都々逸(どどいつ)とは? 7・7・7・5のリズムで詠む「粋」な大人の遊び。名作から作り方まで徹底解説【保存版】

この記事でわかること

  • 都々逸の基本ルール:俳句とは違う「7・7・7・5」のリズムがなぜ心地よいのか、その歴史と「粋」な理由
  • 名作・傑作選:高杉晋作の情歌から現代のSNS投稿まで、恋愛・ユーモア・風刺を描いた厳選作品とその鑑賞ポイント
  • 実践的な作り方:初心者でも今日から作れるようになる「問いかけ」と「答え」の黄金比や、効果的なオチのつけ方

「都々逸(どどいつ)」。この言葉を耳にしたとき、現代の私たちの脳裏にはどのような情景が浮かぶでしょうか。あるいは、時代劇の遊郭のシーンで三味線を爪弾く芸者の姿でしょうか、それとも寄席の演芸場で響く小気味よい笑い声でしょうか。多くの人にとって、都々逸は「かつて存在した古い遊び」あるいは「通(ツウ)だけが嗜む高尚な趣味」という、どこか遠い存在に感じられるかもしれません。

しかし、その先入観は非常にもったいないものです。なぜなら、都々逸こそは、日本人が無意識のうちに求めている「言葉のリズム」と「感情の解放」を、最も手軽に、かつ洗練された形で叶えてくれる究極のツールだからです。私たちは義務教育の過程で、五・七・五の「俳句」や、五・七・五・七・七の「短歌」に触れ、それらを「日本の定型詩」として認識しています。しかし、俳句が自然や宇宙と対峙し、短歌が個人の内面を朗々と詠い上げるのに対し、都々逸が持つ「七・七・七・五」という26音のリズムは、もっと人肌に近い温度を持っています。それは、誰かに話しかけるような、あるいは酒を飲みながら独りごちるような、飾らない「話し言葉」のリズムそのものなのです。

「難しそう」と身構える必要は一切ありません。都々逸には、俳句のような「季語」のルールもなければ、歴史的仮名遣いなどの堅苦しい文法も不要です。必要なのは、日々の暮らしの中でふと感じる「喜び」「悲しみ」「怒り」、そして「諦めきれない恋心」だけ。それらを少しのリズムに乗せて口ずさめば、不思議と心が軽くなり、日常がほんの少し「粋(いき)」なものへと変わっていきます。

本記事では、江戸の庶民たちが愛し、現代のSNSでも密かなブームを呼んでいるこの「大人の言葉遊び」について、その歴史的背景から名作の深層心理、そして誰でも今日から作れるようになる実践的なテクニックまで、徹底的に解説します。

目次

都々逸(どどいつ)とは? 江戸から続く「情」のリズム

都々逸の基本ルールは「7・7・7・5」の26音

都々逸を定義づける最大の要素、それは「七・七・七・五」という独特の音数律です。合計26文字からなるこの定型詩は、日本古来の和歌(短歌)の三十一文字(五・七・五・七・七)よりも短く、俳句の十七文字(五・七・五)よりは長いという、絶妙な「尺」を持っています。

この「26音」という長さは、人間の感情、とりわけ複雑に揺れ動く「情(じょう)」を表現するのに適しています。俳句のような17音では、感情を極限まで削ぎ落とし、象徴化する必要がありますが、都々逸の26音であれば、物語の因果関係や、会話のやり取り、そして最後に「オチ」をつける余裕が生まれます。

都々逸の数え方は、俳句の「一句」、短歌の「一首」に対し、伝統的には「一章(いっしょう)」と数えます。これは、都々逸が単なる「詩」ではなく、三味線などの伴奏とともに歌われる「章句(歌の文句)」であったことに由来します。しかし、現代の実践の場においては、親しみを込めて「一句」と数えることも一般的になっています。

発祥と歴史:寄席や花街で愛された庶民の即興詩

都々逸という文芸が確立されたのは、江戸時代末期、天保年間(1830年〜1844年)のことです。その起源は、当時流行していた様々な俗曲(ぞっきょく)や民謡にあります。具体的には、常陸(茨城県)の「磯節」や「潮来節(いたこぶし)」、あるいは京都や大坂で歌われていた「よしこの節」、そして名古屋の「名古屋節」などが混ざり合い、江戸の土壌で洗練されていったと考えられています。

この「都々逸」というジャンルを確立し、爆発的なブームを巻き起こした立役者が、都々逸坊扇歌(どどいつぼう・せんか)という一人の芸人です。

1804年(文化元年)、常陸国(現在の茨城県)に医師の子として生まれた扇歌は、やがて芸の道へ進み、船遊亭扇橋(せんゆうてい・せんきょう)の門下となりました。天保9年(1838年)、彼が江戸・牛込の藁店(わらだな)の寄席で高座に上がった際、三味線を抱えて客席からお題を募り、即興で歌を作って謎解きをするという芸を披露しました。その際、名古屋節の囃子詞(はやしことば)である「ドドイツ・ドイドイ」というフレーズを曲の合間に用いたことから、この節回し自体が「都々逸」と呼ばれるようになったのです。

扇歌の芸は、単なる歌の披露にとどまりませんでした。彼は客との掛け合いの中で、当時の政治批判や社会風刺、そして男女の生々しい色恋模様を、ユーモアたっぷりに切り取りました。それは現代で言えば、スタンダップコメディやラップバトルにも通じる、極めてライブ感の強いエンターテインメントでした。

こうして都々逸は、寄席という大衆演芸の場と、花街(遊郭)という大人の社交場の両輪に乗って、江戸中に広まっていきました。遊女たちは客への秘めた想いを都々逸に託し、職人たちは仕事の合間に口ずさむ。まさに、当時の「流行歌(ポップス)」としての地位を確立したのです。

なぜ「粋(いき)」なのか? 口語体で語る魅力

「都々逸は粋(いき)だ」と評される理由は、その表現方法にあります。

都々逸は、徹底して「口語体(話し言葉)」で詠まれます。

和歌や俳句が「文語体(書き言葉)」や「雅語(がご)」を用いることで、日常から離れた高尚な芸術性を志向したのに対し、都々逸はあくまで地べたの生活者の言葉を選びました。

「あきらめましたよ どうあきらめた」

「〜してみたい」

「〜青くなる」

このように、普段の会話そのものが詩になります。しかし、ただの会話と違うのは、そこに「七・七・七・五」という厳格なリズムの枠組みがあることです。

だらだらとした愚痴も、リズムに乗せて整えることで、不思議と客観性を帯び、洗練された「作品」へと昇華されます。感情をむき出しにして叫ぶのではなく、定型というフィルターを通すことで、情念をコントロールし、笑いや美しさに変える。この「抑制の美学」や「諦めの美学」こそが、江戸っ子の美意識である「粋」の正体なのです。

飾らない本音を、洗練されたリズムで語る。このギャップが、現代においても「かっこいい大人の遊び」として都々逸が再評価される理由と言えるでしょう。

まずはこれだけ! 思わず唸る都々逸の有名作品・名作選

都々逸の世界への入り口として、古今の名作を味わうことほど有効な手段はありません。

ここでは、江戸時代から歌い継がれる古典的な名作から、現代的な感覚で楽しめるものまで、テーマ別に厳選してご紹介します。単に歌を紹介するだけでなく、その背景にある文化や物語を深く掘り下げることで、26文字に凝縮されたドラマを解き明かします。

男女の機微を詠む(恋愛・色恋)

都々逸の真骨頂は、なんといっても「情歌(じょうか)」としての側面、すなわち恋愛の歌です。特に、成就しない恋や、道ならぬ恋、遊郭を舞台にした切ない駆け引きなどは、数多くの名作を生み出しました。

幕末の志士が遺した、狂おしいほどの愛と誓い

「三千世界の 鴉を殺し 主(ぬし)と朝寝が してみたい」
(作者:桂小五郎、または高杉晋作とする説あり)

【現代語訳・解釈】
「世界中のカラスをすべて殺し尽くしてでも、あなたといつまでも朝寝をしていたいのです」

これは都々逸の中で最も有名であり、かつ最も強烈な情念を秘めた一章です。

この歌を深く理解するには、当時の遊郭における「約束事」を知る必要があります。

第一に、「カラス」の存在です。夜明けに「カァ」と鳴くカラスは、遊郭における朝の到来、すなわち「客が帰らなければならない時間」を告げる無情な鳥として嫌われていました。

第二に、「熊野牛王符(くまのごおうふ)」という誓紙の存在です。当時、遊女が客に愛を誓う際、熊野権現の護符の裏に誓いの言葉を書く習慣がありました。伝承では、「誓いを破ると熊野のカラスが三羽死ぬ(あるいは血を吐いて死ぬ)」と信じられていました。

この背景を踏まえると、この歌は単に「朝寝坊したい」という甘い願望ではありません。

「私はあなた以外にも多くの男性に愛を誓ってきました(商売上の嘘をついてきました)。だから、私が本当の恋を成就させようとすれば、熊野の神罰によって世界中のカラスが死に絶えてしまうでしょう。それでも構わない。世界中のカラスを殺し尽くしてでも、私はあなたと朝を迎えたいのだ」

という、罪深さと背中合わせの、命がけの恋心を詠っていると解釈できるのです。

作者については、幕末の風雲児・高杉晋作が好んで歌ったとされ、彼自身の作という説や、木戸孝允(桂小五郎)の作という説がありますが、いずれにせよ、明日をも知れぬ志士たちが、束の間の安らぎに命を燃やした情景が目に浮かびます。

複雑な女心と「諦め」の美学

「あきらめましたよ どうあきらめた あきらめきれぬと あきらめた」
(作者不詳)

【現代語訳・解釈】
「もうあの人のことは諦めましたよ。『どうやって諦めたの?』と聞かれたら、『どうしても諦めきれないんだ』という自分の心を認めて、それでしょうがないと(現状維持を)諦めたのです」

これは言葉遊びの極致であり、心理描写の傑作です。「あきらめる」という言葉をリズミカルに繰り返しながら、人間の心理の矛盾を見事に突いています。

「諦めた」と言葉にする時点で、心はまだ相手に囚われています。禅問答のようなこのフレーズは、失恋の痛みや未練を知る人なら誰もが共感できる、普遍的な感情を描き出しています。表面的には「諦めた」と強がりつつ、内実は全く吹っ切れていないという、いじらしさとユーモアが同居しています。

究極の「惚気(のろけ)」

「あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す」
(作者不詳)

【現代語訳・解釈】
「『あの人のどこがそんなに好きなの?』と聞いてくる野暮な人には、『じゃあ逆に、あの人のどこが悪いと言うの?』と言い返してやるわ」

恋に落ちた人間の無敵状態を表した名作です。「あばたもえくぼ」ということわざがありますが、それを会話形式で表現することで、詠み手の勝ち気な性格や、相手への盲目的な愛が生き生きと伝わってきます。論理的な説明を放棄し、感情で押し切る強さが痛快です。

日常の不満を笑いに変える(ユーモア・風刺)

都々逸は恋愛だけでなく、生活の苦労や社会への皮肉を笑い飛ばす装置でもありました。辛い現実も、七・七・七・五のリズムに乗せれば、不思議と軽く感じられるものです。

酒飲みの悲哀と後悔

「赤い顔して お酒を飲んで 今朝の勘定で 青くなる」
(作者不詳)

【現代語訳・解釈】
「昨夜は顔を赤くして楽しくお酒を飲んだのに、翌朝になって請求書(勘定)を見たとたん、金額の高さに顔が青ざめてしまった」

「赤(酔った顔)」と「青(青ざめた顔)」の色彩対比が鮮やかです。たった26文字で、夜の天国から朝の地獄へ転落する様子を描ききる描写力。時代を超えて、二日酔いのサラリーマンが共感できる一句です。

夫婦の微妙な距離感

「うちの亭主と こたつの柱 なくてならぬが あって邪魔」
(作者不詳)

【現代語訳・解釈】
「うちの夫は、こたつの真ん中にある柱(やぐら)と同じようなもの。こたつを支えるためには絶対に無くてはならないものだけど、いざ自分が足を伸ばしてくつろごうとすると、ぶつかって邪魔な存在だわ」

夫を「こたつの柱」に例えるセンスが秀逸です。経済的な支柱としての感謝(なくてはならぬ)と、日常生活での鬱陶しさ(あって邪魔)を同時に表現する、主婦の本音が見事に結晶化されています。現代なら「大型連休の夫」などに置き換えられるかもしれません。

時代を斬る文明開化の音

「ざんぎり頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」
(作者不詳)

【現代語訳・解釈】
「髷(まげ)を落とした短髪(ざんぎり頭)の頭を叩いてみると、新しい時代『文明開化』の音が聞こえてくるようだ」

明治維新の社会変革を象徴する有名な句です。歴史の教科書にも載るほどですが、これも立派な都々逸のリズムです。新しいヘアスタイルを「叩く」という身体的なアクションを通じて、時代の変化に対する高揚感と、少しの揶揄を含んだ庶民の視点が表現されています。

現代人が共感できる「モダン都々逸」

都々逸は過去の遺物ではありません。現代のガジェットや社会状況を詠み込むことで、今の私たちにしか作れない新しい「モダン都々逸」が生まれます。

創作例:

「既読つかぬと 嘆くはおよし 恋の駆け引き 圏外よ」

スマホ時代の恋愛あるあるです。「既読スルー」に一喜一憂する心情を、「圏外」という言葉でオチにつなげています。通信状況の圏外と、相手の関心の圏外を掛けています。

創作例:

「リモートワークと 言ってはみたが 上も下もの パジャマ履き」

コロナ禍以降の日常風景。画面に映らない下半身の手抜き具合を自虐的に詠んでいます。

このように、都々逸は「器」です。その中に盛る料理(テーマ)は、江戸の天ぷらでも、現代のハンバーガーでも、何でも自由なのです。

何が違うの? 「俳句」「川柳」「短歌」との比較表

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日本には多くの短詩型文学がありますが、初心者にとってはその違いが分かりにくいものです。「五・七・五」と「七・七・七・五」の違いだけでなく、その背後にある文化や「座(コミュニティ)」のあり方にも大きな違いがあります。

リズムの違い(57577 vs 7775)と「座」の有無

最大の違いは、やはりリズム(音数律)です。

俳句や川柳が「五・七・五(計17音)」という奇数主体の軽快で短いリズムであるのに対し、都々逸は「七・七・七・五(計26音)」という、より長く、ゆったりとしたリズムを持っています。

また、この「七・七・七・五」には、音楽的な「ノリ」を生み出すための内部構造の秘密があります。都々逸はもともと三味線音楽の歌詞として成立したため、以下のような拍子構造を持っています。

  • 第一句(7音): 「3音・4音」(例:親の・意見と)
  • 第二句(7音): 「4音・3音」(例:なすびの・花は)
  • 第三句(7音): 「3音・4音」(例:千に・ひとつの)
  • 第四句(5音): 「5音」  (例:無駄もない)

特に重要なのが、第二句の「4音・3音」という区切りです。ここが「正調(せいちょう)」のリズムとされ、独特の「溜め」や「粘り」を生み出します。俳句が視覚的に「読む」あるいは「鑑賞する」ものであるのに対し、都々逸は身体的に「口ずさむ(Grooveする)」ものであると言えます。

「季語」はいらない? 都々逸ならではの自由さ

俳句には「季語」を入れるという鉄の掟(有季定型)があり、「切れ字(や、かな、けり)」などの文法も重視されます。これらは、自然との一体化を目指す「座の文芸」としてのルールです。

一方、都々逸には季語は一切不要です。季節感があってもなくても構いません。

また、「川柳」も季語は不要ですが、川柳は主に「笑い・風刺・穿ち(うがち)」といった知的な遊びを目的とするのに対し、都々逸は「情(感情・エモーション)」を主軸に置く点が異なります。

一目でわかる比較一覧表【文字数・ルール・テーマ】

以下の表で、それぞれの特徴を整理してみましょう。この表を見れば、都々逸がいかに自由で、感情表現に特化した形式であるかが一目瞭然です。

形式文字数(音数)内部リズム季語主なテーマ文体雰囲気・特徴
俳句17音 (5・7・5)5・7・5必須自然、季節、花鳥風月文語体が主芸術性が高く、余韻を楽しむ。「座」の文芸。
川柳17音 (5・7・5)5・7・5不要人事、社会風刺、ユーモア口語体が主「サラリーマン川柳」など、滑稽さや皮肉、知的な発見が中心。
短歌31音 (5・7・5・7・7)5・7・5・7・7不要恋愛、個人の感情、日常文語・口語混在「みそひともじ」。主観的な感情を朗々と歌い上げる。
都々逸26音 (7・7・7・5)3/4・4/3・3/4・5不要男女の情愛、粋、本音完全口語「唄」から生まれたリズム。三味線が似合う大人の遊び。

この表を見ると、都々逸が「短歌ほど長くなく、俳句ほど短すぎない」という、感情を吐露するのに最適な長さを持っていることがわかります。これが、初心者でも物語を作りやすい理由です。

あなたも一句! 都々逸の作り方・コツ【初心者向け】

「理屈はわかったけれど、実際に作るのは難しそう…」

そう思う必要はありません。都々逸作りは、パズルのような面白さがあります。ここでは、初心者でもすぐに実践できる「黄金の構成テクニック」を伝授します。

構成の黄金比:「問いかけ(上14音)」と「答え(下12音)」

都々逸の26音を一気に考えようとすると詰まってしまいます。

コツは、大きく「前半(上句)」と「後半(下句)」に分けて考えることです。

  • 前半(七・七): 状況説明、または「問いかけ(フリ)」
  • 後半(七・五): 結論、展開、または「答え(オチ)」

この構造を意識するだけで、小さな物語が生まれます。漫才でいう「フリ」と「オチ」の関係です。

【実践分析:親の意見と茄子の花は】

  • 前半(状況・フリ): 「親の意見と 茄子の花は」
    (ここで読み手は思います。「え? 親の小言と野菜のナス? 何の関係があるの?」と。この「謎」が興味を惹きます)
  • 後半(結論・オチ): 「千に一つの 無駄もない」
    (ナスの花は咲けば必ず実がなる。同様に、親の小言も子供のためになり、無駄がない。ここで二つが見事に繋がり、納得感が生まれます)

まずは、「◯◯と掛けて××と解く」という謎かけのつもりで、前半と後半を考えてみましょう。

最後の「5音」がオチになる! 切れ味鋭い締めくくり方

都々逸の命は、最後の「5音」にあります。

たった5文字ですが、ここで全体を引き締め、読者に「うまい!」と思わせる必要があります。

  • 悪い例: 「焼肉食べたい お腹がすいた お金がないけど まあいいか」
    (「まあいいか」では、締まりがなく、ただの独り言になってしまっています)
  • 良い例(修正): 「焼肉食べたい 財布を開けりゃ 諭吉ひとりが かくれんぼ」
    (「かくれんぼ」という5音の名詞で終わることで、お金がない状況をユーモラスに映像化し、リズムよく終わります)

テクニック:

  1. 体言止め: 名詞で終わる。「〜音がする」「〜百合の花」など。余韻が残ります。
  2. 強い動詞: 「〜してみたい」「〜身を焦がす」。意思の強さを表現できます。
  3. 意外性: 前半の流れを裏切る言葉を置く。「あって邪魔」のように。

字余り・字足らずも味のうち? リズムに乗ればOKな理由

俳句や短歌では、文字数を厳密に守ることが求められがちですが、都々逸はもっと寛容です。

なぜなら、前述の通りもともとが「唄」だからです。歌うとき、歌詞が少し長くても早口で詰め込んだり、短くても伸ばして歌ったりして調整できます。これを「字余り」や「字足らず」と言います。

例えば、「七・七・七・五」ではなく、「八・七・八・五」になっても、リズムに乗ってさえいれば「味が良い」とされます。

むしろ、厳密に文字数を守りすぎてリズムが単調になるよりも、多少崩してでも勢いがある方が、都々逸としては評価されることもあります。

「指折り数えて文字数を合わせるより、声に出して心地よいか」を基準にしましょう。声に出して読んだとき、つっかえずに流れるなら、それは「良い都々逸」です。

上級テクニック「折句(おりく)」で遊ぶ

少し慣れてきたら、「折句(おりく)」あるいは「アクロスティック」と呼ばれる技法に挑戦してみましょう。これは、各句の頭文字をつなげると、ある言葉(隠しメッセージ)になるという高度な言葉遊びです。

【作り方の手順】

  1. お題を決める: 4文字の言葉を選びます。(例:「さ・く・ら・な」=桜な…)
  2. 頭文字を配置する: 各句の最初にその文字を置きます。
  3. 文をつなげる: その文字から始まる言葉で、7・7・7・5を埋めていきます。

【作例:お題「さくらな(桜)」】

  • (さ)いても見事な(咲いても見事な)
  • (く)ろうを知らぬ(苦労を知らぬ)
  • (ら)くには見せない(楽には見せない)
  • (な)きぼくろ(泣きぼくろ)

このように、隠されたメッセージを仕込むことで、都々逸の楽しみは何倍にも広がります。ラブレターの中に相手の名前を隠す、なんていうのも江戸時代から続く「粋な演出」です。

現代における都々逸の楽しみ方

都々逸は、紙の上や教科書の中だけで楽しむものではありません。現代のデジタル社会やエンターテインメントの中で、どのように生き続け、進化しているのかを見てみましょう。

SNS(Twitter/X)で流行する「#都々逸」タグ

驚くべきことに、都々逸はTwitter(X)との相性が抜群です。

Twitterの投稿制限は140文字ですが、都々逸はわずか26文字。解説やハッシュタグを含めても余裕で収まります。さらに、タイムラインを高速でスクロールする現代人にとって、短いリズム感のある言葉は目に留まりやすく、インパクトを残せます。

ハッシュタグ 「#都々逸」 や 「#dodoitsu」 で検索してみてください。そこには、現代の詠み手たちが投稿した数多くの作品が並んでいます。

「今日のランチの感想」「残業の理不尽さ」「推し活の情熱」「政治への皮肉」。テーマは自由自在です。

見知らぬ誰かの都々逸に「いいね」を押したり、リプライで「返歌(へんか)」を返したり。かつて江戸の寄席で芸人と客が行っていた「即興の掛け合い」が、形を変えてインターネット空間で再現されているのです。アカウントさえあれば、あなたも今日から「都々逸ライター」としてデビューできます。

落語や演芸の中で楽しむ都々逸

都々逸を生の声、プロの節回しで聴きたいなら、落語(らくご)の世界に触れるのが一番です。

落語家が本題(噺)に入る前の導入部分を「マクラ」と呼びますが、ここで客席の空気を温めたり、噺のテーマを示唆するために都々逸が披露されることがよくあります。

また、落語家が高座に上がる際に流れる「出囃子」として、三味線とともに都々逸が歌われることもあります。

落語家の語り口で聴く都々逸は、文字で読むのとは全く違う迫力と色気があります。特に、男女の噺(艶笑噺や人情噺)のマクラで語られる都々逸は、物語の世界への最高の導入剤となります。

「あ、この噺家さんは今、あの有名な都々逸を引用したな」と気づけるようになれば、落語鑑賞の楽しみも深まり、あなたはもう立派な「通(ツウ)」の仲間入りです。

7・7・7・5に想いを乗せて、粋な日常を

ここまで、都々逸の歴史、名作の深層、そして具体的な作り方までを長きにわたり解説してきました。「7・7・7・5」というリズムが持つ魔力、そして「粋」という美学の奥深さを、少しでも感じていただけたでしょうか。

都々逸は、特別な教養人のためだけのものではありません。

それは、日々の生活の中で生まれる「喜び」「悲しみ」「怒り」「諦め」といった行き場のない感情を、ほんの少しのユーモアとリズムで包み込み、昇華させるための装置です。

上司に怒られた日、お酒を飲みながら一句。

恋に破れた夜、月を見上げながら一句。

そうやって言葉を紡ぐことで、心の重荷がふっと軽くなり、ただの辛い日常が、少しだけドラマチックで愛おしいものへと変わるはずです。

「難しく 考えないで まず一句」

さあ、次はあなたの番です。

うまいこと言おうとしなくて構いません。あなたの心にある「今の正直な気持ち」を、七・七・七・五の器にそっと乗せてみてください。そこから、あなただけの「粋」な大人の遊びが始まります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あなたの詠む都々逸が、いつか誰かの心を動かす名作となることを願って。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

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