クラフトコーラブームの理由とは?普通のコーラとの違いから意外な歴史、スパイスの秘密まで徹底解説

この記事でわかること

  • コーラは元々「薬」だった:1886年、薬剤師が裏庭の鍋で作った薬用ドリンクが起源
  • クラフトコーラは"ルネサンス":新しい革命ではなく、130年前の「手作り」への回帰
  • 大量生産 vs. クラフト、二つの哲学:「同じ味」を目指すか「違う味」を楽しむか、根本的な思想の違い
  • 瓶の中は「香りのオーケストラ」 :シナモン、カルダモン、柑橘、コーラナッツが奏でる複雑な風味の正体
  • なぜ"今"ブームなのか:コロナ禍、健康志向、「ソバーキュリアス」という3つの時代の追い風
  • 漢方薬局の孫が始めたコーラ作り:「伊良コーラ」創業者が繋ぐ、伝統と革新の物語

休日の午後、ふらりと立ち寄ったおしゃれなセレクトショップ。雑貨に囲まれた棚の片隅に、見慣れない瓶が並んでいました。ラベルには確かに「コーラ」と書かれています。でも、何かが違う。

私たちが知るあの黒々とした飲み物ではなく、光を透かす琥珀色や、複雑なスパイスが沈む豊かな茶色。手作りの温もりを感じさせる美しいラベルは、まるでワインか高級ジュースのよう。

「これ、本当にコーラなの?」

そのコーラ、もしかして「クラフトコーラ」じゃないですか?

私たちが知る「コーラ」vs これから知る「コーラ」

「同じ味」の哲学と「違う味」の哲学

まず、頭の中の「コーラ」の定義を整理してみましょう。基準となるのは、誰もが知る世界的な大手ブランドのコーラです。

大手ブランドのコーラが目指すもの、それは徹底的な「不変性」です。東京で飲んでも、ニューヨークで飲んでも、味は寸分違わず同じ。この絶対的な安定供給のため、製造プロセスは効率化され、原材料は世界中から調達可能なものに標準化されています。その結果生まれるのは、甘さが際立つ、誰もが予測できる安心の味。まさに、グローバル時代の完成された「工業製品」と言えます。

一方、クラフトコーラはその真逆を行きます。「クラフト」とは「手作り」や「職人技」を意味する言葉。小規模な工房で、しばしば手作業で作られます。作り手が重視するのは効率ではなく、自分の哲学や個性を表現すること。天然のスパイス、ハーブ、時にはその土地で採れた旬の果物を惜しげもなく使い、一つひとつの素材が持つ香りと味わいを引き出すことに情熱を注ぎます。

結果、味わいは驚くほど多様です。シナモンの甘い香りが立つもの、カルダモンの清涼感が鼻を抜けるもの、唐辛子のピリッとした刺激が後を引くもの。予測不能な驚きと発見に満ちた、一杯の「作品」なのです。

二つのコーラ、二つの世界観

特徴大量生産のコーラクラフトコーラ
哲学均一性と大量生産個性と職人技による少量生産
主な原材料香料、人工添加物、果糖ぶどう糖液糖など天然スパイス、柑橘類、きび砂糖、コーラナッツなど
風味甘さ主体で、均一かつ予測可能複雑でスパイシー、作り手ごとに多種多様
生産規模世界規模の巨大工場小規模な工房、しばしば手作り
背景にある物語グローバルブランドの歴史作り手の個人的な情熱、地域の物語

この比較から見えてくるのは、単なる「天然か人工か」という表面的な違いではありません。「製品」と「作品」という、ものづくりの根本的な思想の違いなのです。

タイムマシンに乗って、コーラの「原点」へ

しかし実は、現代のクラフトコーラが目指している姿こそが、コーラ誕生当初の「本来の姿」だという考え方もできるんです。

1886年、薬局のカウンターから始まった物語

時は1886年、アメリカ・ジョージア州アトランタ。薬剤師ジョン・S・ペンバートン博士が、自宅の裏庭の真鍮の鍋で、あるシロップを開発しました。それは清涼飲料水ではなく、疲労回復や頭痛に効くとされる「薬用ドリンク」、つまり栄養ドリンクとして考案されたものでした。

シロップには、当時注目されていた「奇跡の植物」が含まれていました。刺激作用のあるコカの葉と、カフェイン豊富なアフリカ原産の「コーラナッツ」です。コーラという名前の由来にもなったこのコーラナッツをはじめ、様々な植物エキスを煮詰めて作られたシロップは、薬局で販売され、ソーダファウンテン(炭酸水製造機)で炭酸水と割って提供されました。

ある日、店員が間違えて水ではなく炭酸水で割ってしまった。これが今日のコーラの原型になったという、幸運な偶然も伝えられています。

つまり、世界で最初のコーラは、まさに「クラフト」そのものだったのです。一人の作り手が、植物(ボタニカル)の知識を駆使し、鍋で手作りしたシロップ。今日のクラフトコーラ工房の光景と驚くほど重なります。

革命ではなく「ルネサンス」としての再誕

20世紀に入り、コーラは大量生産の波に乗って工業化され、世界的な巨大ブランドへと成長しました。その過程で、製造の安定化とコストダウンのため、天然の植物素材は徐々に姿を消し、香料や人工甘味料が主流に。コーラの魂とも言えるコーラナッツでさえ、多くの大量生産品では使われなくなりました。

そして約130年の時を経た2018年、日本の東京で、この失われたコーラの魂を呼び覚ますかのような動きが起こります。「伊良(いよし)コーラ」や「ともコーラ」といった先駆者たちが登場し、現代の「クラフトコーラ」ムーブメントの幕が上がったのです。

この歴史を紐解くと、クラフトコーラは全く新しいものを生み出す「革命」ではなく、コーラが本来持っていた職人的な精神と製法を現代に蘇らせる「ルネサンス(文芸復興)」である、という見方ができます。それは、20世紀の工業化社会が見過ごしてきたものづくりの原点への回帰なのです。

瓶の中に閉じ込められた、香りのオーケストラ

クラフトコーラの最大の魅力は、その複雑で奥深い味わいにあります。まるで、多様な楽器がそれぞれの音色を奏でながら一つの調和を生み出すオーケストラのよう。その香りのシンフォニーを構成する主要なプレーヤーたちを紹介しましょう。

スパイスの重奏 ― 温かみと刺激

オーケストラの土台を支えるのが、個性豊かなスパイスたちです。

  • シナモン:甘く温かみのある香りは、コーラ全体の風味の基盤を形成します。優しく包み込むようなその香りは、安心感と奥行きを与えてくれます。
  • クローブ:濃厚で少し薬草のような独特の香りが特徴。他のスパイスの香りをまとめ上げ、味わいに「芯」を通す重要な役割を担います。入れすぎると主張が強くなりますが、なくてはならない存在です。
  • カルダモン:「スパイスの女王」とも呼ばれる、爽やかでエキゾチックな香りの持ち主。柑橘類とも相性が良く、コーラに清涼感と華やかさをもたらし、後味をキリッと引き締めます。
  • 八角(スターアニス):中華料理でおなじみの星形のスパイス。独特の甘くスパイシーな香りが、味わいに立体的な奥行きを加えます。

これらのスパイスが複雑に絡み合うことで、一口飲むごとに次々と新しい表情が現れる、多層的な風味が生まれるのです。

柑橘の旋律 ― 爽やかさと酸味

スパイスの重厚な響きに、軽やかで美しい旋律を加えるのが柑橘類です。レモンやライム、オレンジなどがもたらすフレッシュな酸味と香りは、全体の甘さを引き締め、爽快な飲み口を生み出すために不可欠。

特に日本のクラフトコーラでは、地域の特産品である柚子やシークヮーサー、みかんなどを使う作り手も多く、その土地ならではの個性を表現しています。柑橘類の選び方一つで、コーラの印象は大きく変わります。それは、その土地の風土を瓶の中に閉じ込める試みとも言えるでしょう。

忘れられた魂 ― コーラナッツ

そして、このオーケストラを束ねる指揮者の役割を果たすのが、コーラの語源となった「コーラナッツ」です。西アフリカ原産のコラの木の種子で、カフェインやテオブロミンを含み、古くから現地では穏やかな興奮作用や疲労回復を目的とした嗜好品として親しまれてきました。

その味わいは、ほのかな苦味と独特の風味を持ち、コーラ全体の味の輪郭を決定づけ、深みを与えます。大量生産品ではほとんど使われなくなったこの原材料をあえて使うことは、多くのクラフトコーラメーカーにとって、歴史への敬意と本物へのこだわりの証なのです。

クラフトコーラの風味は、単なる味の組み合わせではありません。そこには、作り手がどのスパイスを主役に据え、どの柑橘で旋律を奏で、コーラナッツでどのように全体をまとめ上げるかという、明確な意図と物語が込められているのです。

なぜ、"今"なのか? クラフトコーラを求める時代の空気

クラフトコーラのブームは、単なる偶然ではありません。現代社会を生きる私たちの価値観の変化という、大きな潮流が生み出した必然です。なぜ今、これほどまでにクラフトコーラは私たちの心を惹きつけるのでしょうか。

「おうち時間」が生んだ、小さな贅沢への渇望

新型コロナウイルスのパンデミックは、私たちの生活を大きく変えました。外出が制限され、「おうち時間」が増えたことで、多くの人が日々の暮らしの中にささやかな楽しみや豊かさを求めるように。スーパーで手に入るスパイスで自分だけのコーラシロップを作るという手軽な非日常体験は、そんなニーズにぴったりと合致しました。

また、外食が減った分、家で少しだけ質の良いもの、こだわりのあるものを選びたいという「プチ贅沢」志向も、クラフトコーラへの関心を後押ししました。

健康志向と「ソバーキュリアス」という新しい選択

人工的な添加物や過剰な糖分を避けたいという健康志向の高まりは、近年の大きなトレンドです。天然素材だけで作られ、甘さも控えめなものが多いクラフトコーラは、罪悪感なく楽しめる大人の飲み物として受け入れられました。

さらに、Z世代を中心に広がる「ソバーキュリアス(Sober Curious)」という考え方も見逃せません。これは、お酒を飲むシーンでもあえて飲まない、あるいは少量しか飲まないことを選択するライフスタイル。彼らにとって、アルコールの代わりになるような、複雑で満足感のあるノンアルコールドリンクは重要な選択肢。スパイスの効いたクラフトコーラは、その需要に完璧に応える存在だったのです。

「物語」を消費する時代

モノが溢れる現代において、消費者は単なる「製品」ではなく、その背景にある「物語」を求めるようになっています。誰が、どんな想いで、どこで、どのようにつくったのか。そのストーリーに共感し、作り手との繋がりを感じることに価値を見出すのです。

情熱的な個人や小さなチームが、地域の素材を使いながら試行錯誤を重ねて生み出すクラフトコーラは、まさに物語の宝庫。その一本一本が、作り手の人生や地域の誇りを雄弁に物語っています。

これらの要因が組み合わさることで、クラフトコーラは単なる飲み物のトレンドを超え、時代の価値観を映し出す鏡のような存在となりました。効率から体験へ、グローバルな均一性からローカルな個性へ、受動的な消費から能動的な関与へと向かう、私たちの社会の大きな変化を象徴しているのです。

ある青年の物語 ― 漢方薬局の孫がコーラを作るまで

こうした時代の大きなうねりを、一人の人間の物語として体現しているのが、日本のクラフトコーラ界のパイオニア、「伊良(いよし)コーラ」の創業者であるコーラ小林氏です。

小林氏の祖父は、東京の下落合で「伊良葯(いらくさ)」という漢方工房を営んでいました。幼い頃から、様々な生薬を丁寧に調合する祖父の姿を見て育った小林氏は、その光景と、コーラが元々は薬局で作られていたという歴史的事実とを、自身の頭の中で結びつけます。漢方薬もコーラも、その原点は「世界中のスパイスやハーブを調合して作る」という点で同じではないか、と。

大手広告代理店で働きながら、趣味で始めたコーラ作り。インターネットのレシピを参考に試作を繰り返すも、納得のいく味には至りません。しかし、漢方職人であった祖父の「教え」――素材の特性を見極め、手間を惜しまず、五感を研ぎ澄ませて調合する――に立ち返ったとき、道が開けます。

そしてついに、100年以上前のオリジナルのレシピにインスピレーションを受けつつ、10種類以上のスパイスや柑橘類をブレンドした独自のコーラを完成させました。

2018年、彼は会社を辞め、祖父の工房があった場所に自らの工房を構え、フードトラックでの移動販売から「伊良コーラ」の歴史をスタートさせます。ブランド名「伊良コーラ」は、祖父の工房の名前に由来します。それは、伝統的な職人技への敬意と、その精神を現代に受け継ぐという決意の表れでした。

彼の挑戦は、美味しい飲み物を作ることだけにとどまりません。コーラ製造時に出るスパイスの搾りかすを再利用した入浴剤「伊良コーラの湯」を銭湯と共同開発するなど、サステナブルな視点も持ち合わせています。

コーラ小林氏のような現代の職人たちは、過去と現在を繋ぐ「文化の架け橋」のような存在です。彼らは、漢方という伝統的な知恵を、コーラという現代的なグローバルアイコンに適用することで、懐かしくも全く新しい価値を創造しています。

おわりに

一本の見慣れないコーラの瓶から始まった私たちの旅。その琥珀色の液体の中に、130年以上の時を超えた歴史、作り手の情熱、そして現代社会の価値観の変化が溶け込んでいることを知りました。

クラフトコーラは、単なる飲み物ではありません。それは、私たちに世界を少し違った視点で見るための「知的なメガネ」を授けてくれます。

このメガネをかければ、街角で見かける一本のコーラが、19世紀の薬局のカウンターへと繋がるタイムマシンのように見えてきます。それは、コーラが本来持っていたボタニカルドリンクとしての魂を現代に蘇らせた、歴史のルネサンスの象徴です。

このメガネをかければ、複雑なスパイスの香りの奥に、作り手の物語が浮かび上がります。それは、均一性や効率性を求める時代に逆らい、あえて手間と時間をかけて「自分だけの味」を追求する、人間の創造性の証です。

そしてこのメガネをかければ、クラフトコーラのブームが、より健康的で、より本質的で、より地域社会と繋がったものを求める、私たちの集合的な願いの表れであることがわかります。

次にあなたがスパイスの香るクラフトコーラを手に取るとき、ぜひ思い出してみてください。あなたが今味わっているのは、単なる炭酸飲料ではありません。それは歴史であり、文化であり、そして、何かを慈しみながら丁寧に作り出すという、美しくも愛おしい人間の営みそのものなのです。

参考

PinTo Times

  • x

-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times