牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

焼肉屋のメニュー表を開くと、カルビやロースといった聞き慣れた名前の横に、ザブトン、ミスジ、ハラミ、シャトーブリアンといった、由来のよくわからない名前がずらりと並んでいます。同じ牛の肉のはずなのに、なぜここまで細かく呼び分ける必要があるのか、値段も食感もまるで違うのはなぜか、考えてみると不思議なことだらけです。実はこの部位分けの裏には、牛の体の構造、日本と海外の食文化の違い、そして意外な歴史のいたずらが隠れています。今回は、知っているとちょっと自慢したくなる牛の部位にまつわる雑学をまとめました。

牛一頭は何種類の部位に切り分けられているのか

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

日本で流通する牛肉は、公益社団法人日本食肉格付協会が定める「牛部分肉取引規格」に沿って、ネック、カタ(ウデ)、カタロース、リブロース、サーロイン、ヒレ、マエバラ(カタバラ)、トモバラ、ウチモモ、シンタマ、ソトモモ、ランプ、スネの13部位に大きく分類されます。これはあくまで卸売段階での大分類で、焼肉店ではここからさらに細分化され、ザブトンやミスジ、イチボといった小分割の名前が加わり、内臓(ホルモン)まで含めると呼び名は40種類を超えます。

一方でアメリカの牛肉は、肩(チャック)、ロイン(背中)、モモ(ラウンド)、バラ(ブリスケットやショートプレート、フランクなど)という4つの大きな区分が基本で、日本ほど細かく分かれていません。たとえば日本で肩の肉をザブトン、ハネシタ、クラシタと三段階に分けて呼ぶところを、アメリカではまとめて「チャック」の一言で済ませてしまいます。日本の焼肉文化が薄切りにした肉を一口ずつ味わうスタイルで発展したのに対し、アメリカでは塊のまま焼いたり煮込んだりする料理が中心だったことが、この分割の細かさの差につながったと考えられています。

同じ牛肉なのに硬さや味がまるで違う理由

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

部位ごとの食感の違いは、その筋肉がどれだけ動いていたかによって決まります。首や肩、すねのように牛が日常的によく動かす部位は筋繊維が発達し、それらを束ねる結合組織(コラーゲン)も多くなるため、肉質はきめが粗く硬めになります。反対に、背中からお尻にかけてのほとんど動かさない部位は筋肉があまり鍛えられないため、きめが細かくやわらかい肉質になります。

このため、精肉店や焼肉店では大まかに次のような系統で部位を捉えています。

部位の系統 代表的な部位 特徴
背中側(よく動かない) カタロース、リブロース、サーロイン サシが入りやすく、やわらかい
お腹側 バラ(カルビ) 脂が多く濃厚な味わい
モモ・お尻側(よく動く) ウチモモ、ソトモモ、ランプ 赤身の旨みが強く、脂は少なめ
首・すね(最もよく動く) ネック、スネ 硬いが旨み成分が豊富で、煮込みに向く

硬い部位が味で劣るわけではなく、すね肉のように運動量の多い部位はコラーゲンをじっくり加熱するとゼラチン質に変わり、とろけるような食感になります。煮込み料理にすじ肉やすね肉が好んで使われるのは、この性質を利用したものです。

サシと呼ばれる霜降りはどうやって生まれるのか

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

和牛のロースを見たときに目を引く、細かい網目状の脂肪が「サシ」です。サシは筋肉の間に入り込んだ脂肪のことで、その脂は融点が低く、口の中の体温に近い温度で溶け始めるため、焼いた瞬間にじわりと溶け出して赤身全体にうまみを行き渡らせます。サシが細かく均一に入っているほど、噛んだときに脂と赤身が一体になって「とろける」ような食感が生まれるといわれています。

このサシの入りやすさは、育て方だけでなく遺伝の影響も大きいことがわかっています。日本に存在する黒毛和牛のほとんどは、肉質のよさとサシの入りやすさで知られたある種牛の血統を受け継いでおり、寒冷な環境に適応する過程で脂肪を蓄えやすい体質を獲得してきたと考えられています。同じ牛でも品種によってサシの入りやすさがまったく違うという事実は、部位による違いとはまた別の角度から、牛肉の奥深さを教えてくれます。

一頭からわずかしか取れない部位が高級になる理由

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

ヒレ肉(テンダーロイン)は、体重400キロほどの牛一頭からとれる量が5キロ程度しかない、もともと希少な部位です。さらにその中でも中央部分の最もやわらかい一塊を指す「シャトーブリアン」となると、一頭からとれるのはわずか600グラムほどしかありません。焼肉やステーキで他の部位に比べて価格が跳ね上がるのは、味の優劣だけでなく、この圧倒的な希少性が理由になっています。

ちなみにこの名前は、19世紀のフランスで活躍した政治家であり作家でもあったシャトーブリアン子爵に由来するという説が有力です。美食家として知られた彼のために料理人がヒレ肉の中央部を使ったステーキを考案したところ、たいそう気に入って好んで食べたことから、そのまま部位の名前として定着したといわれています。サーロインの逸話と同じように、おいしい肉に人名や称号が結びつけられるのは、洋の東西を問わず起こりやすい現象のようです。

日本とアメリカでは部位の数も呼び方もまったく違う

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

先ほど触れたとおり、日本とアメリカでは牛肉の分割方法そのものが異なります。さらにフランスになると事情はもっと複雑で、フランス語の部位名は日本語や英語よりも種類が多いといわれています。フランス料理では頭から尾まで無駄なく使い切る文化が根強く、内臓や骨まわりの部位にも個別の名前が細かく与えられているためです。

同じ牛の同じ位置の肉でも、国によって切り分ける境界線が違うため、日本語の部位名と英語やフランス語の部位名は一対一で対応しないことがほとんどです。たとえば日本の「肩ロース」に近い位置の肉も、アメリカでは複数の商品名に分かれて流通していたりします。これは牛肉の切り方が絶対的な正解を持つ分類ではなく、それぞれの国の料理文化に合わせて発展してきた、いわば「文化の地図」であることを示しています。

フランスの部位分けが日本以上に細かくなりがちなのは、肉料理を発展させてきた歴史の中で、頭から尻尾まで無駄なく使い切る調理文化が根づいてきたためといわれています。内臓や骨まわりの部位にまで個別の料理名や部位名が与えられているのはその表れで、同じ「牛一頭」から見えてくる景色が、国によってこれほど違うというのはなかなか興味深い事実です。

牛そのものを食べない文化があることも忘れてはいけない

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

ここまで牛肉の部位の細かさを見てきましたが、世界には牛肉そのものを口にしない文化も存在します。ヒンドゥー教では牛は神々と結びついた神聖な存在とされ、牛を傷つけることは輪廻の教えにおいて重い意味を持つと考えられてきました。この背景には、農耕社会において牛が耕作や乳、堆肥の供給源として欠かせない存在であったため、殺すよりも生かして活用するほうが合理的だったという実利的な事情も関わっているとされます。

同じ牛という動物でも、それを余さず食べ尽くす文化圏もあれば、食べることを避ける文化圏もあるというのは、牛の部位の話を一段引いた視点から眺めると見えてくる面白さです。日本の焼肉屋で当たり前のように並ぶ部位の数々も、世界的に見れば決して当たり前の光景ではありません。

ハラミが「内臓」に分類されているという意外な事実

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

焼肉店で人気の高いハラミは、見た目も味も上質な赤身肉そのものですが、分類上は「正肉」ではなく内臓肉(ホルモン)の仲間です。ハラミは横隔膜という筋肉で、肋骨に沿う薄い部分を指し、その奥で肋骨と腎臓のあいだにある厚みのある部分は「サガリ」と呼ばれます。ハラミは脂がのりやすくやわらかい食感、サガリは赤身に近い力強い旨みが特徴で、見た目は似ていても味わいは異なります。

横隔膜が内臓扱いになる理由は、骨に直接ついている筋肉ではなく、内臓と一緒に動く筋肉だからです。分類上はホルモンでも、一般的な内臓肉特有の弾力や独特のクセはほとんどなく、繊維が細かく旨みが強いため、赤身肉のような食べやすさとホルモンならではのコクを両方兼ね備えた、少し特殊な立ち位置の部位になっています。

サーロインという名前に隠れた俗説と本当の語源

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

サーロインというカタカナの響きから、「サー(Sir)」の称号を与えられた肉、というエピソードを聞いたことがある人も多いかもしれません。イギリスの国王がこの部位のあまりのおいしさに感動し、「この肉にナイトの称号を与えよう」と言ったことから「サーロイン」になったという話です。実際に語源辞典などでも紹介されている有名な逸話ですが、言語学的に見るとこれは後から付け加えられた俗説とされています。

サーロインの語源は、14世紀のフランス語「surlonge」にさかのぼります。「sur」は「上部」、「longe」は「腰肉」を意味し、これが英語に入って「surloyn」となり、最終的に「sirloin」という綴りに変化しました。つまり、たまたま「サー」に似た発音になったところに、後年、国王の逸話が結びつけられて広まったというのが実際の経緯に近いようです。おいしい肉に箔をつけたくなる気持ちは、時代を問わず共通していたのかもしれません。

仙台と牛タンを結びつけたのはひとつの偶然だった

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

仙台名物として知られる牛タン焼きですが、仙台は牛タンの産地というわけではありません。誕生のきっかけは、戦後まもない時期に仙台で和食店を営んでいた店主が、他の店と差別化できる料理を探していたことにありました。洋食の食材として使われていた牛タンに目をつけ、皮の剥き方もわからないところから試行錯誤を重ね、厚切りにして塩でじっくり寝かせて焼くという、現在につながる調理法を編み出したのが始まりとされています。

一般的な焼肉店で提供されるタンが2〜3ミリ程度の薄切りであるのに対し、仙台の牛タン焼きは1〜2センチという厚切りが特徴です。この厚みがあるからこそ香ばしい焼き目とジューシーな肉汁を両立でき、他の地域の牛タン料理とは一線を画す名物へと育っていきました。仙台の街と牛の部位が結びついたのは、産地の必然ではなく、一人の料理人の工夫がきっかけだったというのは、地方名物の成り立ちとしてはなかなか興味深い話です。

牛には胃袋が4つあり、それぞれに名前が付いている

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

焼肉店のホルモンメニューでよく見かけるミノ、ハチノス、センマイ、ギアラは、実はすべて牛の胃袋です。牛は反芻動物と呼ばれる仲間で、胃袋が4つに分かれており、それぞれ役割も見た目もまったく異なります。

最初の胃であるミノは4つの胃の中で最も大きく、その形が蓑(雨具の蓑)に似ていることが名前の由来とされています。二番目のハチノスは、内側が蜂の巣のような細かい網目模様になっていることからその名がつきました。三番目のセンマイは、ヒダが幾重にも折り重なった構造をしており、食べ物の量を調整する役割を担っています。そして四番目のギアラは、胃の中でも唯一消化液を分泌する、他の動物でいう本来の胃に近い働きをする部分で、名前の由来には諸説あり、戦後に報酬(ギャラ)代わりにこの部位が配られたことに由来するという説や、腸のような働きをすることから「偽腹(ぎはら)」と呼ばれていたという説が伝わっています。ひとつの胃袋が4段階に分かれ、それぞれに見た目由来の名前がついているという構造を知ると、ホルモン盛り合わせの見え方も変わってきます。

ホルモンという呼び名はどこから来たのか

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

内臓肉全般を指す「ホルモン」という言葉には、関西弁で「捨てるもの」を意味する「放るもん」が訛ったものだという説が広く知られています。しかし、この語源説は俗説である可能性が高いと指摘されています。ホルモン料理という呼び名自体は戦前から存在しており、当時はスッポン料理のような内臓以外の滋養強壮食まで含めて「ホルモン料理」と呼ばれていた記録が残っています。

この事実を踏まえると、ホルモンという言葉は、明治以降に日本へ伝わったドイツ医学の影響を受け、体内の働きを整える生理活性物質を指す医学用語の「ホルモン(Hormon)」から、栄養豊富で精がつく食べ物という意味合いで転用された、という説のほうが有力とされています。「放るもん」説は語感としてわかりやすく広まりやすい話ですが、実際の成り立ちはもう少し学術的な背景を持っていたようです。

日本人が牛肉を食べ始めたのは実はそれほど昔ではない

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

現代では当たり前に食べられている牛肉ですが、日本で牛肉食が一般に定着したのは、実はそれほど古い話ではありません。7世紀に出された肉食を忌避する命令以来、長らく表向きは肉食を避ける文化が続いていましたが、実際には庶民のあいだで薬用や滋養強壮の名目で肉が食べられていた記録も残っています。

大きな転機となったのは明治時代です。明治天皇が牛肉を口にしたことが公になり、肉食解禁が広く知られるようになりました。その背景には、諸外国との外交の場で牛肉を用いた食事を提供したいという事情や、国民の体格向上のために良質なたんぱく源を広めたいという国の方針があったといわれています。すき焼きのような牛肉料理が庶民のあいだに広まったのもこの時期からで、さらに焼肉というスタイルが日本で一般化したのは戦後になってからのことです。牛の部位を選んで好みの食べ方を楽しむという、今では当たり前の光景は、日本の食文化の中ではまだ100年ほどの歴史しか持っていません。

部位を知ってから眺める焼肉屋のメニュー表

牛の部位はなぜこんなに細かく分かれているのか

牛の部位がここまで細かく呼び分けられているのは、単なる名付けの趣味ではなく、筋肉の動き方という体の構造と、それぞれの国や時代が育ててきた食文化が重なり合った結果です。カルビとロースの違いを知っているだけでも十分焼肉は楽しめますが、その奥にある「なぜこの部位はこの名前で、こんな味になるのか」という背景を知っていると、次に焼肉屋のメニュー表を開いたときの見え方が少し変わってくるはずです。

サーロインの俗説、仙台と牛タンの偶然の出会い、放るもんではなかったホルモンの語源。ひとつひとつはささいな豆知識でも、並べてみると牛一頭の中に、言葉の歴史や地域の工夫、国ごとの食文化の違いまでがぎっしり詰まっていることに気づきます。今度焼肉屋やステーキ店に行く機会があれば、値段や食感の違いだけでなく、その部位が背負ってきた背景にも少し目を向けてみると、いつもの一皿がより味わい深いものになるかもしれません。

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参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
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偏愛のミカタ PinTo Times