「面白い」の語源は、目の前がパッと光るあの瞬間。神話と歴史で紐解く「白い顔」の物語

私たちが普段、会話の中で何気なく使っている「面白い」という言葉。 改めて漢字を眺めてみると、「面(かお)」が「白い」と書きますよね。

「興味があるとき、どうして顔が白くなるの?」 そんなふうに不思議に思ったことはありませんか?

実はこの漢字には、私たちの遠い祖先が体験した「暗闇がパッと明るくなる感動」が、そのままタイムカプセルのように閉じ込められているのです。

「面白い」の正体は、単なる感情ではなく、「視界が明るく開ける」という物理的な光の記憶。 暗闇や迷いの中にいたとき、目の前の景色が鮮やかに照らされ、世界がはっきりと見えるようになる。その劇的な変化を感じた瞬間の高揚感が、この言葉のルーツです。

今回は、神話の世界から江戸時代の笑いまで、この言葉に刻まれた「光」の歴史を一緒に辿ってみましょう。

「面白い」の語源|キーワードは「光」と「白」

「面白い」の成り立ちには、大きく分けて2つの説があると言われています。 どちらの説にも共通しているのは、「明るさ」と「白」というキーワード。古代の日本人にとって「白い」とは、単なる色の名前以上に、「はっきりしている」「輝いている」というポジティブな状態を指す言葉でした。

【説①】焚き火で顔が白く照らされた(神話・宴会説)

一つ目は、日本最古の歴史書『古事記』にある「天岩戸(あまのいわと)神話」に由来する、とてもドラマチックな説です。

太陽の神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)が岩戸に隠れてしまい、世界が深い闇に包まれたあのお話。困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、岩戸の前で賑やかな「祭り」を開くことにしました。 そこで芸能の女神、アメノウズメノミコトが、伏せた桶の上で滑稽かつ情熱的な踊りを披露します。

そのあまりの賑やかさに、神々は高天原が揺れるほどドッと笑い声を上げました。 「闇の中で、なぜこれほど楽しそうなの?」 不思議に思ったアマテラスが少しだけ岩戸を開けた、その時です。

隙間から漏れ出た光が、外で待ち構えていた神々の顔(面)を白々と照らし出しました。

暗闇で何も見えなかった状態から、お互いの顔がはっきりと輝いて見えるようになった。その様子を見て、神々が「あな、おもしろ(ああ、顔が白い=明るい!)」と歓喜したこと。これが、言葉の始まりだとされています。

【説②】目の前の景色がパッと明るく開けた(情景説)

二つ目は、もっと日常的で感覚的な体験に基づく説です。

「面」という字には「顔」のほかに「目の前」という意味もあります。 深い霧の中を歩いているときや、うっそうとした森を抜けた瞬間に、パッと視界が開けて美しい景色が目に飛び込んでくること、ありますよね。

この「目の前(面)が白々と明るくなる(白い)」様子を、古代の日本人は「おもしろし」と表現しました。

当時の「白」は、霧や闇が晴れて物事が鮮明になる「顕(しる)し」という言葉にも通じていました。物理的に視界が晴れ渡る体験が、やがて「心が晴れ晴れする」「興味を惹かれる」という精神的な状態を表す言葉へと育っていったのです。

歴史で見る「面白い」の変遷

言葉は生き物のように、時代とともにその意味を広げていきます。平安貴族が愛した「面白さ」と、江戸っ子が求めた「面白さ」には、興味深い違いがありました。

平安時代の「をかし」との深い関係

平安時代において、「面白い」は主に風景や物事に対する知的な賞賛として使われていました。特に、清少納言の『枕草子』に代表される美的感覚「をかし」とは兄弟のような関係にあります。

「をかし」は「明朗で知性的な感覚美」。何かを見て、その美しさや特徴を客観的に捉え、「なるほど、これは興味深い」と納得するような感情です。当時の「面白い」もこれに近く、目の前の景色が優れていることや、その場の風情が素晴らしいことを指していました。

『万葉集』には、こんな歌が残されています。

「山越えて 海渡るとも おもしろき 今城の中は 忘らゆましじ」 (山を越え、海を渡って遠くへ行っても、この美しい今城の地の情景は決して忘れないだろう)

ここでは、風景が「光り輝くように鮮やかであること」への純粋な感動が語られていますね。

現代の「funny(おかしい)」に変わったのはいつ?

「面白い」が現代のような「笑える」「滑稽だ」という意味に近づいたのは、室町時代から江戸時代にかけてのことです。

室町時代に成立した「狂言」では、人間の失敗や日常の滑稽さを描きますが、この中で演じられるおかしな様子が「をかし(おかしい)」と呼ばれ、次第に笑いのニュアンスが強まっていきました。

さらに江戸時代に入ると、『東海道中膝栗毛』のような「滑稽本(こっけいぼん)」が大流行。弥次さん喜多さんのドタバタ劇を楽しむ文化が定着する中で、「興味深い」という意味だった「面白い」は、次第に「ゲラゲラ笑える」「ユーモアがある」という意味をたっぷりと含むようになったのです。

併せて知りたい!「つまらない」の語源は?

「面白い」の対極にある「つまらない」。この由来を紐解くと、日本人が何を「価値あるもの」と考えてきたかが見えてきます。

「詰まる」の否定形としての成り立ち

「つまらない」は、動詞の「詰まる」に否定の「ない」が組み合わさった言葉です。

現代では「行き詰まる」などネガティブなイメージが強い「詰まる」ですが、かつては全く逆のポジティブな意味を持っていました。

  • 「筋が通る・納得する」:話の筋道がはっきりし、心にストンと落ちる。
  • 「決着がつく」:物事が最後まで行き着き、解決する。
  • 「価値がある」:中身がぎっしり詰まって充実している。

これに対し、「つまらない」とは、「話の筋道が通っておらず納得できない」「期待した結果に到達しない」「中身が空っぽ」という不満の状態。この「納得がいかない」という感覚が、やがて「興味を惹かれない」「価値がない」という意味へと転じていったのです。

「くだらない」との違いは?

似た言葉に「くだらない」がありますが、有力なのは「下る(=通じる、理解される)」の否定形とする説です。「お経の意味が下らぬ(=分からない)」から、価値がないという意味になりました。 よく聞く「江戸へ送る『下り酒』ではないから価値がない」という説は、実は後付けの俗説と言われています。

「面白い」と「おかしい」の違い

現代ではどちらも「笑える」シーンで使われますが、言葉のプロは明確に使い分けています。その違い、ご存知ですか?

「面白い」=能動的な興味(プラスの発見)

「面白い」は、対象に対して自分から進んで関心を持つ、プラス評価の言葉です。

  • 知的なワクワク感:新しい発見や、未知の仕組みに触れて心が動く。
  • 肯定的評価:その対象が自分にとって価値がある。
    (例)「この研究テーマは奥が深くて面白い」「彼のユニークな視点は面白い」

「おかしい」=客観的なズレ(違和感による笑い)

一方で「おかしい」は、物事が「普通」や「常識」から外れていることへの反応です。

  • 滑稽・不自然:予期しない動きや、不釣り合いな様子。
  • 不審・異常:マイナスの違和感。 (例)「靴下を左右逆に履いているなんておかしいよ」「計算が合わない、どこかおかしい」

「面白い」は自分の内面を照らす光、「おかしい」は外側のズレを指摘する視点。そう考えると、使い分けもしっくり来ますよね。

おわりに

「面白い」という言葉の奥には、天岩戸をこじ開けて光を取り戻した神々の歓声や、霧が晴れた瞬間に広がる美しい山河の風景が隠されていました。

現代社会では、何かに行き詰まってしまい、先が見えない闇の中にいるような感覚を覚えることもあるかもしれません。 しかし、そんなときこそ「面白い」という言葉の本来の力を思い出してみてください。

それは、「暗闇に光を当て、視界を白く(はっきりと)輝かせる」という、極めて前向きなエネルギーを持つ言葉です。

次にあなたが「面白い!」と感じたとき、心の中ではきっと天岩戸が開き、新しい世界が光り輝いているはず。語源を知ることは、日常を少しだけ明るく照らす、知的な魔法なのです。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times