「非常口」のあの人(ピクトグラム)は誰がデザインした?世界に広まった日本の発明

ショッピングモール、駅、オフィスビル、映画館...。私たちが日常的に足を運ぶあらゆる建物で、必ずと言っていいほど目にする緑色の看板。そこには、扉に向かって勢いよく駆け抜けようとする人のシルエットが描かれています。

あの人物を見たことがない人は、おそらく現代社会には存在しないでしょう。でも、少し立ち止まって考えてみてください。あの「走っている人」は一体誰が生み出したのでしょうか?そして、なぜ世界中どこに行っても、ほぼ同じデザインの非常口マークを見かけるのでしょうか?

実は、この何気なく見過ごしているマークには、日本人デザイナーの情熱と、世界を変えた壮大な物語が隠されているのです。

かつての非常口は「文字だけ」だった

今でこそ当たり前のように目にする「走る人」のマークですが、もともと日本の非常口サインは、主に「非常口」という文字で示されていました。

想像してみてください。緊急事態が発生し、煙が立ち込める中で「非常口」という文字を探さなければならない状況を。しかも、小学校高学年で習う漢字を含むため、子どもや外国人にとっては瞬時に理解することが困難でした。

この文字表記に限界を感じさせる痛ましい出来事が起こります。1972年の千日デパート火災(大阪)、1973年の大洋デパート火災(熊本)では合わせて200名を超える犠牲者が出るなど、火災時に煙でサインが見えにくくなる問題が国会でも指摘されるようになりました。

日本のデザイナーが生み出した「世界共通語」

この問題を解決したのが、愛知県刈谷市出身のグラフィックデザイナー、太田幸夫(おおた ゆきお)さんでした。多摩美術大学でデザインを学び、イタリア留学を経験した太田さんは、「視覚言語」という概念に深い関心を抱いていました。

非常口ピクトグラム誕生のきっかけは、1978年に日本消防設備安全協会が主催した「非常口標識コンテスト」。全国から集まった3,373点の応募作の中から小谷松敏文氏の作品が最優秀賞に選ばれ、そのデザインを太田氏が委員長を務める専門委員会が改良。NHKも協力した各種視認効果実験(煙を通して見たり、瞬間的に見せたりする実験)などを経て、現在のデザインの原型が完成しました。

こうして、1982年の消防法改正によって、それまでの文字表記中心から絵文字(ピクトグラム)表記への大転換が実現したのです。

池袋駅での実証実験

太田さんの最初の実戦場は、東京・池袋駅でした。複数のデパートや私鉄、地下鉄、国鉄が乗り入れ、案内サインが乱立する巨大ターミナルは、まさにうってつけの場所でした。東京消防庁と協力し、既存の出口サインを非常口ピクトグラムに統一して設置。この試みは成功を収め、ピクトグラムの有効性を社会に示す重要な事例となりました。

世界標準への険しい道のり

日本で成功を収めた非常口ピクトグラムでしたが、世界標準への道のりは決して平坦ではありませんでした。日本がISO(国際標準化機構)にこのデザインを提案したところ、すでにソ連(当時)の案が内定しており、国際委員会から厳しい拒絶反応に遭います。日本政府には正式な抗議文が届く事態にまで発展しました。

しかし、視認性比較実験などで日本案の科学的な優位性が証明されると、流れは変わります。最終的に1985年の投票で日本案の採用が決定し、1987年には国際規格(ISO 6309)として正式に発行されました。こうして、愛知県刈谷市出身のデザイナーが手がけたマークが、真の意味での「世界共通語」となったのです。

「いのちを守る絵文字」の哲学

太田さんがデザインに込めた思想は、単なる装飾を超えていました。ピクトグラムは、「いのちを守る絵文字」「目で見ることば」というビジュアル・コミュニケーションだったのです。言語や年齢、文化などの違いを超えて、より多くの人が、視覚で直感的に意味が理解できるようデザインされています。

「安全」を示す緑色の理由

このピクトグラムは、形だけでなく「色」にも重要な意味が込められています。多くの人が「なぜ火事なのに赤じゃないの?」と疑問に思う、あの鮮やかな緑色の秘密に迫ってみましょう。

理由は大きく2つあります。第一に、日本の消防法では緑色が「安全な状態」や「避難口」を示すと定められているためです。対して赤は「危険」や「禁止」を示します。火や炎を連想させる赤ではなく、その補色である緑を使うことで、「ここなら安全だ」と直感的に伝える心理的効果を狙っています。

第二に、煙の中での視認性です。火災現場で充満する白い煙の中では、赤よりも緑の光の方が波長が長く、遠くまで届きやすい特性があります。科学的な観点からも、緑色は「命を守る色」として理にかなっているのです。

世界と日本のちょっとした違い

日本で生まれたこのデザインは、世界標準となりましたが、実は国や地域によって少しずつ姿を変えています。それは、各国の文化や法律を反映した興味深い違いでもあります。

最も分かりやすい例はアメリカです。アメリカでは今でもピクトグラムより、赤い文字で「EXIT」と書かれたサインが主流です。これは長年の慣習によるもので、人々にとって最も馴染み深いサインが尊重されています。

また、ヨーロッパでは、ISO規格を基にしつつも、矢印の形が異なるなど独自の基準(EU規格)を設けている場合があります。日本発のデザインが世界の「共通基盤」となりつつも、その土地に合わせてローカライズされている様子は、ピクトグラム文化の奥深さを示しています。

ちなみに、日本ではこの走る人が「ピクトさん」という愛称で呼ばれ、親しまれるなど、独自の文化も育っています。

現在も続く太田さんの挑戦

現在、太田幸夫デザインアソシエーツ代表、NPO法人サインセンター理事長を務める太田さんは、今でも安全・安心のためのデザイン開発に情熱を注いでいます。東日本大震災以降は、避難誘導システムの更なる改良にも取り組み、「命を守るデザイン」の可能性を追求し続けています。

日常に隠された「小さな国際交流」

私たちが何気なく目にしている非常口マークには、これほど豊かな物語が込められていました。一人の日本人デザイナーの情熱から始まったアイデアが、国境を越えて世界中の人々の安全を守っている─これは、まさに「デザインの力」を証明する壮大な成功例と言えるでしょう。

次にあの緑色のマークを目にした時は、ぜひ思い出してください。そこには、言葉の壁を越えて人々の命を守ろうとした一人のクリエイターの想いと、それを世界が受け入れた美しい物語があることを。

私たちの日常は、こうした「見えない国際交流」に満ちているのかもしれません。世界はきっと、想像以上につながっているのです。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times