「妥協の結晶」としてのカジュアルウォッチ
カジュアルウォッチは、たぶん「妥協の結晶」だと思う。
この言い方、腕時計が好きな人にはちょっと引っかかるかもしれない。妥協という言葉には「本当はもっといいものがあるのに」「仕方なく選んだ」というニュアンスがついて回るからだ。
でも最近、腕時計を見たり調べたりしながら、むしろ逆なんじゃないか、と思うようになった。
ここまで真剣に「妥協」しているジャンルって、意外と少ないんじゃないか、と。
こだわりの結晶と、合理性の結晶のあいだで
高級時計には、分かりやすく熱量がある。
というか、ちょっと引くくらいのこだわりがある。
僕らの生活には“水深1万メートルまで潜れる防水性能”も“腕の向きに合わせて回転するゼンマイ”も必要ない。それでも高級時計は、そこに全力で向かっていく。
精度や耐久性だけを考えれば、とっくに実用域は超えているはずなのに、そこからさらに積み重ねていく。
なんなら精度に関しては、ゼンマイで動く以上、電池式や電波時計ほど正確にはならない。(機械式は“日差”が数秒から数十秒なのに対して、電池式は“月差”が十秒ちょっと。電波時計や僕らが使ってるスマホの正確さは言うまでもないだろう。)
それでも、今日も最高を目指し続けている。
構造や仕上げ、思想の継承。
そして、それに見合ったお値段。
正直、メチャクチャ好きじゃなきゃ続かない世界だな、と思う。高級時計は、まぎれもなく「こだわりの結晶」だ。
一方で、スマートウォッチや「そもそも時計をしない」という判断は、まったく別の方向を向いている。
スマホを見れば時刻は一瞬で分かるし、スマートウォッチを使えば通知も健康管理もできる。生活の中で必要な機能は、すでに十分すぎるほど揃っている。
こちらは「合理性の結晶」だと思う。余計なものを持たず、必要なことだけを、最短距離で満たす選択だ。
どちらも極端で、どちらも正しい。
そして、そのあいだにぽっかりと空いているのが、カジュアルウォッチの領分なんだと思う。
「高いか安いか」から、「その判断が好きか」へ
時計を好きになり始めた頃、判断基準はとてもシンプルだった。
高いか、安いか。コスパはいいのか、悪いのか。
つまり、この値段は割に合っているのか、という視点だ。
でも、しばらく腕時計を見続けているうちに、その考え方が少しずつ変わってきた。
水色の、上品で可愛らしい機械式の腕時計を購入したときのことだ。
ケースは少しぷっくりしていて、正直、中の機械が高価なものではないことが分かる。
しかし、文字盤の色味や針の形、全体の雰囲気がその丸みを帯びた形状を活かして、一つの完成品に押し上げていた。
値段は3万円弱。機械式の腕時計としては安すぎるくらいだが、20代の出費としては十分すぎるほどに大きい。
僕がこの腕時計を購入するまでに迷った時間は10分〜15分くらいだったと思う。
そして、恐らくこの時計を作った人たちは「この値段でこの雰囲気を実現するために」その一千万倍悩んだに違いない。
全部を盛ることはできない。
だから、どこにお金をかけて、どこを抑えたのかが、僕のような素人の目にも自然と見えてくる。
ムーブメントなのか、ケースなのか、デザインなのか、それともブランドなのか。
近頃は、その判断の跡そのものに、ある種の愛おしさを感じている。
もちろん、最終的に買うかどうかは別の話だ。
お財布と相談して、「今回は見送ろうかな」となることも多い。でも、その時間も含めて、ちゃんと楽しい。
妥協点を探すのは面白い
こうして考えてみると、カジュアルウォッチは決して特殊な趣味じゃない。
むしろ、世の中のほとんどの商品やサービスは、こだわりだけでも合理性だけでもない、妥協と工夫の産物ではないだろうか。
たとえば、映画館のプレミアムシート。
単に良いサービスすぎるだけかもしれないけれど、追加で500円払えば、ドリンクが付いて、座席は広くて、スクリーンの画角も綺麗になる。
初めて使ったとき、「これ、相当頑張ってないか……?」と素直に思った。
最高級の体験ではないけれど、この価格でここまでやる判断は、かなり誠実だ。
完璧なものを選ぶ、というよりは、
自分の生活にとって「ちょうどいい落としどころ」を探す感覚。
妥協と言えばそれまでだけど、実際にやってみると、かなり頭を使う。
自分は何を重視していて、何なら手放せるのか。毎回、それを考えさせられる。
それが、意外と楽しい。
妥協とは、ちょっと面白いのだ。
中途半端なものを、中途半端なまま好きになる

「偏愛」という言葉には、どうしても強さがある。
突き抜けた知識や、極端なこだわりを持つ人だけが、その資格を持っているような気がしてしまう。
でも、カジュアルウォッチを眺めていると、もう少し緩い愛し方があってもいいと思えてくる。
中途半端なものを、
中途半端だと分かったうえで選んで、使って、たまに眺める。
完璧じゃないけど、日常の中ではちゃんと楽しい。
たぶん、それで十分なんだと思う。
こだわりの結晶や、合理性の結晶にも憧れつつ、
今日も僕は「妥協の結晶」を腕に着けて出かける。







