「たまごっち」はなぜ社会現象になったのか? 90年代ブームの理由と、Z世代が再評価する“お世話”の普遍的価値
この記事でわかること
- 1996年当時、「たまごっち」が爆発的な社会現象となった理由。
- 女子高生がブームの火付け役となった背景と、携帯することの社会的価値。
- お世話を怠ると訪れる「死」のシステムが、人々の心理に与えた影響。
- 現代のZ世代が「平成レトロ」や「デジタル疲れ」から、再びたまごっちに注目する理由。
あなたのポケットやカバンからも、かつてあの甲高い「ビープ音」が鳴っていませんでしたか?
1996年11月23日、バンダイから発売された小さな卵型のデバイス「たまごっち」。それは、私たちの日常を一変させました。授業中の静かな教室、満員電車の中。場所も時間も選ばず鳴り響くその音は、私たちを少し誇らしい気持ちにさせ、同時にひどく焦らせたものです。
当時の新聞は、この奇妙なブームを「電車の中でピーピー鳴る“携帯孵化器”」と評しました 。まさに、私たちが「お世話に振り回される生活」 を送る、奇妙で愛おしい日々のはじまりでした。
あれから約30年。冷静に考えれば、単純なドット絵のキャラクターにごはんをあげ、ウンチを流す。それだけの(今思えば)シンプルなゲームでした。なぜ私たちは、あの小さな存在に、あれほどの時間と責任感を注ぎ込んだのでしょうか?
そして、なぜ今、高性能なスマートフォンゲームが溢れるこの時代に、Z世代までもが再びあの小さな卵に惹かれているのでしょうか?
この記事は、単なるノスタルジー(懐古)に浸るものではありません。1996年に日本中を席巻したあのブームの裏側にあった巧妙な「構造」と、それが現代の私たちにまで続く「人間の普遍的な何か」を解き明かす、知的な探求の旅です。
あの「ピーピー」という呼び出し音は、単なる通知音ではありませんでした。それまでのゲームが「人間が起動して遊ぶ」ものだったのに対し、たまごっちは「ゲーム側が人間を呼び出す」という、“主従の逆転”を引き起こしたのです。私たちは、現代のスマートフォンがもたらす「通知に追われる生活」の原型を、あの小さな卵で予行演習していたのかもしれません。
1996年、「女子高生」が発見した“携帯する”という革命

初代たまごっちが、当初どのような層をターゲットに開発されたかをご存知でしょうか。
意外なことに、開発を担ったのはバンダイの「男の子向け」の玩具第一事業部でした。当時のバンダイは経営が思わしくなく、起死回生を狙った企画のひとつだったのです。しかし、その起爆スイッチを押したのは、まったく想定外の層でした。
ブームの火付け役となったのは、当時の「女子高生」たちです。
1997年頃のニュース映像には、デパートの開店前から500人もの行列ができ、整理券が配られる様子が記録されています 4。彼女たちは、制服の腰やスクールバッグに、まるでアクセサリーのように複数個のたまごっちをぶら下げていました 。
ここに、たまごっちが単なる「おもちゃ」を超えて「社会現象」となった第一の構造が隠されています。
たまごっちのコンセプトは「デジタル携帯ペット」。それまで「家のテレビの前で遊ぶ」ものだったゲームを、初めて「外に持ち出す」ものへと変革しました。しかし、女子高生たちは、その価値をさらに「お世話している私を、見せる(携帯する)」という社会的価値へと転換させたのです。
開発者が意図した「ペットを育てる」という機能的な価値(遊び)は、女子高生というフィルターを通すことで、「私はこのトレンドの最先端にいる」「私はこんなにマメに“お世話”ができる」という自己表現のツール(ステータスシンボル)へと昇華しました。
制服の腰に揺れるたまごっちは、育成の進捗や、手に入れたレアリティを他者に見せつけ、承認を得るための装置でした。それは、現代の私たちがSNSの「いいね」や「フォロワー数」で自らの価値を可視化しようとする振る舞いと、構造的に驚くほどよく似ています。たまごっちは、90年代のストリートにおける**“アナログなソーシャルメディア”**として機能していたと言えるでしょう。
「死」のデザインと「情操教育」という再評価

熱狂が加速する一方で、ブームは「影」の側面も生み出します。
たまごっちの「ピーピー」という音は、所有者以外にとっては「ノイズ」でしかありません。電車内や公共の場でのビープ音は社会問題化し、ついには保育園や学校で「持ち込み禁止令」が出る事態にまで発展しました 。
そして何より、多くのユーザーの心を揺さぶったのが、たまごっちの「死」でした。お世話を怠ると、キャラクターは“天使になってしまう”のです。
ここにこそ、たまごっちの恐ろしいほどの(そして、おそらくは意図せぬ)発明がありました。それは「お世話を怠ると、取り返しのつかない結果(死)が訪れる」という、当時のゲームとしては異例の不可逆的なシステムです。
従来のゲーム、例えば『スーパーマリオブラザーズ』では、プレイヤーが失敗しても「ゲームオーバー」と表示され、リセットボタンを押せば、また何事もなかったかのように冒険が始まります。しかし、たまごっちの死は、リセットでは取り戻せない「プレイヤーの責任」として重くのしかかりました。
この「重さ」こそが、ブームの核心です。
この「社会問題」とされた側面は、当時の専門家たちによって、まったく別の角度から光が当てられます。教育学者たちは、たまごっちのシステムを「“死”を通じた情操教育」や「介護の疑似体験」の契機として、肯定的に評価したのです 。
たまごっちが私たちに要求した「お世話」は、「労働(Work)」でも「遊び(Play)」でもない、「ケア(Care)」という第三の領域をデジタルデバイスに持ち込みました。「ケア」の特徴は、終わりがなく、効率化できず、相手の都合(ビープ音)に一方的に合わせなくてはならない点にあります。
この「不便益」とも言える“ままならなさ”が、私たちに「責任感」と「愛着」を植え付けました。私たちは、効率化できない手間にこそ、価値を感じるようにプログラムされているのかもしれません。
あの頃、本気で「お葬式」をした私たち
たまごっちが“天使になってしまう”とき、画面には小さなお墓と幽霊のドット絵が表示されました。
この「死」の描写は、当時の子どもたちに本物の悲しみ(トラウマ)を与え、中には、その“遺体”であるたまごっち本体のために、本気で「お葬式」を執り行ったというエピソードも語り継がれています。
現代の視点から見れば、それは滑稽な光景に映るかもしれません。しかし、これは私たちが「デジタルな存在」に対して、どれほど本気で感情移入できるかという、人間の愛おしい「営み」の証左でもあります。
お世話という「ケア」のシステムが、プラスチックの卵を、単なる「モノ」から「かけがえのない存在」へと変えた瞬間でした。
熱狂の構造は、30年変わらない

たまごっちが引き起こした「熱狂」と「品薄」の構造は、1996年特有のものではありませんでした。
この二つの事象を比較してみましょう。
- 1997年: 初代たまごっちや、関連するカプセルトイ(ガシャポン)は深刻な品薄状態に陥りました。デパートには早朝から500人を超える長蛇の列ができ、入手困難な製品は高額で転売されるのが当たり前でした 。
- 2025年: 大阪・関西万博の公式限定グッズとして「EXPO2025 ミャクミャク【たまごっち】」が発売されました。定価5,500円(税込)にもかかわらず初日分は即日完売。フリマアプリでは、即座に1万4,000円から2万円ほどの価格で高額転売されています。
プラットフォームが「デパートの行列」から「フリマアプリ」に変わっただけで、私たち人間の行動パターンは、この30年間で驚くほど変わっていません。
ここで提供したい「知的な視点」は、この「転売」や「品薄」は、ブームの「結果」として起きただけでなく、ブームをさらに加速させる「燃料」として機能した、という点です。
「手に入らない」という情報自体が、そのモノの価値を(実態以上に)高めるという社会心理(スノッブ効果やバンドワゴン効果)が、社会全体で発生したのです。
最も皮肉なのは、「お世話」という手間のかかるアナログな体験がコア価値であったはずのたまごっちが、皮肉にも「即時転売」という最もドライで金融的な投機の対象になっている点です。これは、製品の「使用価値」と「市場価値」が著しく乖離する、現代の消費社会の縮図そのものと言えるでしょう。
Z世代はなぜ、Wi-Fiのない「不便」を愛おしむのか?

さて、最初の謎に戻りましょう。あのブームから30年近くが経ち、なぜ「たまごっち」は再び注目されているのでしょうか。ある調査では、現役大学生の約4割が、周囲でたまごっちが流行していると実感していると回答しています。
第一の理由は、もちろん「平成レトロ」ブームです。Z世代にとって、1990年代から2000年代のカルチャーは、自分たちが知らない「新しくて懐かしい」魅力的なコンテンツとして映っています。
しかし、本質は第二の理由にあります。それは「デジタル疲れ」と「アナログ回帰」です。
専門家の分析によれば、生まれた時からスマートフォンやSNSが存在する「デジタルネイティブ」であるZ世代は、高機能で完璧すぎるデジタル体験に、無意識の「疲れ」を感じています。彼らは逆に、「触れる」「手間がかかる」「オフラインで完結する」といったアナログな体験に、安心感や新鮮さを求めているのです。
TikTokなどの短尺動画プラットフォームでは、「既視感(レトロ)×意外性(新しい)」という組み合わせがアルゴリズムに優遇されます。たまごっちのチープなドット絵は、この条件に完璧に合致し、Z世代の目に触れる機会を増やしました。
しかし、ここで非常に興味深い「ねじれ」が発生しています。
Z世代が惹かれたのは、あえてWi-Fiに接続しない「アナログな不便さ」のはずでした。それに対し、バンダイが2023年に発売した最新機種「Tamagotchi Uni」は、ついにWi-Fiを搭載し、世界中のユーザーと交流できる「メタバース(Tamaverse)」へと進出したのです 。
これは「矛盾」しているように見えます。Z世代の「アナログ回帰」というニーズと、メーカーの「Wi-Fi・メタバース搭載」という戦略は、一見すると真逆の方向を向いています。
ですが、これこそが、たまごっちが30年続く強力なIP(知的財産)である理由です。バンダイの戦略は、単なる「アナログ回帰」に留まるものではありません。
彼らは、1996年から続く「お世話」というアナログで強力な“体験の核(コア)” はそのままに、現代のユーザーが求める「つながり(SNS・メタバース)」という欲求を、その外側にコーティングしようとしています。
これは、「アナログな手触り」をフックにして、自社のデジタルプラットフォーム(Tamaverse)にユーザーを誘導するという、極めて高度なハイブリッド戦略と言えるでしょう。
おわりに
1996年、たまごっちは社会現象になりました。それは、単に「携帯できるゲーム」だったからではありません。私たちが「お世話に振り回される生活」 を喜んで受け入れたのは、そこに「死」という不可逆的な責任と、「お世話」というアナログな手触りがあったからです。
そして今、Z世代が「デジタル疲れ」の果てに、再びその価値を見出したのは、非常に示唆に富んでいます。
効率化やタイパ(タイムパフォーマンス)ばかりが重視される現代社会において、たまごっちが私たちに要求する「非効率で、終わりのないケア」こそが、私たちが無意識に求めている「温もり」や「人間の手触り」なのかもしれません。
最新のたまごっちはメタバースに接続しました 。しかし、その本質は30年前から何も変わっていません。
あの鳴り止まなかった「ピーピー」というビープ音 。それは当時、社会の効率性を阻害する「ノイズ」の象徴のように扱われました。しかし今、改めてその音に耳を澄ませば、それは「他者(たとえドット絵であっても)とのつながり」を求める、私たち自身の心の音だったようにも思えます。
あなたのクローゼットの奥にも、あの小さな卵が眠っていませんか? それは、あなたがかつて本気で「お世話」をした、愛おしい記憶の“化石”なのですから。
令和でも、平成カルチャーを発信し続けるワケ
SNSを中心に「平成ガールズカルチャー論」と題して1990〜2000年代の若者文化を発信するTajimaxが、いまだ熱冷めやらぬ平成カルチャーの真髄に迫ります。
参考
- 懐かしいいい! 1996年の初代「たまごっち」、初の完全復刻版が登場 20周年を記念して
- 「たまごっちParadise」が開く“命と地球”の30年目の扉
- Wi-Fiを手に入れたたまごっち、メタバースの世界へ | ギズモード
- 【Z世代のホンネ調査】四割弱の大学生が「たまごっち」の再流行を実感 - PR TIMES
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