喫茶店モーニングはなぜ儲かる? 無料サービスの裏にあるビジネスモデルと発祥地の歴史【コスパの謎 解明】

この記事でわかること

  • コーヒー1杯の原価は実は1割以下!モーニングが成立する驚きのビジネスモデル
  • 一宮・広島・豊橋、三つの都市が名乗る「発祥の地」それぞれの物語
  • 愛知・岐阜が「モーニング王国」になった理由は地域経済の好循環にあった
  • コメダ珈琲が全国に広めたのは「くつろぎの空間」という体験価値
  • お寿司に焼肉まで!エスカレートする「モーニング軍拡競争」の実態
  • サービスの中京 vs 味の関西、二つの喫茶店文化圏の違い
  • 半世紀前の喫茶店が実践していた、現代のサブスク・ビジネスと同じ戦略

朝の喫茶店。450円のコーヒーを注文すると、厚切りトーストとゆで卵がついてくる――。この日常の風景、よく考えると不思議だと思いませんか?

パン屋さんでトーストを買えば100円以上、卵も50円はする。それなのに、コーヒー一杯の値段で全部ついてくる。お店は赤字にならないのでしょうか?それとも、実はコーヒーにこっそり上乗せされているのでしょうか?

この「モーニングサービス」という名の小さな奇跡には、戦後日本の産業史と、喫茶店ならではの賢いビジネスモデル、そして日本人の心遣いが詰まっています。

コーヒーは「ドル箱商品」だった

モーニングの秘密を解く最初の鍵は、コーヒーそのものが持つ「驚異の利益率」にあります。

飲食店の視点で見ると、400円から500円で提供されるコーヒーの原材料費は、実はその1割にも満たないケースがほとんどなのです。つまり、コーヒーは他のメニューと比べて、圧倒的に利益率の高い「儲かる商品」。

ここがポイントです。喫茶店は「パンと卵を無料で配っている」わけではありません。彼らがやっているのは、「コーヒーで得られる高い利益を、お客さんを呼び込むためのサービスに戦略的に使っている」ということ。お客さんは「お得だ!」と喜び、お店はコーヒーを確実に売れる。見事なWIN-WINの関係なのです。

さらに、モーニングは「体験型の広告」としても機能します。チラシを配る代わりに、その費用をお客さんへの直接サービスに投下する。お客さんは実際に店のコーヒーを味わい、雰囲気を感じ取ることができます。「今度はランチにも来てみよう」と思ってもらえれば、それは未来の常連客を獲得する「先行投資」になるわけです。

そして、コーヒーには「毎日でも飲める」という習慣性があります。朝のコーヒーを日課にしている人は多いはず。この日常的な習慣に「お得な朝食」という付加価値を組み合わせることで、お客さんは自然とリピーターになっていく。実はこれ、近年のサブスクリプション・ビジネスと同じ発想なんです。日本の喫茶店は、半世紀以上も前から、この仕組みを実践していたのです。

「発祥の地」をめぐる三つの物語

では、このモーニング文化はどこから始まったのでしょうか?実は、複数の都市が「発祥の地」を名乗っており、それぞれに興味深い物語があります。

愛知県一宮市:繊維の街の「おもてなし」

最も有名なのが一宮市の説です。1950年代、この街は「ガチャマン景気」に沸く繊維産業の中心地でした。織物工場は機械の騒音と埃がすごくて、落ち着いて商談できない。そこで繊維業者たちは、近くの喫茶店を応接室代わりに使うようになります。

1956年頃、「三楽」という喫茶店のマスターが、何度も訪れてくれる常連客への感謝の気持ちとして、朝のコーヒーに「ゆで卵」と「ピーナッツ」を付け始めました。これが一宮モーニングの始まりとされています。

重要なのは、これが最初から「セットメニュー」として考案されたのではなく、お客さんへの心遣いから自然に生まれたサービスだったということです。

広島市:復興への願いを込めた「夢の三点セット」

一方、広島の「ルーエぶらじる」は、さらに早い1955年にモーニングを始めたと主張しています。

終戦直後に創業したこの店の創業者は、まだ貴重品だった「コーヒー・パン・卵」をセットにした「夢の三点セット」を提供したいと考えました。特に、近くの広島赤十字・原爆病院の医師や看護師たちに、朝食を通じて元気になってほしいという願いが込められていたといいます。

コーヒー一杯50円の時代に、目玉焼きを乗せたトーストとのセットを60円で提供。この取り組みは全国誌『週刊朝日』にも取り上げられました。広島のモーニングは、復興を支える人々への、ささやかな希望の象徴だったのです。

愛知県豊橋市:夜勤明けの「朝ごはん」

豊橋には、また違った文脈があります。1950年代、豊橋駅前の飲み屋街で夜通し働いたスナックやキャバレーの従業員たちが、仕事明けに喫茶店で朝を迎えていました。彼らの空腹を満たす「朝ごはん」として、コーヒーにトーストを付けて提供し始めたのが豊橋モーニングの起源とされています。

結局、「どこが一番最初か」を証明するのは難しいでしょう。でも重要なのは、1950年代という同じ時代に、日本の異なる場所で、それぞれの地域事情を反映した「モーニングサービス」が同時多発的に生まれていたという事実です。それは特定の誰かの発明ではなく、日本の喫茶店文化が必然的に生み出した現象だったのです。

なぜ愛知・岐阜で「モーニング王国」が生まれたのか

発祥がどこであれ、モーニング文化が最も深く根付いたのは愛知県と岐阜県です。なぜこの地域で、モーニングは単なるサービスを超えた「文化」になったのでしょうか。

その背景には、強固な地域経済のつながりがありました。トーストの需要が急増したことで、「本間製パン」に代表される業務用パンメーカーが成長。コーヒーの焙煎業者も、関東や関西の大手が市場を席巻するのとは違い、「ダフネコーヒー」や「松屋コーヒー」といった地元の中堅業者が数多く存在し、競い合っています。

喫茶店、製パン業者、焙煎業者が互いに需要を生み出し合う好循環。これが、モーニング文化を地域経済に深く根付かせました。

そして何より、この地域の人々にとって、喫茶店は「家のリビングが地域の中にいくつもあるような感覚」の場所なのです。曜日によって訪れる店を決め、複数の喫茶店のコーヒーチケットを財布に忍ばせている人も多い。それはもはや外食ではなく、歯を磨くのと同じくらい自然な日常の習慣です。

店に行けば顔なじみの常連客がいて、世間話に花を咲かせる。プライベートに深く干渉しすぎない「ちょうどいい距離感」の人間関係が、地域社会の潤滑油になっている。ある常連客が亡くなった際、遺族が「故人が大好きだったから」と葬儀のお供え物としてモーニングを注文しに来たというエピソードもあります。

モーニングは単なる朝食ではなく、人生の節目にまで寄り添う、地域にとってかけがえのない存在なのです。

コメダが広げた「くつろぎ」と、エスカレートする競争

この地方文化を全国区に押し上げたのが、1968年に名古屋で創業した「コメダ珈琲店」です。

コメダが全国に輸出したのは、単に「ドリンク代でトーストが付く」というサービスだけではありません。木の温もりを感じる内装、高い仕切りのある座席、座り心地の良いソファ――徹底的に計算された「くつろぎ」の空間そのものを届けたのです。

フランチャイズで全国展開した当初、モーニング文化に馴染みのない地域では「パンは頼んでいませんけど…」と戸惑う声もあったそうです。しかしコメダは粘り強くこのスタイルを貫き、「モーニングサービス」という概念を日本中に定着させました。

一方、発祥地の愛知・岐阜では、他店との差別化を図る「進化競争」が始まります。サービスはどんどんエスカレートし、もはや「おまけ」を遥かに超えた豪華なメニューが登場。茶碗蒸しやサラダ、デザートは当たり前。パンを器にしたハヤシライスやシチュー、お寿司、ラーメン、朝から焼肉定食を提供する店まで現れました。

この「モーニング軍拡競争」は、単なる気前の良さではありません。モーニングが、店の個性を表現し、お客さんを惹きつけるための最重要な「売り」へと進化したことを示しています。

ちなみに、関西圏では少し違った喫茶店文化が花開きました。神戸という港町から始まった関西の喫茶店は、「サービス」よりも「味」を追求。分厚い「厚切りトースト」、ふわふわの「厚焼き玉子」のサンドイッチ、果物の旨味が凝縮された「ミックスジュース」など、「ここでしか味わえない逸品」が文化の中心となりました。

サービスの中京か、味の関西か。この違いが、日本の喫茶店文化に豊かな奥行きを与えているのです。

おわりに

喫茶店のモーニングサービス。その「異常なコスパ」の謎を追う旅は、私たちを戦後の産業史から、現代のビジネス戦略、そして地域の営みへと導いてくれました。

モーニングは、コーヒーの高い利益率を巧みに利用した、極めて合理的なビジネスモデルです。同時に、戦後復興や地域産業といった社会経済史を映す鏡であり、常連客への感謝から生まれた「おもてなし」の心と、人々が集う「居場所」としての役割を担う、日本的な文化の表現でもあります。

そしてそれは、シンプルな心遣いが競争の中で多様な進化を遂げた、イノベーションの物語でもあるのです。

次にあなたが喫茶店の扉を開け、モーニングを注文する時。湯気の向こうに、数百円のお得感以上のものが見えるかもしれません。それは、日本の商人が磨き上げた知恵と、地域社会が育んだ温かい心遣いの歴史――私たちの日常を少しだけ豊かに、そして愛おしく感じさせてくれる、ささやかで確かな日本の宝なのです。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times