【日本感性】韓国の若者が熱狂する「イルボンカムソン(일본 감성)」は、忘れていた「日常の再発見」だった

この記事でわかること

  • なぜ韓国の若者は、観光名所よりも「錆びた自販機」や「路地裏」に心を奪われるのか?
  • 「引き算の美学」とは異なる、彼ら独自のフィルターを通した「日本感性」の正体
  • 日常を「宝物」に変え、ビジネスにも通じる「文脈の再編集」という視点

Instagramで「#일본감성(日本感性)」というハッシュタグを検索すると、少し奇妙な感覚に襲われるかもしれません。

そこに並んでいるのは、金閣寺の輝きでもなければ、渋谷スクランブル交差点の圧倒的なカオスでもありません。映し出されているのは、地方都市の寂れた商店街、夜道にぽつんと光る自動販売機、あるいは少し錆びついたトタン屋根のバス停……。

「えっ、そこ?」と思わずツッコミを入れたくなるような、私たち日本人にとってはあまりに日常的で、見過ごしてしまいそうな風景ばかり。しかし、それらは驚くほど美しく、どこか切なく切り取られています。

なぜ、韓国のZ世代は、私たちの「当たり前」にこれほどまでの「エモさ」を見出すのでしょうか? 今回は、彼らが掛けている「日本感性」という名のフィルターを借りて、私たちの日常を逆輸入的に眺め直す旅に出かけましょう。

日本感性(일본 감성/イルボンカムソン)とは何か?定義と本質

まず、「日本感性(일본 감성/イルボンカムソン)」という言葉の正体を解き明かしておく必要があります。直訳すれば「日本っぽい雰囲気」となりますが、その内実は私たちが伝統的に大切にしてきた「和」とは少しズレがあります。

「引き算」の美学 vs 「編集」の美学

私たち日本人が自国の美として想起するのは、茶道に代表される「侘び寂び(Wabi-Sabi)」ではないでしょうか。それは、余計なものを極限まで削ぎ落とし、静寂や枯淡を愛する「引き算の美学」であり、そこには長い歴史と格式が横たわっています。

一方で、韓国の若者が熱狂する「日本感性」は、もう少し「日常のファンタジー化」に近いものです。

彼らのレンズを通すと、日本の風景はスタジオジブリの映画のワンシーンのように変換されます。そこにあるのは、完璧な静寂というよりは、「アナログな温もり」や「手触りのある生活感」。

これは決して「間違った日本観」ではありません。むしろ、高度に編集された「美的フィルター」を通した再解釈です。彼らは、日本の街角に落ちている「ノスタルジーの欠片」を拾い集め、現代の感性でコラージュしているのです。それは、私たちがパリの街角にあるなんてことのないカフェに「エスプリ」を感じてしまう構造とよく似ています。

画像で読み解く「エモい日本」の正体(五感とディテール)

では、具体的に彼らは日本の何に反応しているのでしょうか? 彼らの写真には、いくつかの暗黙の「ルール」が存在します。それを言語化すると、私たちが見落としていた日本の魅力が浮き彫りになります。

光と色:蛍光灯ではなく「夕暮れ」の体温

「日本感性」の写真に、青白く鋭利な蛍光灯の光は似合いません。好まれるのは、夕暮れ時の琥珀色の光や、路地裏の居酒屋から漏れる白熱灯の温かさです。

彩度は少し落とされ、コントラストは柔らかく。それはまるで、記憶の中にある風景のように、輪郭が少し曖昧で優しい世界。最新のiPhoneを持ちながら、あえて画質の粗いオールドコンデジや、「Kodak Portra 400」のようなフィルム調の加工を施すのも、この「体温」を表現するためです。

タイポグラフィ:丸ゴシックの魔法

私たちにとって実用一点張りの「丸ゴシック体」や、レトロな看板のカタカナ。これが彼らにとっては、たまらなくキュートなデザイン要素として機能します。

韓国のハングルは直線的で幾何学的な美しさを持っていますが、ひらがなやカタカナの持つ「曲線」や「丸み」は、彼らの目にとても有機的で柔らかく映るようです。古い喫茶店のメニュー表、クリーニング店の看板……そこにある文字は、単なる情報ではなく「かわいい図形」として愛でられているのです。

被写体:「不完全さ」への愛着

彼らのカメラが向くのは、六本木ヒルズのような洗練されたビルよりも、少し塗装が剥げた手すりや、雑多に並んだ自転車です。

日本人が「古臭い」「恥ずかしい」と感じて隠したくなるような「生活の澱(おり)」こそが、彼らにとっては「人間味」の証。この「不完全なものへの肯定」は、逆説的ですが、本来の「侘び寂び」の精神――経年変化を愛する心――と、現代的なポップさが奇跡的に同居した視点と言えるかもしれません。

なぜ今ブームなのか?「ニュートロ」と都市の孤独

なぜ今、韓国の若者は海を越えてまでこの「感性」を求めるのでしょうか? そこには、ソウルという都市が抱える事情が見え隠れします。

「パルリパルリ(早く早く)」社会への処方箋

韓国社会を表す言葉に「パルリパルリ(早く早く)」があります。超高速のインターネット、激しい競争、急速な都市開発。すべてが効率化され、デジタル化されたソウルの生活は、刺激的である反面、常に緊張を強いられます。

そんな彼らにとって、時間がゆっくりと流れている(ように見える)日本の風景は、まさに「癒やし(ヒーリング)」そのもの。

古い木造建築の喫茶店で、店主がゆっくりとドリップコーヒーを淹れる。その非効率な時間こそが、彼らにとっての贅沢な逃避行なのです。

世界的な「Y2K」トレンドとの合流

このブームは、世界的な「ニュートロ(New+Retro)」の潮流とも合致しています8。過去のスタイルを単に懐かしむのではなく、新しい感性で楽しむ。

特に、1980年代の日本の「シティポップ」が世界中で再評価されたように、「豊かで、少し浮かれていて、でもどこか切ない」バブル期の日本のイメージは、彼らにとって「経験したことのないノスタルジー(アネモイア)」を喚起させる装置として機能しています。

ビジネスにも通じる「感性の翻訳」

さて、ここまでの話は単なる若者文化論に留まりません。実はビジネスやブランディングにおいても、非常に示唆に富んだヒントが隠されています。

「文脈の再編集」という魔法

韓国で人気の「日本風カフェ」やスポットを訪れると、彼らの「編集力」に驚かされます。

例えば、ソウルの乙支路(ウルチロ)や聖水洞(ソンスドン)といったエリアでは、古い印刷工場や倉庫をリノベーションしたカフェが大人気です。彼らは、建物の古さを隠すのではなく、むしろそれを「味」として強調し、そこに日本の昭和レトロな照明や家具を配置することで、まったく新しい「文脈」を作り出しています。

聖地は作れる

これは、「あるものを、どう見せるか」という「感性の翻訳」です。

古い喫茶店が、照明ひとつ、メニューのフォントひとつを変えるだけで、若者が行列を作る「聖地」に変わる。それは、物理的なリフォームというよりは、「意味のリノベーション」。

「古さ」を「ボロい」と捉えるか、「ヴィンテージ」と捉えるか。その視点の転換こそが、新しい価値を生む源泉なのです。

おわりに

私たちが「古臭いから新しくしたい」「洗練されていないから隠したい」と思ってきた日本の日常風景。それが海を越え、隣国の若者たちから「憧れの対象」として熱い視線を注がれている。

この事実は、少し皮肉めいていますが、同時に大きな希望でもあります。

特別な観光資源開発をしなくても、莫大な予算をかけて再開発をしなくても、私たちの足元にはすでに「宝物」が転がっているのですから。

明日、街を歩くとき。いつもの通勤路にある錆びた看板が、角のタバコ屋のガラスケースが、あるいは夕暮れ時の電線が、これまでとは違った表情であなたに語りかけてくるはずです。

「ほら、この世界は、意外と悪くないでしょう?」と。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times