が増え、三味線弾きの仕事が増え、三味線の革に使う猫が減り、猫が減るとネズミが増え、ネズミが桶をかじるので桶屋が儲かる、という一連の因果の連鎖です。
ただし両者の意味はかなり異なります。桶屋のことわざは、一つひとつの因果関係こそ無理のある冗談めいた連鎖ですが、最初から最後まで決まった一本道の筋道をたどっており、結末はあらかじめ一つに定まっています。これに対してバタフライエフェクトが指しているのは、むしろ「結末がどう転ぶかはわからない」という予測不可能性そのものです。同じ初期条件のわずかな違いから、無数にありうる結果のうちどれが実現するかは誰にも読み切れない、という点が核心になります。
| 風が吹けば桶屋が儲かる | バタフライエフェクト | |
|---|---|---|
| 筋道 | 一本道の因果の連鎖 | 無数に枝分かれする可能性 |
| 結末 | あらかじめ一つに定まる | 事前には予測できない |
| 主眼 | 意外な結びつきを笑う | 複雑な系の予測不可能性を示す |
似ているのは、桶屋とバタフライエフェクト、見た目だけ。よくある「あの小さな出来事のおかげで今の幸せがある」という使い方は、実際には単なる偶然の巡り合わせを物語として振り返っているだけで、ローレンツが論じた予測不可能性そのものとは少し違う文脈で使われていることが多いようです。
映画やアニメが好んでバタフライエフェクトを描く理由

この概念は創作の世界でも繰り返し題材にされてきました。代表的なのが2004年公開のアメリカ映画「バタフライ・エフェクト」です。主人公の青年は、子どもの頃からつけている日記を読み返すことで、その時点の自分の意識へ戻れる特異な力の持ち主です。彼は過去の失敗を直そうとタイムリープを繰り返しますが、一つを直すたびに現在の状況はむしろ悪化していくという展開が、タイトルの由来となった理論を物語の仕掛けとして使っています。
日本では、タイムリープを扱ったアニメやゲームで「世界線」という言葉とともにこの理論への言及がよく見られます。代表的な作品の一つが、2009年10月に発売されたゲーム「STEINS;GATE」です。秋葉原を舞台に、過去にメールを送ることで現在を変える装置を巡る物語で、変化後の世界の分岐を指す「世界線」という概念を通じて、カオス理論やローレンツ・アトラクターへの目配せが随所に組み込まれています。小さな行動の違いによって結末が大きく変わるという構造は、サスペンスやタイムトラベル作品にとって、緊張感を生み出す便利な装置として重宝されてきたといえます。
株価や生物の個体数にも見つかったカオスの振る舞い

カオス理論が応用される範囲は、気象やおもちゃの振り子だけに留まりません。生態学者ロバート・メイは、生物の個体数の増減を表すごく単純な数式を調べているうちに、繁殖率の設定をわずかに変えるだけで、個体数が一定値に落ち着いたり、周期的に増減を繰り返したり、まったく不規則に変動したりすることを発見しました。1976年に学術誌ネイチャーに発表された、その論文の題名は「単純な数式がもたらす、きわめて複雑な振る舞い」です。単純な数式一つから、安定、周期、カオスという3つの異なる運命が分かれて出てくることになります。
同じ発想は金融の世界でも試みられてきました。株価の変動を単なる運ではなく、わずかな取引条件の違いが増幅されていく決定論的カオスとして捉え直し、近くの時間差でどれだけ軌道がずれていくかを示す「リアプノフ指数」のような物差しを使って、予測の手がかりを探ろうとする研究です。ただし株価には無数の外的要因や人間の思惑が絡みます。天気予報のように整った数式だけで将来を見通すことは、今のところできていません。
天気予報が一週間先までしか当てられない理由

ローレンツの発見は、半世紀以上たった今も天気予報の現場に直接影響を与えています。大気の状態は典型的なカオス系であるため、観測データにどれほど精度を上げても、わずかな誤差は時間とともに拡大し、理論的にはおよそ2週間、実用的には1週間から10日程度で予測の精度が大きく落ちてしまうことがわかっています。
この限界に対応するために考え出されたのが「アンサンブル予報」という手法です。観測誤差の範囲内でわずかに異なる初期値を複数用意し、それぞれについて数値予報を実行します。結果の広がりやばらつきを見れば、「どの程度確信を持って予測できるか」までが示せる仕組みです。日本の気象庁では1992年以降、1週間先の天気予報や台風進路予報、季節予報などに広く使われています。台風情報でおなじみの「予報円」も、この手法から導かれています。台風の中心が70パーセントの確率で入ると予想される範囲を示したもので、先の日付になるほど円が大きくなるのは、わずかな初期値のずれが時間とともに拡大し、予測のばらつきそのものが大きくなっていくからです。わずかな入力の違いが結果を大きく変えてしまうという、まさにローレンツが発見した現象そのものを逆手に取って、予測の不確かさ自体を測る道具に変えたことになります。
天気予報が「明日は晴れ」と言い切れても「2週間後は晴れ」とは言い切れないのは、大気そのものが持つこの性質のためです。担当者の腕とは関係がありません。
なぜ比喩として蝶が選ばれ続けてきたのか

かもめでも蛾でもなく、蝶という生き物が半世紀以上にわたって使われ続けてきたのには、理屈だけでは説明しきれない理由もあるように思えます。幼虫から姿を変え、薄く繊細な羽で飛ぶ蝶の姿は、力づくで何かを動かす存在にはまったく見えません。その頼りなさと、トーナドという破壊的な結果との落差こそが、この言葉を一度聞いただけで忘れにくくしている理由ではないでしょうか。庭先で蝶を追いかけた経験がある人なら、あの薄い羽の一振りが遠く離れた場所の大荒れの天気に結びつくという話に、ちょっとした驚きを覚えるはずです。
何気なく使っている「バタフライエフェクト」という言葉の裏にあるのは、予測の限界とひたすら向き合い続けてきた科学の歴史と、たまたまそこに居合わせた一匹の蝶のイメージです。
参考
- 間違いだらけの「バタフライエフェクト」、その本当の意味とは
- When the Butterfly Effect Took Flight
- カオス理論、バタフライ・エフェクトとは何か? ローレンツ・アトラクターを例に
- バタフライ・エフェクト : 作品情報・キャスト・あらすじ
- 『サウンド・オブ・サンダー(雷のような音)』レイ・ブラッドベリ 小笠原豊樹@訳
- 「バタフライエフェクト」と「風が吹けば桶屋が儲かる」は同じなのか
- 『Steins;Gate』と『バタフライ・エフェクト』
- 想定科学SF『シュタインズ・ゲート』って一体どんなゲームだったの?
- マルコム「これぞ、カオス理論だ」『ジュラシック・パーク』のセリフ・名言
- Chaos: Making a New Science Summary and Study Guide
- Simple mathematical models with very complicated dynamics
- お世話になっている「週間天気予報」どうやって出しているか知っている?
- 台風進路図の見方 予報円の大きさが意味するものは?
- エドワード・ローレンツ カオス理論を提唱した気象学者、死去





