マリトッツォはどこへ消えた? タピオカとの比較で解き明かす、スイーツ流行の法則と“賞味期限”の謎

この記事でわかること

  • マリトッツォとタピオカ、ブームの「寿命」が違う理由:一発屋と不死鳥。2つのスイーツから見える、流行の構造的な違い
  • SNS時代のヒットを生む3つの魔法:「映える見た目」「みんなやってる心理」「作りやすさ」が揃った時、ブームは爆発する
  • ティラミス、ナタデココ、パンナコッタのその後:ブームが去った後のスイーツたちが歩む、3つの異なる運命
  • 「バンドワゴン効果」がブームを加速させる仕組み:「流行っているから」という理由だけで、なぜ私たちは欲しくなるのか

2021年、日本はあるスイーツの流行に呑まれました。

パン屋さんの店頭で、デパートのスイーツコーナーで、そして何よりスマートフォンの画面の中で。ふっくらとしたブリオッシュ生地に、雪のように真っ白な生クリームがこぼれんばかりに詰め込まれた姿。そう、「マリトッツォ」です。

あの見た目の衝撃は、誰もが一瞬で心を奪われるほどでした。DEAN & DELUCAのようなおしゃれなショップから、いつものセブンイレブンまで、日本中がマリトッツォ一色に。「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされるほど、単なるスイーツの枠を超えた社会現象になったのです。

でも、あれから数年。最近、マリトッツォを見かけなくなったと思いませんか?

もちろん完全に消えたわけではありません。でも、あの嵐のようなブームが静かに過ぎ去ったことは、誰もが感じているはずです。あの熱狂は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。

この記事は、ブームの終わりを残念がったり、批判したりするものではありません。一つのスイーツが、なぜ私たちをあんなにも夢中にさせたのか。そして、どうして自然と日常に溶け込んでいったのか。その愛おしい軌跡を、一緒にたどってみましょう。

短距離走者と不死鳥──マリトッツォとタピオカ、2つのブームの物語

スイーツの流行といっても、実はそれぞれに「性格」があります。マリトッツォのブームを理解するために、まずは先輩格の「タピオカ」と比べてみましょう。この2つを並べてみると、流行の仕組みが驚くほど鮮やかに見えてきます。

マリトッツォ:華麗なる一発屋

マリトッツォは、まさに短期決戦型の「スプリンター」でした。2021年1月末頃から注目され始めると、あっという間に人気が爆発。上半期にはトレンドスイーツのNo.1に輝き、インスタグラムの投稿数は、6月の8万件から年末には20万件以上へ。わずか半年で2.5倍に急増したのです。

このブームで面白かったのは、マリトッツォの「形」そのものが一人歩きしたこと。「〇〇ッツォ」という言葉が生まれて、「すしトッツォ」(もはやスイーツじゃない!)や、猫を模した「ネコトッツォ」まで登場。SNS上で大喜利のように、みんながアレンジ版を作って楽しんでいました。

つまり、マリトッツォの魅力は「パンにクリームを挟んだ、あの特徴的な形」にあったのです。その形が面白いからこそ、人々は遊び、真似をし、熱狂はさらに加速していきました。

タピオカ:何度でも蘇る伝説

一方、タピオカは何度も蘇る「不死鳥」のような存在です。実は、日本のタピオカブームは一度きりではありません。これまでに3回も大きな波があったのです。

  • 第1次ブーム(1992年頃):エスニック料理ブームの一環として、ココナッツミルクに入った「白いタピオカ」がデザートとして流行
  • 第2次ブーム(2008年頃):台湾のドリンクチェーンが日本に進出し、「タピオカミルクティー」として市民権を獲得
  • 第3次ブーム(2018〜2019年):インスタ映えを追い風に社会現象化。「タピる」という動詞まで誕生

なぜタピオカは何度も復活できるのでしょう?その秘密は、マリトッツォとの「アイデンティティの違い」にあります。

マリトッツォのアイデンティティは「特定の形」。一度そのビジュアルに飽きると、ブーム自体が勢いを失いやすいのです。対して、タピオカのアイデンティティは「もちもちした食感の素材」。ミルクティーでもフルーツティーでもチーズフォームティーでも、組み合わせるドリンクを変えるだけで、全く新しい商品に生まれ変わることができます。

この変幻自在さこそが、タピオカを時代を超えて愛される不死鳥たらしめているのです。

3つの魔法──スイーツをスターにする仕掛け

一つのスイーツが爆発的なブームになるのは、決して偶然ではありません。そこには、私たちの心を巧みに掴む「仕掛け」が隠されています。マリトッツォの成功は、「見た目」「心理」「合理性」という3つの力が完璧にハマった結果なのです。

インスタのために生まれてきたような姿

マリトッツォは、まるでインスタグラムのために生まれてきたかのようなスイーツでした。こんもりと盛られた生クリームの圧倒的な存在感と、コロンとした可愛らしいフォルム。正方形のフレームの中で、最高に映えるのです。

複雑な説明はいりません。一目見れば、誰でも魅力が伝わる。だからこそ、誰もが同じように魅力的な写真を撮ることができ、それが「いいね!」を呼び、拡散の連鎖を生み出したのです。

「みんなやってるから」の力

行列のできているラーメン屋に、つい並びたくなった経験はありませんか?これは「バンドワゴン効果」と呼ばれる心理現象。「多くの人が支持しているものは、きっと価値があるに違いない」と感じてしまう、私たちの心の動きです。

マリトッツォのブームは、まさにこの効果の典型例でした。インフルエンサーの投稿、メディアの「トレンドNo.1」という報道、SNSに溢れる無数の写真。これらが「これだけ流行ってるんだから、試さないと損だ!」という気持ちを生み出し、私たちの購買意欲を後押ししたのです。

作りやすさという、隠れた主役

そして見落とされがちですが、このブームを支えた重要な力が「作りやすさ」です。マリトッツォの材料は、パンと生クリーム。多くのパン屋や洋菓子店にとって、仕入れが簡単で、作り方も比較的シンプル。

この参入のしやすさが、専門店から大手コンビニまで、あらゆるお店が素早く商品を提供できた理由です。実は1994年に流行した「パンナコッタ」も同じ。イタリアンレストランで「作り置き」ができるデザートとして重宝され、それが広まる大きな要因になりました。

つまり、「作り手にとって都合がいい」という産業的な合理性が、ブームの爆発的な広がりを支える、目には見えない重要な力だったのです。

ブームが去った後──スイーツたちのその後の人生

ブームが過ぎた後、スイーツたちはどこへ行くのでしょう。実は、その運命は一つではありません。過去のスターたちの「その後」を見てみると、マリトッツォの未来も見えてくるかもしれません。

不滅の定番:ティラミスの道

1990年に一大ブームを巻き起こしたティラミスは、今も愛される「定番」の地位を確立しています。その要因は何だったのでしょう。

イタリア語で「私を元気づけて」という意味を持つ、ロマンチックなストーリー。雑誌『Hanako』などの有力メディアが魅力を広く伝えたこと。そして決定打は、高価だったマスカルポーネチーズの代替品が普及し、誰にとっても身近な存在になったこと。物語と安定供給の両輪が、ティラミスを不滅の存在にしたのです。

日常への溶け込み:ナタデココの道

1993年、不思議な食感で世間を驚かせたナタデココ。ブームは熱狂的でしたが短命でした。しかし消えたわけではありません。そのユニークな食感が評価され、ヨーグルトやゼリー、飲料の「具材」として日常に溶け込んでいったのです。主役の座は降りたものの、今も名バイプレイヤーとして活躍し続けています。

懐かしい記憶:パンナコッタの道

パンナコッタも、ティラミスと並ぶイタ飯ブームの立役者でした。でも、ティラミスほどの「定番」にはならず、ナタデココのように「素材化」することもありませんでした。今ではイタリアンレストランのメニューに残るものの、日常的に見かける存在ではありません。「あの頃を象徴する、愛おしい記憶」として、私たちの心の中に生き続けているのです。

では、マリトッツォはどの道を歩むのでしょう?それは、これからの私たちが決めることかもしれません。

おやつの時間が、もっと面白くなる

「マリトッツォはどこへ消えたのか?」──この小さな疑問から始まった旅は、私たちに大切なことを教えてくれました。

一つの食べ物が流行する背景には、単なる「美味しさ」だけではない、時代の空気そのものが映し出されています。それは、SNSが生み出すビジュアルの言語であり、「みんなやってるから」という集合心理であり、そしてそれを支える食品業界のしたたかな合理性でもあります。流行とは、これらが織りなす複雑で美しい物語なのです。

そう考えると、マリトッツォの「消失」は失敗でも悲しい結末でもありません。それは文化の健全な新陳代謝そのもの。マリトッツォは2021年の主役という大役を完璧にこなし、その役目を終えた今、私たちの中で甘く輝く共有の思い出となりました。その物語は、見事に完結したのです。

次に何か新しいスイーツの流行に出会ったとき、あなたの目には、ただ美味しそうなおやつだけが映るのではないでしょう。そのスイーツが語ろうとしている、時代の物語を読み解くことができるでしょう。

その背景にある「なぜ?」を知ることで、きっと、あなたの一口は、これまでよりも少しだけ深く、面白く、そして愛おしいものに感じられるのではないでしょうか。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times