心象風景で捻り出す歌詞の方が好きな理由は、作詞家たちの手法を辿ると見えてくる
深夜に一人で音楽を聴いていて、何でもない一行の歌詞にふと胸をつかまれた経験を持つ人は少なくないでしょう。その歌詞が、具体的な物語でも励ましの言葉でもなく、ただ「窓辺の光」や「夜道の匂い」といった風景の断片だけで出来ていることに、あとから気づくこともあります。SNSでは「心象風景で捻り出す歌詞の方が好き」という声を見かけることがありますが、これは単なる個人の好みにとどまらず、日本の作詞という仕事の中に実際に存在する、はっきりとした技法の分かれ道を指しています。
歌詞には、風景だけを描いて感情そのものには触れない書き方と、具体的な物語を骨格として組み立てる書き方、さらに企画やコンセプトから言葉を立ち上げる書き方という、まったく異なるアプローチが並び立っています。どの作詞家がどの手法を選んできたのかを辿っていくと、「心象風景派」と呼べる系譜が確かに存在し、そこに惹かれる理由も見えてきます。
風景だけを描いて感情を説明しない、松本隆という技法
「心象風景型」の作詞家として、まず名前が挙がるのが松本隆です。1969年秋、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とともに結成したはっぴいえんどでドラムスと作詞を担当していた頃から、都市に暮らす人々の心象風景をですます調で描く独特の作風を持っていました。つげ義春や永島慎二といった『ガロ』系の漫画家、渡辺武信の現代詩などから影響を受けており、感情を直接説明する言葉を使わずに、景色の中にそれを埋め込むという方法を早い時期から確立していたとされています。
この手法が最も広く知られるようになったのは、松田聖子へ提供した一連の楽曲です。松本隆はそこで、季節ごとに、その季節の中に立つ主人公の心象風景を描くという作り方を繰り返しました。恋をしているとも、悲しいとも書かず、季節の匂いや光の角度だけを置いていく。それでも聴き手には主人公の心情がはっきりと伝わってくるのは、具体的な色彩表現を多用しているためだと指摘されています。「緋色」や「蒼」といった言葉を使うことで、曲を聴いているだけでは意識しないはずの景色の移り変わりを、聴き手の中に起こしているのです。
Web eclatのインタビューで、松本隆は自身のキャリアを振り返りながら「心のみずみずしさは、死ぬまでなくならない」と語っています。デビューから半世紀以上が経ったあとも新しい景色を探し続けてきたという本人の言葉は、感情を直接語らず景色として提示するという手法が、技巧というより生き方そのものだったことを物語っています。
「君は天然色」に隠されていた、色を失った風景

松本隆の心象風景的な手法が最も個人的な形で結晶したのが、大滝詠一との共作で1981年に発表された「君は天然色」です。この曲が作られた時期、松本隆は妹の看病をしており、妹を亡くした直後の衝撃で、しばらく詞が書けない状態に陥っていたと語っています。
神戸新聞などの取材によれば、妹を失った松本隆は、好きだった喫茶店やレコード店が並ぶ渋谷の街を歩いていても、目の前の光景が白黒に見えたといいます。「想い出はモノクローム」というフレーズを、多くの聴き手は懐かしい恋を思い出す心象風景だと受け取りましたが、本当の意味は違いました。妹を失い、どん底の精神状態で見た街の色、それ自体を歌詞にしていたのです。続く「色を点けてくれ」という一節についても、松本隆は「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい、染めてほしいという願いだった」と後に明かしています。この真意は、作曲者である大滝詠一にも長く伝えられていなかったといいます。物語の筋を語らず、色という感覚だけを置くことで、個人的な喪失をポップスの中に溶かし込んだ、心象風景型の作詞法がもっとも鮮明に表れた例といえます。
荒井由実から米津玄師まで続く、情景を心の中に映す系譜

景色だけを置いて心情を伝える手法は、松本隆一人の専売特許ではありません。荒井由実(後の松任谷由実)が1973年11月に発表した1枚目のアルバム『ひこうき雲』は、デビュー期の楽曲から冒頭でいきなり情景描写に入るのが特徴とされています。表題曲「ひこうき雲」の「白い坂道が空まで続いていた、ゆらゆらかげろうが あの子を包む」という一節は、具体的な場所の説明をほとんどしないまま、聴き手の中に鮮明な風景を立ち上げます。「翳りゆく部屋」のように、時間の経過に合わせて情景そのものが移り変わっていく映画的な構成を取った曲もあります。ストーリーを語らず、景色の変化だけで心情を伝えるという方法論は、松本隆とも共通する点です。
この系譜は現代にも続いています。米津玄師は、映画「君たちはどう生きるか」の主題歌「地球儀」について、宮崎駿監督への共鳴だけでなく、その映画の世界観が自身の心象風景と重なっていたと語っています。「ナンバーナイン」では、滅んでしまった未来の東京、砂漠になった東京という具体的なビジュアルイメージを先に思い描き、そこから曲を立ち上げたことを明かしています。物語の筋よりも先にイメージそのものが存在しており、心象風景型の作詞に近い立ち位置にいます。
米津玄師には「心像放映」という曲もあり、タイトルそのものが「心に浮かぶ像」を意味する「心像」と、それを映し出す「放映」を組み合わせた造語になっています。1stアルバム『diorama』に収録されたこの曲は、届かない誰かに自分の心を映してほしいと願う独白として解釈されており、最後に出てくる「古いテレビ」という言葉が、心を映す装置として機能しています。「心に浮かぶ像」という言葉そのものを曲名に取り込んでしまうあたりに、この系譜の作詞家たちが景色とイメージをどれほど重視しているかが表れています。
あいみょんも、言葉と旋律が同時に浮かんでくることが多く、コード進行に合わせて口をついて出てきた言葉をそのまま歌詞にしていくという、14歳の頃から変わらない作り方を続けていると日本経済新聞の取材で述べています。設計図より先に、その場で浮かんだ景色や言葉を信じる態度。これもまた、この系譜に共通する姿勢です。
正反対の立場に立つ阿久悠、完璧なフィクションという手法
一方で、まったく逆の方法論を貫いた作詞家もいます。生涯で5000曲を手がけたとされる阿久悠です。長く阿久悠と組んだ作曲家の都倉俊一は、「プロの作詞家はフィクションでストーリーを作るものだが、自分の体験を基に物語を書く人も多い。阿久さんだけは完璧なフィクションだった」と評しています。
その手法が典型的に表れているのが、ピンク・レディーの「サウスポー」です。JASRACの企画記事によれば、この曲は王貞治が本塁打の世界記録に迫っていた時期の社会的な熱気を題材にしていますが、歌詞のどこにも王貞治の名前や世界記録という言葉は一度も出てきません。代わりに、ヒロインの男の子を、王貞治に匹敵するほどの強敵として描くという、空想小説のような構成を取っています。阿久悠自身は著書「作詞入門」の中で、作詞が人を書く仕事である以上、人間観察から目をそらせないと述べており、現実の社会の空気を大量に取り込みながら、それを完全な虚構の物語として再構成するという、心象風景型とは対照的な技法を持っていました。
同じく物語性を重視した作詞家として知られる中島みゆきも、日常の風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々にスポットライトを当て、その心情を曲に乗せる作風を持っています。風景の描写がまったく無いわけではありませんが、最終的には人物とその物語に焦点が結ばれていく点で、阿久悠に近い側の手法といえます。
企画そのものから歌詞を立ち上げる、秋元康という第三の道

物語型とも情景型とも異なる第三の立ち位置にいるのが秋元康です。放送作家としての出発点を持つ秋元康は、どの曲も「なぜこの歌が成立するのか」という企画を先に立ててから詞を書くという、作家性よりもプロデュース的な発想を基盤にしています。Real Soundの記事では、秋元康と中田ヤスタカの作詞術を比較しながら、秋元康が音の響きよりも言葉そのものを重視し、メロディに負けないくらいの強度で詞を組み立てていく姿勢が紹介されています。
また、秋元康は比喩を多用することでも知られています。例えば日向坂46の楽曲では、過ぎ去ってしまう夏の時間を止めておきたいという気持ちを「夏をジャムにしよう」という行為に例えるなど、一つの比喩を軸にタイトルからコンセプトまでを一貫させる手法を得意としています。情景型が個人の内側にある景色を描き、物語型が人物の人生を描くのに対し、秋元康型は「この企画なら誰にどう届くか」という外側の設計から歌詞を立ち上げている点で、まったく異なる出発点を持っていることが分かります。
Real Soundの比較記事では、同じ秋元康の作品であっても、作曲とサウンドプロデュースを担う中田ヤスタカの側では、言葉の意味よりも音の響きやリズムそのものが先に設計されていることが指摘されています。言葉が景色を描くための道具なのか、物語を運ぶための道具なのか、それとも音そのものの一部なのかという違いは、同じプロジェクトの中でも作家ごとにはっきり分かれているのです。
| タイプ | 代表的な作詞家 | 出発点 | 具体例 |
|---|---|---|---|
| 情景型(心象風景型) | 松本隆、荒井由実、米津玄師 | 個人の内側にある景色やイメージ | 「君は天然色」「ひこうき雲」「地球儀」 |
| 物語型 | 阿久悠、中島みゆき | 人物とその人生、架空のストーリー | 「サウスポー」 |
| 企画型 | 秋元康 | 企画やコンセプト、届け方の設計 | 「この夏をジャムにしよう」 |
音楽批評が示す歌詞の三分類、情景型はなぜメロディと喧嘩しないのか

こうした手法の違いは、音楽批評の世界でも整理が試みられています。音楽批評を書くブロガーのベンシモ氏は、自身のnoteで歌詞を「情景型」「心情型」「音響型」の三つに分類しています。情景型は世界や景色そのものを描く歌詞で、具体的な映像が浮かびやすく、抽象的な言葉が少ないためメロディの邪魔をしにくいという特徴があるとされています。対して心情型は「心」「愛」「寂しさ」といった言葉を直接使う歌詞で、文章としては強くなる一方、メロディとぶつかりやすいとも指摘されています。
この整理をそのまま借りるなら、松本隆や荒井由実、米津玄師の作詞は情景型に近く、阿久悠や中島みゆきは物語の中に情景を挿入しながら進む形、秋元康は企画そのものを言葉にするという、どの型にも収まらない独自の立ち位置が見えてきます。もちろんこれは一人の批評家が提示した見立てであり、実際の作詞家たちの仕事はもっと複雑に型をまたいでいますが、「情景型がポップスと相性が良い」という指摘は、心象風景型の歌詞が長く支持されてきた理由の一端を説明しているように思えます。
70年分のヒット曲が映す、歌詞が何かを探すようになった時代

こうした情景型の歌詞が増えてきた背景には、歌詞そのものの時代的な変化もあります。朝日新聞のICTRADチームが、1950年代から2020年までのヒットソング約1343曲を対象にテキストマイニングを行った調査では、全体の約1割にあたる125曲が「何かを探す」というテーマを含んでいることが分かりました。1950年代から60年代にはほとんど見られなかったこの傾向は、1990年代に急増しており、それ以降も増加傾向が続いているといいます。
同調査では、歌詞の中で探されている対象の上位に「君」「もの」「愛」「あなた」「光」「場所」「言葉」「何か」といった言葉が並んでいることも示されています。「何か」という、探している対象そのものが明確でない言葉が上位に入っている点は印象的です。研究チームは、生活が便利になった時代ほど、内面的な充足を求める歌詞が増えていくと分析しています。具体的な物事が満たされた後に残る、形にしにくい欠落感を言葉にしようとすると、輪郭のはっきりした物語よりも、曖昧で個人的なイメージに寄った歌詞になりやすい。そうした見方もできそうです。これは一つの仮説にすぎませんが、心象風景型の歌詞が支持を広げてきた背景を考える上で、手がかりになる調査結果だと思います。
歌詞考察というジャンルが示す、聴き手が余白を読みに行く現象
こうした情景型の歌詞が多くの余白を残すという性質は、実は一つのジャンルを生み出しています。「歌詞考察」と呼ばれる記事や動画です。歌詞サイトのうたてんには、ヒャダインが一曲ずつ歌詞を読み解く連載があり、荒井由実の「雨の街を」もその対象になっています。米津玄師の作品については、seeek.worldやOTOKAKE(オトカケ)といった音楽メディアが、一行ごとの言葉の意味や、曲に込められた背景を推測する考察記事を数多く公開しています。
物語型の歌詞であれば、起きている出来事がはっきりしているため、考察の対象になりにくい面があります。一方、情景の断片だけが置かれた心象風景型の歌詞は、読み手に解釈の余地を残すため、同じ曲について何通りもの考察記事が書かれることになります。この「考察したくなる」という現象自体が、心象風景型の歌詞が持つ構造的な特徴をよく表しているといえそうです。
心象風景型の歌詞に惹かれる理由、そこに残された余白について

物語型の歌詞は、誰が聴いても大筋では同じ場面を思い浮かべます。登場人物がいて、出来事があり、結末がある。それに対して情景型、つまり心象風景型の歌詞は、具体的な説明を削ぎ落としているぶん、聴き手自身の記憶がそこに入り込む余白を多く残しています。「ひこうき雲」の坂道を聴くとき、人はそれぞれ自分の記憶の中にある坂道を思い出し、「君は天然色」の色を失った街を聴くとき、人はそれぞれ自分だけが知っている失ったものを思い出します。
「心象風景で捻り出す歌詞の方が好き」という感覚は、歌詞そのものの完成度や巧みさを評価しているというより、自分の記憶や経験が入り込める隙間の大きさを求めている感覚なのかもしれません。松本隆が妹の死という極めて個人的な出来事を、物語にせず色の喪失という感覚だけに変換したからこそ、「君は天然色」は聴く人それぞれの喪失の記憶と結びつきました。阿久悠の完璧なフィクションにも、秋元康の企画力にも、それぞれ別の魅力がありますが、心象風景型の歌詞が持つこの余白の大きさは、作詞という仕事がいまも多様な方法で成立していることを教えてくれます。
参考
- 松本隆さん作詞「君は天然色」 大滝詠一さんにも明かさなかった真意 亡き妹の記憶 歌詞に込め 昭和56年:東京新聞デジタル
- 作詞家・松本隆、名曲「君は天然色」秘話語る 妹の死に直面「目の前の光景白黒に」:神戸新聞NEXT
- 聖子のヒットソングを数多く手がけた作詞家・松本隆が試みた謎のフレーズ
- 心のみずみずしさは、死ぬまでなくならない【作詞家 松本 隆インタビュー《前編》】|Web eclat
- 荒井由実(松任谷由実)『雨の街を』を読み解く!【ヒャダインのこの歌詞がすげえ!】
- 米津玄師「地球儀」の歌詞の意味は? 宮﨑駿から受け取ったものと『君たちはどう生きるか』との共鳴
- 【米津玄師/心像放映】歌詞を徹底解釈!心が見えたらいいのに…と願う切ない歌詞の世界に触れてみよう - OTOKAKE
- あいみょん 曲の作り方は14歳のころから変わらない - 日本経済新聞
- 秋元康と中田ヤスタカの作詞術はどう違う? プロデューサーが生み出す言葉を読み解く - Real Sound
- 秋元康による“四字熟語曲”、なぜ神曲多い? 櫻坂46筆頭に考えるタイトル含めたコンセプト作りの妙 - Real Sound
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