曲は知っていても名前を知らない有名作曲家一覧
多くの人は、ゲームの効果音やCMのフレーズを何十年たっても鼻歌で再現できます。ところがその曲を書いた人の名前となると、驚くほど記憶に残っていないことが多いものです。歌詞であれば言葉そのものを口に出して覚えられますが、メロディーだけを担当する作曲家の名前は、クレジットの奥に隠れたまま忘れられがちです。実は普段何気なく耳にしている曲の多くに、ジャンルを越えて活躍してきた作曲家たちの仕事が刻まれています。ゲーム、アニメ、CM、歌謡曲、そしてクラシックまで、分野を横断しながら「この曲は誰が書いたのか」をたどってみると、音楽の聴き方が少し変わってきます。曲が生まれた時代も国も違う作曲家たちを並べてみると、それぞれの仕事の進め方や、名前が知られるきっかけになった出来事にも意外な共通点や対照が見えてきます。
ゲーム音楽を血肉にした作曲家たち

家庭用ゲーム機が普及し始めた1980年代、ゲーム音楽はまだ「おまけ」のような扱いでした。その状況を変えた作曲家の一人が、すぎやまこういちです。すぎやまは音大出身ではなく、フジテレビのディレクターとして「ザ・ヒットパレード」などの番組を手がけながら作曲家としての活動も始めた人物で、「亜麻色の髪の乙女」や「学生街の喫茶店」といった歌謡曲のヒットも世に送り出していました。そこに舞い込んだのが「ドラゴンクエスト」の音楽制作の依頼で、以後シリーズの楽曲500曲以上をすべて一人で作曲し続けました。2016年には84歳292日で「最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家」としてギネス世界記録に認定されています。もともと歌謡曲の世界で名を上げていた人物が、まったく異なるゲームという新しいメディアの音楽文化を築いたという経歴は、作曲家という仕事の幅の広さを物語っています。
「ファイナルファンタジー」シリーズを支えてきたのは植松伸夫です。高知県出身で1986年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社し、「クロノ・トリガー」なども含めて叙情的で壮大なメロディーを数多く生み出してきました。「FFVIII」のテーマ曲「Eyes On Me」では日本ゴールドディスク大賞のソング・オブ・ザ・イヤーを受賞し、米「Newsweek」誌の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれています。ゲーム音楽が海外のオーケストラで演奏される文化を切り開いた人物としても知られ、今もオーケストラツアーの制作総指揮などで活動を続けています。
任天堂の看板タイトルを支えてきたのが近藤浩治です。1984年に任天堂へサウンド専門として入社した最初期の人材の一人で、「スーパーマリオブラザーズ」の地上BGMは世界で最も知られたゲーム音楽の一つとされています。「ゼルダの伝説」シリーズの音楽も手がけ、ゲーム音楽が単なる効果音の域を超えて一つの音楽ジャンルとして認められる土台を作りました。ジャンプするたびに鳴る効果音やコイン音まで、遊びの体験そのものに音楽を溶け込ませる発想は、後のゲーム音楽制作にも大きな影響を与えています。
アニメと映画の音楽を彩った作曲家たち

スタジオジブリ作品の音楽といえば久石譲です。「風の谷のナウシカ」で宮崎駿監督と組んだことをきっかけに、「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」をはじめ、「風立ちぬ」に至るまで約30年にわたって作品の音楽を担当し続けました。ピアノの静かな旋律から始まり、オーケストラへと広がっていく構成は、久石譲の作風を象徴する手法としてたびたび語られています。ジブリ作品を見たことがなくても、映画やCMのどこかで一度は耳にしたことがあるメロディーが数多く存在します。
ジャンルを軽やかに横断する作曲家として知られるのが菅野よう子です。仙台市出身で、「COWBOY BEBOP」「創聖のアクエリオン」「マクロスF」「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」など、ポップスからロック、ジャズ、ファンク、テクノ、クラシックまで幅広い語法を使い分けてきました。2012年には東日本大震災の復興支援ソングとして「花は咲く」を作曲し、アニメや映画の枠を超えて広く知られる存在になっています。一つの作品の中でまったく異なる音楽性を使い分けられることが、菅野よう子が長く支持され続けている理由の一つとされています。
「ONE PIECE」の音楽を長く手がけてきた田中公平も、アニメ音楽の世界では欠かせない存在です。大阪府出身で東京芸術大学音楽学部作曲科を卒業後、バークリー音楽院に留学し、帰国後に作曲家としての活動を始めました。1999年の初代オープニング「ウィーアー!」以降、「ウィーゴー!」「OVER THE TOP」など、シリーズを象徴する楽曲の数々を作り続けています。「サクラ大戦」の音楽も手がけており、ゲームとアニメの両方にまたがって活躍してきた作曲家の一人です。
お茶の間に溶け込んだCMソングの作り手たち

日本人の多くが無意識に覚えているメロディーの宝庫が、テレビCMです。小林亜星は1960年代から2000年代にかけて、日立グループの「この木なんの木」やブリヂストンの「どこまでも行こう」、サントリーオールドのCMソングなど、数え切れないほどのCMソングを作曲しました。俳優としても活動していたため顔もよく知られていましたが、それ以上に多くの人の耳に残っているのは、彼が書いたメロディーそのものです。企業やブランドの印象が、わずか15秒や30秒の曲によって何十年も記憶に残り続けるというのは、CMソング作曲家ならではの仕事の面白さといえます。
歌謡曲の分野で忘れてはならないのが中村八大です。永六輔との共作で坂本九が歌った「上を向いて歩こう」は、国内だけでなく海外60カ国で「スキヤキ・ソング」として大ヒットしました。「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」「明日があるさ」など、今も歌い継がれる曲の多くが中村八大の手によるものです。ジャズピアニストとして活動していた経験が、独特のリズム感を持つメロディーに生かされていたとも言われています。
歌謡曲の黄金期を支えた職人的作曲家たち

戦後の日本でポピュラー音楽の土台を作った作曲家として欠かせないのが服部良一です。ジャズの感覚を取り入れた音楽性で知られ、「別れのブルース」「東京ブギウギ」「青い山脈」「銀座カンカン娘」など、生涯で3000曲を超える作品を残しました。1947年に発表された「東京ブギウギ」は笠置シヅ子の歌唱でヒットし、敗戦後の日本に明るさをもたらした曲として今も語り継がれています。服部良一はのちの「日本レコード大賞」創設にも尽力しており、作曲家という職業そのものの地位向上に関わった人物でもあります。
生涯で約3000曲を作曲し、レコードやCDの売上枚数が歴代1位という記録を持つのが筒美京平です。「木綿のハンカチーフ」「魅せられて」「また逢う日まで」「ロマンス」「飛んでイスタンブール」「仮面舞踏会」など、時代を代表するヒット曲を次々に生み出しました。1971年から1987年の間に10回も作曲家別の年間売上1位を獲得し、オリコンチャートで1位を獲得した39曲は1960年代から2000年代までの5つの年代にまたがっています。これは筒美京平だけが持つ記録として知られています。特定のアーティストに専属するのではなく、時代ごとに異なる歌手やジャンルへ曲を提供し続けたことが、長期にわたる活躍を支えました。
学習院大学在学中にデビューした都倉俊一も、歌謡曲の黄金期を語るうえで欠かせない一人です。作詞家の阿久悠とのコンビで、ピンク・レディーの「ペッパー警部」「UFO」「カルメン'77」など次々とヒットを飛ばしました。その後、都倉俊一は日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長を務め、さらに第23代文化庁長官にも就任しています。ヒットメーカーが著作権行政のトップに立つというキャリアは、作曲家という仕事の社会的な広がりを物語っています。
歌謡曲からJ-POPへと呼び名が変わっていった1990年代には、小室哲哉が音楽シーンの中心にいました。TRF、安室奈美恵、篠原涼子、globeなど数多くのアーティストに楽曲を提供し、作曲した曲数は900曲を超えるといわれています。ダンスミュージックの要素を取り入れた「TKサウンド」と呼ばれるスタイルは一大ブームとなり、TRFの「EZ DO DANCE」や安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」など、今も結婚式や式典で流れる定番曲を数多く生み出しました。歌謡曲時代の職人的な作曲家たちとは異なり、プロデューサーとして楽曲提供先を選びながら自らサウンド全体を統括するスタイルは、当時の音楽シーンに新しい作曲家像をもたらしたといえます。
作曲家と作詞家、仕事はどう分かれているのか

作詞家が言葉を、作曲家がメロディーを担当するというのが基本的な役割分担です。この二つは別々の著作物として扱われ、一曲の中でそれぞれ独立した著作権を持ちます。共作の場合、印税をどのような割合で分けるかはあらかじめ関係者の間で取り決めておくのが一般的です。
CDの売上やサブスクリプションでの再生、カラオケでの利用など、曲が使われる場面ごとに使用料が発生し、JASRACのような著作権管理団体がそれを徴収して作詞家、作曲家、編曲家、音楽出版社に分配する仕組みが整えられています。都倉俊一がJASRACの会長を務めていたように、ヒット曲を生み出してきた作曲家自身が、この分配の仕組み作りに携わることもあります。歌詞は言葉として記憶に残りやすい一方、メロディーを書いた人の名前が忘れられがちなのは、この役割の分かれ方そのものが影響しているのかもしれません。
作詞と作曲を一人でこなす今の潮流

これまで紹介してきた作曲家の多くは、作詞家や歌手とコンビを組んで曲を作り上げてきました。一方で近年は、作詞と作曲を一人の人物が同時にこなすスタイルも目立つようになっています。その代表例が、小説投稿サイトに掲載された作品を音楽に変えるというコンセプトで活動するYOASOBIです。作曲を担当するAyaseは、原作となる小説を丹念に読み込んだうえで歌詞とメロディーの両方を組み立てており、デビュー曲「夜に駆ける」はビルボードジャパンの年間ランキングで1位を獲得しました。言葉とメロディーを別々の人間が分担する昭和の歌謡曲の作り方と、一人の頭の中で物語ごと音楽に変換していく現在のやり方は対照的で、同じ「作曲」という言葉が指す仕事の中身が時代とともに変化していることがうかがえます。
難聴という制約の中で曲を書き続けたベートーヴェン

作曲家という仕事の奥深さを語るうえで、クラシック音楽の世界に目を向けると、また違った一面が見えてきます。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは20代後半から聴力の衰えに悩まされ始め、40代にはほとんど聴力を失っていたと伝えられています。それでも交響曲第九番のような、合唱を交響曲に組み込むという当時としては斬新な作品を書き上げました。晩年には、棒の一端を歯でくわえてピアノに当て、骨を伝わる振動で音を感じ取っていたというエピソードも伝えられています。音そのものが聞こえなくなっても、頭の中で鳴り続ける音楽を五線譜に書き起こし続けたという事実は、作曲という営みが単なる「音を出す作業」ではないことを教えてくれます。制約があっても曲を生み出し続けた姿勢は、ジャンルを問わず多くの作曲家に共通する部分でもあります。
早熟の神童モーツァルトとの対比
ベートーヴェンと同じ古典派の作曲家に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがいます。モーツァルトは3歳でクラヴィーアを弾き始め、5歳ですでに作曲を行い、6歳からは父に連れられてヨーロッパ各地の宮廷を巡る演奏旅行に出ています。幼いころから神童として名を知られていたモーツァルトと、聴力を失うという制約の中で後期の代表作を生み出したベートーヴェンとでは、名前が知られるようになった経緯がまったく異なります。この記事で紹介したすぎやまこういちが音大出身ではなくディレクター業から作曲家になったように、キャリアの始まり方が一様ではないというのは、クラシックから現代の作曲家まで共通して見られる特徴といえます。
次に音楽を聴くとき、クレジットに目を向けてみると

ここまで紹介してきた作曲家たちの活動分野と代表曲を、簡単に整理すると次のようになります。
分野別に見る作曲家と代表曲
| 分野 | 作曲家 | 代表曲・代表作 |
|---|---|---|
| ゲーム音楽 | すぎやまこういち | ドラゴンクエストシリーズ |
| ゲーム音楽 | 植松伸夫 | ファイナルファンタジーシリーズ、Eyes On Me |
| ゲーム音楽 | 近藤浩治 | スーパーマリオブラザーズ、ゼルダの伝説 |
| アニメ・映画音楽 | 久石譲 | 天空の城ラピュタ「君をのせて」 |
| アニメ・映画音楽 | 菅野よう子 | COWBOY BEBOP、花は咲く |
| アニメ・映画音楽 | 田中公平 | ONE PIECE「ウィーアー!」 |
| CM・歌謡曲 | 小林亜星 | この木なんの木、どこまでも行こう |
| 歌謡曲 | 中村八大 | 上を向いて歩こう |
| 歌謡曲 | 服部良一 | 東京ブギウギ |
| 歌謡曲 | 筒美京平 | 木綿のハンカチーフ |
| 歌謡曲 | 都倉俊一 | ペッパー警部、UFO |
| J-POP | 小室哲哉 | EZ DO DANCE、CAN YOU CELEBRATE? |
| J-POP以降 | Ayase(YOASOBI) | 夜に駆ける |
ゲームを起動したときのタイトル画面、アニメのオープニング、テレビから流れるCM、カラオケで選ぶ懐かしい一曲。これらの多くには、この表に挙げた作曲家たちのように、長い時間をかけてメロディーを磨き上げてきた人がいます。曲名やアーティスト名だけでなく、作曲者のクレジットにも目を向けてみると、同じ曲が少し違って聞こえてくるかもしれません。一人の作曲家がゲームと歌謡曲の両方を手がけていたり、CMソングの作り手が同時にヒットチャートの常連だったりと、ジャンルをまたいだつながりを見つけるのも、音楽を聴く楽しみの一つです。表の中の名前を手がかりに好きな曲を検索してみると、意外なつながりが次々と見つかるかもしれません。
参考
- すぎやまこういち氏が逝去。『ドラゴンクエスト』『風来のシレン』などの作曲家
- クラシック音楽家としてのすぎやまこういち 『ドラクエ』と交わるまでに生まれた核とは
- 「ドラゴンクエスト」シリーズの作曲家すぎやまこういちさんがギネス世界記録に認定
- 植松伸夫のプロフィール・作品情報
- 植松伸夫さん(作曲家)インタビュー
- FINAL FANTASYの楽曲で知られる作曲家 植松伸夫氏
- 近藤浩治【ゲーム音楽作曲家列伝03】
- 天才作曲家・近藤浩治の手がけた楽曲を紹介
- 菅野よう子さん(作曲家)インタビュー
- 音を極める 作曲家・プロデューサー菅野よう子
- 田中公平プロフィール
- 小林亜星さんが作曲したCMソングランキング
- 「昭和のお茶の間」には小林亜星さんの音楽がありました
- 【中村八大】永遠の名曲「上を向いて歩こう」ほか珠玉の作品集
- 連続テレビ小説『ブギウギ』羽鳥善一のモデル・服部良一の生涯
- 筒美京平 生涯セールス第1位、時代超えてヒット量産
- 「日本一ヒット曲を生んだ男」筒美京平の作曲のすごさ
- 第89回 都倉俊一氏 作曲家/編曲家/プロデューサー/JASRAC会長
- 文化庁、次期長官は作曲家の都倉俊一に
- 90年代の小室哲哉プロデュースシングル人気投票
- YOASOBI Ayaseは小説を歌詞に昇華する言葉の錬金術師
- 印税の話 作詞・作曲における2種類の印税と仕組み
- ベートーヴェン、難聴の軌跡
- モーツァルトが幼少期から演奏や作曲ができたのはなぜか





