清少納言から向田邦子まで、時代で読み解く随筆家一覧

「随筆」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは学校の古典の授業で暗唱させられた「春はあけぼの」かもしれません。あるいは実家の本棚に並んでいた、テレビでおなじみの誰かのエッセイ集を思い出す人もいるでしょう。実は随筆というジャンルは、平安時代の宮廷女性から昭和のお茶の間の人気者まで、驚くほど幅広い書き手を巻き込みながら、千年以上にわたって日本語の文章表現を支えてきました。

今回は、日本の随筆というジャンルがどのように生まれ、どんな書き手によって受け継がれてきたのかを、代表的な随筆家を軸にたどっていきます。単なる人名の羅列ではなく、それぞれの随筆家が「なぜ書いたのか」「何が新しかったのか」に注目すると、随筆というジャンルの意外な奥行きが見えてきます。

随筆とエッセイの違いから見える「随筆家」の輪郭

清少納言から向田邦子まで、時代で読み解く随筆家一覧

随筆家という言葉を使う前に、まず「随筆」がどんな文章を指すのかを整理しておきます。随筆は、実際にあった出来事についての見聞や感想を、形式にとらわれず自由に書き記した文章を指します。起源は10世紀末ごろに成立したとされる「枕草子」にさかのぼるとされています。

一方、よく似た言葉に「エッセイ」がありますが、こちらは16世紀にフランスの思想家モンテーニュが発表した『随想録』を起源とするのが定説で、フランス語で「試み」を意味する「essai」に由来します。もともとの成り立ちで見ると、随筆が個人的な体験や感想を自由につづる文体であるのに対し、エッセイは特定のテーマについての考えを論理的に展開する文体、という違いがあったとされます。

もっとも、現在の日本ではこの区別はかなり曖昧になっており、随筆的な内容の文章がエッセイと呼ばれることも珍しくありません。それでも「随筆家」という肩書きには、単発の書き手というより、長年にわたって身辺雑記や社会観察を書き続けてきた文筆家、というニュアンスが込められています。

似た言葉に「日記文学」もありますが、こちらは日々の出来事を時系列で記録していくスタイルが基本になります。これに対して随筆は、必ずしも時系列に沿う必要がなく、思いついた話題ごとに章段を立てて書き進められる点が特徴です。この自由な形式こそが、平安時代の宮廷から現代のコラム欄まで、随筆というジャンルが長く生き延びてきた理由のひとつだと考えられます。この記事でも、古典の時代から続く「随筆」という日本語の系譜に沿って、代表的な書き手を見ていきます。

日本三大随筆に見る、随筆というジャンルの原点

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随筆というジャンルの原点を語るうえで欠かせないのが、「枕草子」「方丈記」「徒然草」の三作品です。成立した時代も作者の立場もまったく異なるこの三作は、まとめて「日本三大随筆」と呼ばれ、今も高校の古典の授業で扱われています。面白いのは、同じ「随筆」というジャンルでありながら、三作が向いている方向がまったく違うという点です。

清少納言と枕草子、明るい「をかし」の美意識

「枕草子」を書いた清少納言は、一条天皇の后である藤原定子に仕えた女房でした。執筆のきっかけは、定子の兄である藤原伊周が献上した貴重な紙を、定子が「これに何を書けばよいかしら」と清少納言に下賜したことだったと伝えられています。里帰りで時間を持て余していた清少納言は、その紙に思いつくままのことをつづり始め、これが後の枕草子になっていきました。

内容の中心にあるのは、知的な興味をそそられるような、明るく感覚的な「をかし」の美意識です。同時代に紫式部が書いた「源氏物語」がしみじみとした「もののあはれ」を基調にしているのに対し、枕草子は定子のサロンの華やかさを伝えたいという清少納言の思いもあってか、陰鬱さを感じさせない作風になっているのが特徴です。

鴨長明と方丈記、災害を見つめた無常観

鴨長明が鎌倉時代前期に書いた「方丈記」は、枕草子とは対照的に、災厄の記録から始まります。安元の大火、治承の辻風、福原への遷都、養和年間の飢饉と疫病、元暦の大地震という、当時京都を襲った五つの災厄が生々しく描かれ、その後、出世の道を断たれた長明が出家し、一丈四方(畳にしておよそ五畳半ほど)の小さな庵にたどり着くまでの経緯がつづられています。

実際に見聞きした災害の描写を土台に、人の命や社会のありようがいかに移ろいやすいかを説く無常観が、作品全体を貫いています。同じ随筆というジャンルでも、明るいサロン文化を背景にした枕草子とは、まったく異なる出発点を持っていたことがわかります。

兼好法師と徒然草、傍観者としての批評眼

三作の中でもっとも新しいのが、兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期に書いたとされる「徒然草」です。当時の社会や世相についての意見、人々の逸話や教訓、自然や人生についての感想などが、幅広い話題にわたってつづられています。方丈記のように自分の身の上を中心に据えるのではなく、傍観者的な立場から物事を見つめ、故事や宗教、趣味まで幅広い話題を扱っているのが特徴です。

三作に共通するのは、一文一文が比較的短く、簡潔に書かれている点です。この簡潔さこそが、随筆というジャンルが持つ身軽さの原点だったのかもしれません。三作の違いを整理すると、次のようになります。

作品 作者 成立時期の目安 書き手の立場 全体を貫く基調
枕草子 清少納言 平安時代中期(11世紀初頭) 宮廷に仕える女房 明るく知的な「をかし」
方丈記 鴨長明 鎌倉時代前期(13世紀初頭) 出家した元神官 災厄を通じて見る無常観
徒然草 兼好法師 鎌倉時代末期(14世紀前半) 出家した元官人 傍観者としての批評眼

同じ「随筆」という器に、宮廷生活の華やかさも、天災の記憶も、世相への批評も収まってしまうという事実こそが、このジャンルの懐の深さを物語っています。

近代文学者が随筆にのめり込んだ理由

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時代が下って明治から昭和にかけて、随筆というジャンルは小説家や学者たちにとっても重要な表現手段になっていきます。その代表格が、物理学者でありながら随筆家としても知られる寺田寅彦です。寺田は夏目漱石の門下生の中でも最古参の一人で、漱石からは弟子というより対等な友人として扱われていたと伝えられています。専門である物理学の視点を持ち込みながら、身近な自然現象や日常の出来事をやわらかい筆致で描くのが持ち味で、専門分野の異なる学問領域を随筆というかたちで橋渡ししようとした書き手だったといえます。

同じく漱石門下から出た内田百閒も、随筆家としての存在感が際立つ書き手です。1933年に刊行した『百鬼園随筆』をはじめとする一連の随筆で、ユーモアと風刺に富んだ独自のジャンルを築きました。小説家としても活動しながら、飄々とした語り口で身辺の出来事をつづるスタイルは、後の昭和の随筆家たちにも大きな影響を与えたとされています。

学者や小説家が本業のかたわらで随筆を書き続けたという事実は、随筆というジャンルが「片手間の余技」ではなく、専門分野では書ききれない物の見方を表現するための、もうひとつの創作手段だったことを物語っています。

昭和を代表する女性随筆家たちの視点

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昭和の随筆史を語るうえで欠かせないのが、多彩な顔を持つ女性たちの存在です。脚本家であり小説家でもあった向田邦子は、エッセイ集『父の詫び状』によって随筆家としての地位を不動のものにしました。同書には「魚の目は泪」「ごはん」「父の詫び状」といった作品が収められており、家族や食卓といった身近な題材の中に、時代の空気をすくい取る観察眼が光ります。向田は1981年に飛行機事故で急逝しますが、その随筆は没後も長く読み継がれています。

骨董や能、日本の伝統文化への深い知識を随筆に昇華させたのが白洲正子です。幼いころから習っていた能をはじめ、骨董や仏像、寺社仏閣といった題材を通じて、日本の伝統を独自の視点で伝える随筆を数多く残しました。

一方、須賀敦子はイタリア文学の翻訳者として活動したのち、50代後半になってから随筆家として脚光を浴びるという、遅咲きの経歴を持つ書き手です。『ミラノ霧の風景』などの作品では、イタリアでの暮らしの記憶が、静かで端正な文章でつづられています。専業の物書きとして早くから活動していたわけではない書き手が、人生の後半で代表作を生み出したという点も、随筆というジャンルの懐の深さを物語っています。

文豪の家に生まれたことが随筆家としての出発点になった例もあります。幸田文は、小説家の幸田露伴の次女として生まれ、一度は嫁いだものの離婚を経て、晩年の父のもとに戻りました。露伴の没後、父との記憶をつづった文章を次々に発表し、1954年に発表した『黒い裾』で読売文学賞を受賞します。57歳を過ぎてから発表した『台所のおと』などの随筆では、父から仕込まれた暮らしの作法や、台所仕事、着物といった具体的な題材を通じて、身体で覚えた感覚を丁寧に言葉に置き換えていく筆致が持ち味でした。

お茶の間から生まれた国民的エッセイスト

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随筆家というと文学の世界の人物を思い浮かべがちですが、昭和後期から平成にかけては、漫画家や芸能人がエッセイストとして活躍する流れも広がっていきました。その代表格が、漫画家の東海林さだおです。週刊朝日で長年続いた連載「あれも食いたいこれも食いたい」をベースにした「丸かじりシリーズ」は、1988年刊行の『タコの丸かじり』から始まり、食べ物ひとつを徹底的に掘り下げるユーモラスな筆致で長年愛され続けています。

漫画家がエッセイストとして国民的な人気を得た例としてもうひとつ欠かせないのが、さくらももこです。1991年に刊行された初のエッセイ集『もものかんづめ』は、単行本と文庫版を合わせて累計250万部を売り上げるベストセラーとなりました。刊行された1991年は、代表作『ちびまる子ちゃん』のアニメが国民的な人気を得始めていた時期と重なっており、漫画家としての知名度がエッセイの人気を後押しした側面もありますが、身の回りの出来事をとぼけた語り口でつづる文章そのものが、幅広い読者の心をつかんだこともまた事実です。

平成以降のエッセイストが見つめた「ふつうの生活」

清少納言から向田邦子まで、時代で読み解く随筆家一覧

平成に入ると、専業のエッセイストとして活動する書き手も次々に登場します。群ようこは書店に勤めながらエッセイを書き始め、1984年に刊行した『午前零時の玄米パン』をきっかけに独立した書き手です。以後、『かもめ食堂』などの小説作品も手がける一方で、肩肘を張らない「ふつうの生活」を見つめ続けるエッセイで支持を集めてきました。

酒井順子は、2003年に発表した『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞し、一躍名前が知られるようになったエッセイストです。未婚や子どものいない生き方を「負け犬」という言葉で自虐的に切り取りながら、同時代の女性たちの空気感をすくい上げたこの作品は、随筆というジャンルが持つ、世相を映す鏡としての機能を改めて示した一冊だったといえます。

こうした平成のエッセイストたちに共通するのは、清少納言や向田邦子のように宮廷や芸能界という特別な舞台を持たなくても、自分自身の暮らしや生き方を見つめる視線そのものが、読者の共感を呼ぶ随筆になり得るということです。

随筆家とタレント本の境界線はどこにあるのか

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漫画家やタレントが手がけるエッセイが増えるにつれて、しばしば話題になるのが「随筆家(エッセイスト)」と、いわゆる「タレント本」の境界線です。昭和56年(1981年)には、歌手や俳優、司会者、コメディアンなど、様々な著名人が出版した本を22のジャンルに分けて紹介するムック本が刊行されるほど、著名人による書籍はひとつの市場として確立していました。

ただ、東海林さだおやさくらももこの例を見てもわかるように、著名人が書いた文章がすべて一過性の「タレント本」で終わるわけではありません。むしろ、身近な題材を独自の観察眼と文体で切り取り、繰り返し読み継がれる作品にまで昇華できるかどうかが、随筆家として名前が残るか、一冊きりの著書で終わるかを分けているように見えます。清少納言が定子のサロンを、向田邦子が昭和の家庭の食卓を、さくらももこが子供時代の何気ない一日を描いたように、優れた随筆はいつの時代も、誰もが知っている景色を少しだけ違う角度から見せてくれるものなのかもしれません。

ここまで紹介してきた随筆家を、時代と代表作、特徴とあわせて一覧にまとめると次のようになります。

随筆家 活躍した時代 代表作 特徴
清少納言 平安時代中期 枕草子 宮廷生活を明るい「をかし」で描写
鴨長明 鎌倉時代前期 方丈記 災厄の記憶から無常観を描く
兼好法師 鎌倉時代末期 徒然草 傍観者としての幅広い批評眼
寺田寅彦 明治〜昭和初期 寺田寅彦随筆集 物理学者の視点で日常を描写
内田百閒 大正〜昭和 百鬼園随筆 ユーモアと風刺に富む語り口
幸田文 昭和 台所のおと、黒い裾 暮らしの作法を丁寧な観察で描写
白洲正子 昭和 巡礼の旅 能や骨董など日本の伝統文化を描写
向田邦子 昭和 父の詫び状 家族や食卓から時代の空気をすくう
須賀敦子 昭和後期〜平成 ミラノ霧の風景 遅咲きで見つめたイタリアでの記憶
東海林さだお 昭和後期〜平成 丸かじりシリーズ 食べ物ひとつを徹底的に掘り下げる
さくらももこ 平成 もものかんづめ 子供時代をとぼけた語り口で描写
群ようこ 平成 午前零時の玄米パン 肩肘を張らない「ふつうの生活」
酒井順子 平成 負け犬の遠吠え 同時代の女性たちの空気感を描写

こうして時代を追って随筆家をたどっていくと、平安貴族の宮廷生活から平成のベストセラーまで、書き手の立場も時代背景もまったく異なるにもかかわらず、身近な出来事を自分の言葉ですくい取ろうとする姿勢だけは、驚くほど一貫していることに気づかされます。次に誰かのエッセイを手に取るときは、その書き手がどんな時代の、どんな景色の中からその文章を書き始めたのかを想像してみると、また違った読み方ができるかもしれません。

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参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
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