あの名曲の歌詞を書いたのは誰か、知っておきたい作詞家一覧

カラオケで十八番の曲を歌うとき、メロディや歌手の名前はすぐに思い浮かんでも、その歌詞を誰が書いたかまで意識する人は多くありません。作詞家は、ヒット曲の背後にいながらもっとも顔が見えにくい職業のひとつです。しかし一つひとつの曲を丁寧にたどっていくと、時代ごとに個性豊かな書き手が存在し、それぞれの言葉選びがその時代の空気そのものを形作ってきたことが見えてきます。

同じ歌でも、誰がどんな経緯で言葉を紡いだのかを知ってから聴き直すと、それまで気にも留めていなかったフレーズの選び方や、サビの一言に込められた意図がふと立ち上がってくることがあります。ここでは昭和から令和まで、日本の音楽シーンを支えてきた代表的な作詞家を紹介しながら、作詞という仕事の仕組みや面白さを掘り下げていきます。

一曲のヒットの裏には必ず作詞家がいる

あの名曲の歌詞を書いたのは誰か、知っておきたい作詞家一覧

歌手やアーティストの名前はジャケットの表側に大きく載り、作曲家の名前もクレジットで比較的目に入りやすい位置にあります。それに対して作詞家の名前は、歌詞カードの隅に小さく記されるだけのことがほとんどです。ところが、サビの一節が頭から離れなくなるような曲ほど、実はその言葉選びに膨大な試行錯誤が積み重ねられています。同じメロディでも、乗せる言葉次第で曲の印象はまったく変わってしまうため、作詞家は「歌の人格を決める仕事」とも言えます。

日本の音楽シーンでは、一人の作詞家が数千曲という単位で作品を残す例が珍しくありません。これは海外のソングライティング文化と比べても際立った特徴で、専業の作詞家というポジションが職業として確立してきた歴史の長さを物語っています。自分で作詞から作曲、歌唱までをこなすシンガーソングライターも数多く活躍する一方で、歌う人と詞を書く人があえて分かれている楽曲が今も途切れず生まれ続けているのは、日本のポピュラー音楽ならではの特徴と言えるかもしれません。

昭和の歌謡曲を切り拓いた作詞家たち

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阿久悠、5000曲を超える言葉の職人

阿久悠は生涯で5000曲以上を作詞したとされる、昭和を代表する作詞家です。山本リンダ「狙いうち」、沢田研二「勝手にしやがれ」、都はるみ「北の宿から」、ピンク・レディー「UFO」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、八代亜紀「舟唄」など、世代を超えて歌い継がれる曲の多くに彼の名前があります。

もともと広告会社に勤めながら放送作家として活動していた阿久は、兼業が禁止されていた会社に知られないよう、悪友をもじった筆名として「阿久悠」を名乗り始めたといいます。本人はのちに、自分が作詞家になれたのはビートルズの来日がきっかけだったと語り、その衝撃を「日本の音楽のビッグバン」と表現しています。「津軽海峡・冬景色」に登場する「ごらん あれが竜飛岬」のくだりは、石川さゆりの出身地を石川県ではなく津軽だと思い込んで書いたエピソードが残っており、事実の誤認から生まれた一節が結果的に名曲の顔になったという、作詞という仕事ならではの偶然も垣間見えます。

なかにし礼、シャンソン訳詩から歌謡曲の頂点へ

なかにし礼は大学在学中からシャンソンの訳詩を手がけ、その原稿料で学費をまかなっていたという異色の経歴を持つ作詞家です。1964年の「知りたくないの」で作詩家としての活動を本格化させ、以後「今日でお別れ」「石狩挽歌」「北酒場」「時には娼婦のように」など、生涯でおよそ4000曲を作詞しました。

細川たかしの「北酒場」を書いた際には、耳元で「北酒場」という言葉が囁かれるように降りてきて、世の中の人々がその曲を歌う光景まで見えたという逸話を本人が語っています。作詞家としての活動にとどまらず、2000年には小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞するなど、言葉の仕事を歌の外側にも広げていった人物でもあります。

松本隆、はっぴいえんどのドラマーから歌謡界の巨匠へ

松本隆は、日本語ロックの先駆けとされるバンド「はっぴいえんど」でドラムを担当していた人物です。バンド解散後、1974年にアグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がヒットしたことをきっかけに作詞家としての活動を本格化させました。

1980年代には松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦、中山美穂など、数多くのアイドル歌手に詞を提供し、寺尾聰「ルビーの指環」ではレコード大賞の大賞と作詞賞を同時に受賞しています。KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」や、アニメ「マクロスF」の挿入歌として若い世代にも広まった「星間飛行」まで、ジャンルを超えて詞を書き続け、その作詞数は2100曲を超えるといわれています。ロックバンドの現場から歌謡曲の頂点まで駆け上がった経歴は、作詞家という仕事の間口の広さを象徴しています。

売野雅勇、たった一曲で時代の空気を塗り替えた書き手

売野雅勇は1981年、シャネルズ(後のラッツ&スター)の「星くずのダンス・ホール」で作詞家としてデビューしました。デビュー当初は思うようにヒットが出ず、本人が「50曲くらいは書いた」と振り返るほど地道な下積みを重ねていましたが、1982年に中森明菜へ書き下ろした「少女A」が大ヒットし、一気に時代を代表する作詞家へと駆け上がります。

中森明菜のデビュー当初は、素直で可憐なイメージの楽曲と、不機嫌さや反抗心をにじませたイメージの楽曲が交互にリリースされており、売野雅勇はその「不機嫌な少女」路線を一手に引き受けていました。作曲家の芹澤廣明とのコンビは黄金タッグと呼ばれ、「涙のリクエスト」「め組のひと」などチェッカーズの数々のヒット曲でも息の合った仕事ぶりを見せています。一人の作詞家が背負うイメージの路線がアイドルのキャラクター作りそのものに直結していたことがわかる例です。

平成から令和へ、時代とともに変わる作詞のスタイル

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秋元康、アイドル文化を支え続ける多作の書き手

秋元康が作詞を手がけた楽曲は、歌詞データベースの検索だけでも3000曲を超え、関連する仕事すべてを含めると4000曲から5000曲に達するとも言われています。おニャン子クラブの時代から、AKB48、乃木坂46、欅坂46といったアイドルグループの楽曲を数多く手がけ、欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」のように、それまでのアイドル像を塗り替える曲も生み出してきました。

一方でアイドル楽曲以外にも、JEROの「海雪」や、稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」のようなミリオンセラーの歌謡曲も手がけており、若い世代向けの楽曲と、幅広い年代に届く歌謡曲との両方を書き分けられる点が、長く第一線に立ち続けている理由のひとつと考えられます。

つんく、ロックバンドのボーカルからプロデューサーへ

つんくは、ロックバンド「シャ乱Q」のフロントマンとしてデビューした後、モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトの総合プロデュースを手がけるようになった人物です。モーニング娘。の代表曲「LOVEマシーン」は176万枚以上を売り上げるヒットとなりましたが、この曲ではフレーズごとにメンバーが歌い回す構成が採られ、一人ひとりの個性を前面に出す仕組みが歌詞と歌唱法の両面から作られています。

つんくの詞には言葉遊びが随所に散りばめられているのも特徴で、JASRACへの登録楽曲数は1600曲を超えるといわれています。バンドマンとしての感性を、アイドルグループのプロデュースという異なるフィールドに持ち込んだ点が、他の作詞家とは異なる個性になっています。

いしわたり淳治、バンドマン出身の言葉の職人

いしわたり淳治は、青森県出身で1997年にロックバンド「SUPERCAR」のメンバーとしてデビューし、オリジナルアルバム全7枚とシングル全15枚の作詞をすべて自身で手がけました。バンド解散後は作詞家として活動の場を広げ、Superfly「愛をこめて花束を」、Little Glee Monster「世界はあなたに笑いかけている」、King & Prince「ツキヨミ」など、幅広いアーティストに詞を提供しています。

これまでに700曲以上の楽曲制作に携わっており、映画「SING」シリーズの日本語版歌詞監修を担当するなど、翻訳に近い言葉選びのセンスが求められる仕事にも携わっています。バンドで自ら詞を書いていた経験が、他者の楽曲に言葉を乗せる仕事に活きている好例といえます。

児玉雨子、小説から作詞の世界に入った令和世代の書き手

児玉雨子は1993年生まれで、高校2年生のときに集英社のすばる文学賞に応募した小説がきっかけとなり、作詞家としてのキャリアをスタートさせました。2011年に情報番組の主題歌でデビューして以降、アンジュルムやJuice=Juice、つばきファクトリーといったハロー!プロジェクト系のアイドルグループを中心に詞を提供し、近年はアニメやゲーム関連、男性グループへの歌詞提供にも活動の幅を広げています。

小説家としての顔も持ち合わせている点は、言葉に対する向き合い方が従来の作詞家像とは少し異なることを感じさせます。文学の世界から音楽の世界へと言葉を運んできた経歴は、作詞という仕事が必ずしも音楽畑の出身者だけのものではないことを教えてくれます。

一覧で振り返る、時代を彩った作詞家たち

あの名曲の歌詞を書いたのは誰か、知っておきたい作詞家一覧

ここまで紹介してきた作詞家たちの活動時期や代表曲を一覧にすると、日本の音楽シーンがどのように移り変わってきたのかがより見えやすくなります。

作詞家 主な活動時期 代表曲の例 特徴
阿久悠 1970年代〜1990年代 「UFO」「舟唄」「津軽海峡・冬景色」 生涯5000曲超、歌謡曲黄金期の中心人物
なかにし礼 1960年代〜2010年代 「北酒場」「石狩挽歌」 シャンソン訳詩出身、小説家としても活躍
松本隆 1970年代〜現在 「ルビーの指環」「硝子の少年」 元はっぴいえんどのドラマー、作詞数2100曲超
売野雅勇 1980年代〜 「少女A」「め組のひと」 芹澤廣明との黄金タッグでアイドル像を確立
秋元康 1980年代〜現在 「サイレントマジョリティー」「海雪」 3000曲超、アイドル楽曲から歌謡曲まで多作
つんく 1990年代〜現在 「LOVEマシーン」 バンドマン出身、ハロー!プロジェクトを牽引
いしわたり淳治 2000年代〜現在 「愛をこめて花束を」「ツキヨミ」 元SUPERCAR、700曲超に言葉を提供
児玉雨子 2010年代〜現在 ハロー!プロジェクト楽曲など 小説家との二刀流、令和世代の書き手

こうして並べてみると、バンドマン出身者と歌謡曲畑出身者、専業作詞家とプロデューサー兼任の書き手が、それぞれの時代でバトンを渡すように活躍してきたことが見えてきます。

詞が先か曲が先か、作り方に隠れた個性

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作詞と作曲の順番には大きく分けて二つの方法があります。曲を先に作ってから歌詞を当てはめる方法を「曲先」、歌詞を先に書いてからメロディを乗せる方法を「詞先」と呼びます。

曲先はメロディやコード進行を自由に組み立てられるため、鼻歌からでも着手しやすく、初心者にも取り組みやすい方法とされています。一方の詞先は、歌詞という制約が先に存在する分メロディの作り方は縛られますが、伝えたい言葉やテーマを最初にはっきりさせられるという利点があります。シンガーソングライターの槇原敬之は、歌詞を書くことが一番労力のかかる作業だからこそ先に済ませておきたいと語っており、詞先を選ぶ理由が作り手によってまったく異なることがうかがえます。

どちらの方法にも決まった正解があるわけではなく、一曲ごとに使い分ける作り手も多く存在します。ヒット曲がどちらの手順で生まれたのかを知ると、同じ曲でも聴こえ方が少し変わってくるかもしれません。

作詞家に印税はどれくらい入るのか

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作詞家の収入を語るうえで欠かせないのが、JASRACを通じて分配される著作権使用料、いわゆる印税の仕組みです。一人の作詞家と一人の作曲家で作られた楽曲の場合、音楽出版社が使用料の50%を受け取り、残る50%を作詞家と作曲家がそれぞれ25%ずつ受け取るのが一般的な分配率とされています。

シングルCDを例に取ると、価格のおよそ6%が著作権印税に充てられる仕組みになっています。仮に1枚1000円のシングルCDが1万枚売れた場合、著作権印税の総額は60万円で、そのうち作詞家の取り分は25%にあたる15万円ほどになりますが、そこからJASRACの手数料や税金が差し引かれるため、実際の手取りはさらに少なくなります。もっとも、この分配率は法律で一律に定められたものではなく、当事者間の契約によって変わる部分も大きいとされています。CDの売り上げが縮小し配信が主流になった現在では、こうした収入構造そのものも少しずつ変化を続けています。

なぜ作詞家は顔が見えない存在なのか

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作詞家という職業を専業として続けられる人はごくわずかで、近年はアーティスト自身が自分の言葉で詞を書くケースも増えています。プロの作詞家として生計を立てている人の数は、プロ野球選手やプロゴルファーよりもさらに少ないとも言われるほどです。

それでも第一線で活躍を続ける作詞家たちの多くは、あえて表舞台に出ることを好まない傾向があります。世間からは好奇心旺盛で華やかな人柄を想像されがちですが、実際には至って普通の生活を送っていると語る作詞家も少なくありません。歌詞という形で強い言葉を世に送り出す一方で、その言葉を紡いだ本人は静かに日常を過ごしている、というギャップこそが、作詞家という仕事の面白さのひとつなのかもしれません。

阿久悠のように筆名の由来にドラマがある人もいれば、なかにし礼のように小説の世界でも大きな評価を得た人、児玉雨子のように文学賞への応募をきっかけに作詞の世界へたどり着いた人もいます。表舞台に立つ機会は少なくとも、それぞれが歩んできた道のりは驚くほど多彩です。

次にお気に入りの曲を聴くときは、歌詞カードの片隅に記された作詞家の名前にも目を向けてみると、これまでとは違う角度からその曲を楽しめるはずです。何気なく口ずさんでいたサビの一節が、誰のどんな経験から生まれた言葉だったのかを知るだけで、聴き慣れたはずの曲が少し違う表情を見せてくれることがあります。

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参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

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偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
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