懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

三つ揃いのスーツについた小さな胸ポケット、時代劇で老人がパチンと蓋を開ける丸い時計、『不思議の国のアリス』で白ウサギが握りしめていたあの道具。懐中時計は今も映像や服飾の中でよく見かけます。ですが、実際に時刻を確認するためだけに懐中時計を使っている人には、めったに出会いません。かつて紳士の必需品だったこの時計は、いつ、どんな事情で日常から退場したのでしょうか。たどってみると、技術の進歩だけでは説明がつかない、戦場の判断や事故の教訓、産業の激変、そしてスマートフォンという大きな波が何重にも重なっていることが見えてきます。

懐から取り出す時計が生まれた経緯

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

携行できる時計の元祖とされるのが、ドイツ・ニュルンベルクの時計師ペーター・ヘンラインが1512年頃に作った携帯用時計です。真鍮製の重い円筒形で、時針が1本しかない代わりに彫刻や装飾が施されており、後に「ニュルンベルクの卵」と呼ばれるようになりました。ゼンマイを動力源にしており、連続して40時間動いた記録が残っています。もともとは据え置き時計の延長として、ネックレスのように首から下げたり、ポーチに収めて持ち歩いたりする使われ方が主流でした。

この携行時計を「懐に収める時計」として定着させたのは、服装文化の側の変化です。17世紀の英国でチャールズ2世が衣服改革を提唱し、ジャケット・ベスト・パンツを組み合わせる三つ揃いのスーツが生まれると、落とさずサッと取り出せるよう、ベストに専用の「ウォッチポケット」が設けられるようになりました。懐中時計という名前自体、懐の中に収めるという所作に由来しています。

日本に懐中時計が広まったきっかけは、1873年(明治6年)の改暦です。太陰太陽暦から太陽暦へ、さらに不定時法から定時法へ制度が切り替わったことで、それまでの和時計が役に立たなくなり、外国商館を通じて輸入された懐中時計が急速に普及しました。当時の輸入時計の9割以上を占めたとされるこの「商館時計」は、金側の懐中時計を中心に、官僚や富豪のあいだでステータスシンボルとして流行したと伝わっています。国産化が進むのはそこから20年ほど後のことで、1881年に創業した服部時計店が1892年に工場「精工舎」を設立し、わずか10余名の工員からスタートしたこの工場は、まず掛時計の製造に成功したのち懐中時計の開発に着手し、1895年には国産懐中時計「タイムキーパー」の製造を始めています。国産初の腕時計「ローレル」が完成するのは、さらに20年近く後の1913年のことでした。

ポケットから取り出すという所作に意味があった時代

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

懐中時計が単なる計時具にとどまらなかったのは、持ち歩き方そのものが文化として育ったからです。英国ではヴィクトリア女王の配偶者アルバート公にちなんだ「アルバートチェーン」が1861年頃から大流行しました。チェーンの先端にあるTバーをベストのボタンホールに通し、もう一方のクリップを懐中時計に留めることで、紛失や落下から守る仕組みです。チェーンが1本のシングルタイプと2本のダブルタイプがあり、ダブルタイプには鍵巻き時計用の鍵や薬入れ、マッチ入れを吊るすこともあったといいます。

懐中時計の蓋にも、使い方に応じたいくつかの型がありました。蓋のない「オープンフェイス」が最も標準的な型で、取り出してすぐ時刻を確認できるうえ、蓋の蝶番がムーブメントに直結していないぶん埃が入りにくいという利点があります。これに対して、文字盤を保護する上蓋が付いた「ハンターケース」は、もともと狩猟中に落馬しても時計が壊れにくいようにという理由から生まれた名前だと言われています。さらに、ハンターケースの蓋の中央がドーナツ状に抜けていて、閉じたままでも針の位置がうっすら読み取れる「ハーフハンター(デミハンター)」という折衷型も作られました。後にレイルロードウォッチの規格が蓋のないオープンフェイスを標準に指定したのは、まさにこの「埃が入りにくい」という利点を重視したからです。

手巻き式の懐中時計には、リューズを回してゼンマイを巻くという毎日の所作が欠かせません。カリカリという独特の巻き心地と音は、現代の手巻き時計愛好家のあいだでも「時計に命を吹き込む儀式」として好まれている感覚で、懐中時計の時代から変わらず残っているものです。ポケットから取り出し、蓋を開いて目を落とし、またしまうという一連の流れは、単に時刻を知るためだけの行為にとどまらず、紳士としての振る舞いの一部になっていました。『不思議の国のアリス』で白ウサギがツイードのジャケットに懐中時計を合わせ、「大変だ、遅刻する」とつぶやきながら取り出す場面は、19世紀ヴィクトリア朝イギリスにおいて懐中時計が紳士階級の象徴だったことを反映した描写だとされています。

両手がふさがるという欠点が、戦場で致命的になった

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

懐中時計の使い方には、ポケットから取り出し、蓋を開けて見て、しまうという一連の動作がどうしても必要で、その間は片手が使えなくなります。日常生活ではさほど問題にならなかったこの欠点が、第一次世界大戦の塹壕戦で致命的な弱点として浮き上がりました。

手榴弾を投げてから爆発するまでの時間を把握し、毒ガス攻撃や弾幕射撃の開始を部隊全体で合わせる必要がある戦場では、兵士は素早く正確に時刻を確認しながら、同時に両手で武器を構えていなければなりません。トレンチコートの下から懐中時計を引き出す動作は、その数秒が命を分けかねない状況を生みました。そこで考案されたのが、革ひもや金属のラグで時計を手首にくくりつける着け方です。当時はまだ腕時計そのものが普及していなかったため、小さめの懐中時計に手作りのワイヤーラグを溶接したものが数多く使われました。1916年7月のニューヨーク・タイムズ紙は「ヨーロッパの新聞ではストラップウォッチの話題が多く取り上げられている。現代の戦争では将校や兵士が時刻を知る必要があることが証明されているためだ」と報じており、この年までにヨーロッパのすべての陸軍でストラップ式の時計が採用されるに至りました。

この変化がいかに急だったかは、当時の男性の意識の落差からもわかります。大戦からわずか20年ほど遡れば「男性は腕時計をつけるぐらいならスカートをはくほうがましだ」と思われていたほど、腕時計は女性の装身具とみなされていました。それが大戦後には「腕時計をつけていないところを見られたくない」という感覚に反転したと言われており、戦場という特殊な環境が、服飾の常識を数年で書き換えてしまったことになります。

この移行期をそのままデザインに取り込んだのが、1917年にカルティエが発表した「タンク」です。第一次世界大戦のソンムの戦いで初めて実戦投入されたルノー製戦車の平面図をモチーフにしたケースで、それまでの腕時計の多くが懐中時計の丸いケースにラグを溶接しただけの改造品だったのに対し、タンクは最初から腕時計として設計された次世代の一台でした。キャタピラをかたどった縦枠がラグと一体化したこの直線的なデザインは、今も同じ名前のまま販売が続いています。

鉄道事故が刻みつけた「正確さ」への執念

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

腕時計への移行が進む一方で、懐中時計そのものの設計は、むしろ精度を競う舞台として鍛え上げられていった時期もありました。1891年、米国オハイオ州のキプトンで、対向する2本の列車が正面衝突する事故が発生しました。原因を調べたところ、片方の列車の機関士が携行していた懐中時計が、実際の時刻より4分遅れていたことが判明しています。乗務員が命を落とすこの惨事を機に、1893年には鉄道用の時計に「1週間で誤差30秒以内」という厳格な精度規格が定められました。各メーカーはこの規格を満たす高精度な懐中時計の開発にしのぎを削り、「レイルロードウォッチ」と呼ばれる専用規格の時計が発達していきます。

この規格づくりを主導したのが、ウェブ・C・ボールという人物です。キプトンの事故調査に関わった時刻監督官だったボールは、1893年に鉄道時計の標準規格を定め、その内容はふたを持たないオープンフェイス構造、文字が読み取りやすい白地盤と太字のアラビア数字、最低17個の宝石(ルビー)を使った機構、5つの姿勢で調整された精度、摂氏1度前後の温度変化にも耐える補正機能、そして「1週間で誤差30秒以内」という厳格な基準まで及びました。ボール自身の名前は、今も高級時計ブランド「ボールウォッチ」として残っています。

日本の国鉄でも、一般の腕時計より厳しい独自の精度基準が設けられ、乗務員は毎朝「検時」と呼ばれる時刻合わせを義務付けられていました。基準を外れた時計は使用が許可されないという徹底ぶりです。そして興味深いことに、この鉄道の現場では、今も懐中時計がまったく廃れていません。運転士は運転台に据えられた置き台に大型の懐中時計をセットして使っており、その理由は、視線を前方からそらさず時刻を確認できること、文字盤が腕時計より大きく読み取りやすいことにあります。懐中時計は日常の携行品としては姿を消しましたが、最も正確さが求められる現場にだけ、形を変えて生き残ったとも言えます。

クオーツショックが機械式の存在感を奪った

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

1969年12月25日、セイコーが世界初の量産型クオーツ腕時計「クオーツアストロン」を発売しました。精度は当時の機械式時計のおよそ100倍とされ、しかも量産できる価格を実現していました。セイコーがこの技術を特許公開したことで各メーカーが追随し、1970年代から80年代にかけて安価なクオーツ式腕時計が市場を一気に席巻します。

この激変の規模は数字で見るとわかりやすくなります。1970年に1600社以上あったスイスの時計メーカーは、1980年代半ばには600社を割り込みました。時計産業の就業者数も1970年の9万人から1984年には3万3千人まで減少し、1980年代前半の輸出高は1974年と比べて半分以下に落ち込んだとされています。この一連の再編は「クオーツショック」と呼ばれ、スイスの時計産業は後にスワッチのような低価格帯の量産モデルで巻き返すまで、長い停滞を経験しました。

懐中時計はこの時点ではすでに日常の計時手段としての地位を腕時計に譲っていましたが、クオーツショックはさらにその先の変化を押し進めました。機械式の時計そのものが「正確に時刻を知るための道具」から「手仕事の技術と趣味性を楽しむための道具」へと位置づけを変えていったのです。懐中時計もこの流れに乗り、実用品というより嗜好品、コレクションの対象として扱われる度合いが強まっていきました。

スマートフォンが時計という道具そのものを溶かした

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

2020年代に入って加速したのが、懐中時計どころか腕時計そのものが要らなくなるという、もう一段大きな現象です。2026年に実施されたクロス・マーケティングの調査では、腕時計を持っていない人の割合がこの10年で10ポイント以上増えたと報告されています。別の調査でも、腕時計を所有していない人は全体の4割近くに達し、30代女性に限ると半数に迫るという結果が出ており、腕時計を身につけない理由としてもっとも多く挙げられたのは「携帯電話・スマートフォンがあるから」でした。

懐中時計がかつて腕時計に奪われた弱点は、「取り出すのに手間がかかる」ことでした。今、スマートフォンという一台で時刻も連絡も決済もまとめて担うデバイスの前では、腕時計自体が同じ構図で弱点を抱える側に回っています。時計という道具そのものが不要になっていく大きな流れの中では、懐中時計はもはや一周遅れという言葉では済まない位置に立っていることになります。

それでも懐中時計が生き延びている場所

懐中時計が使われない理由は、戦場で両手を欲しがった兵士たちにあった

実用品としての懐中時計が完全に姿を消したわけではありません。先に触れた鉄道運転士の計器としての役割に加えて、三つ揃いスーツのベストに残るウォッチポケットは、懐中時計を持ち歩いていた時代の名残として今も仕立ての中に受け継がれています。

懐中時計自体の構造にも、腕時計に取って代わられて当然と言える弱点がいくつもありました。蓋を開閉する仕掛けがあるぶん、隙間から埃が入り込みやすく、蓋をきれいに閉めるためにガラスを薄く平らに作る必要があったため、割れやすいという欠点も指摘されています。重さがあるぶん、固い場所に落とした際の衝撃も大きくなります。

それでも、ゼンマイを巻く手応えや蓋を開ける音、アルバートチェーンの重みといった、腕時計にもスマートフォンにもない所作の豊かさを求めて、アンティーク収集やクラシックな装いを好む人たちのあいだで、懐中時計は今も選ばれ続けています。

もう一つ、懐中時計が今も選ばれる場面があります。退職祝いや還暦祝いの贈り物です。名前や日付を刻印できる懐中時計は、毎日身につける道具ではなくなったからこそ、特別な日のためだけに取り出す一生の記念品としての価値を帯びるようになりました。普段使いの座を腕時計やスマートフォンに譲ったことが、結果的に懐中時計を「特別な贈り物」という別の役割に押し上げたとも言えます。実用の第一線からは退きながらも、使われない理由を一つずつ積み重ねつつ完全には消えずに生き残っているところに、この小さな発明の面白さがあります。

こうして時系列で並べてみると、懐中時計が退場していく過程には、一度きりの出来事というより何段階もの波が重なっていたことがわかります。

時期 出来事 懐中時計への影響
1512年頃 ヘンラインが携帯用時計を製作 携行できる時計そのものが誕生
1861年頃 アルバートチェーンが英国で流行 持ち歩き方が紳士文化として定着
1891〜93年 キプトン鉄道事故とレイルロードウォッチ規格制定 精度競争の舞台として進化
1916年 欧州陸軍がストラップウォッチを採用 日常の携行品としての地位を腕時計に譲る
1969年 クオーツアストロン発売 機械式時計全体が嗜好品へ位置づけを変える
2020年代 スマートフォンの普及で腕時計所有率が低下 時計という道具自体の必要性が縮小

懐中時計はこの表のどの段階でも、一度に姿を消したわけではありません。役割を少しずつ譲り渡しながら、鉄道の運転台やクラシックな装いの中に居場所を残してきたのです。

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参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times