「馬鹿」の由来とは? 語源に迷宮入りした5つの説とアホ・バカ方言分布の謎
日常で当たり前のように口にする「馬鹿」という言葉ですが、その由来をたどろうとすると、辞書によって説明がまちまちで、決定版と呼べる語源が存在しないことに気づきます。サンスクリット語起源説、中国の故事に結びつける説、日本語そのものの中に語源を求める説など、専門家の間でも意見が割れたまま現在に至っています。さらに、この言葉を全国規模で調べていくと、「アホ」と「バカ」の分布が京都を中心にした同心円状に広がっているという、方言学者たちを驚かせた発見にもたどり着きます。ありふれた言葉のはずなのに、掘れば掘るほど正体がつかめなくなる「馬鹿」の由来を、いくつかの説と全国の方言の視点から見ていきます。
「馬鹿」の語源に決定版が存在しない理由

多くの人は、よく使う言葉には当然はっきりした語源があるはずだと思いがちです。ところが「馬鹿」に関しては、国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも「諸説あり、決定的なものはない」という趣旨の回答がまとめられています。江戸時代の国学者である天野信景が唱えた説が広辞苑をはじめとする主要な国語辞典に採用されてはいるものの、これはあくまで有力な仮説のひとつという位置づけにすぎません。
語源がひとつに定まらない理由は、「馬鹿」という言葉が使われ始めた時代の文献が少なく、当て字が定着したあとの姿からさかのぼって推測するしかない、という事情にあります。つまり今わたしたちが目にしている「馬鹿」という漢字表記自体が、後づけで当てられたものである可能性が高く、漢字の意味から語源を読み解こうとすると遠回りになってしまうのです。
サンスクリット語に由来するという説

もっとも有力とされているのが、サンスクリット語(梵語)を語源とする説です。仏教用語で「痴、愚か」を意味する「moha(モーハ)」の音を漢字で写した「莫迦(ばくか)」という表記が、寺院の僧侶の間で隠語として使われ、やがて「馬鹿」という当て字に変化していったという考え方です。これを唱えたのが江戸中期の国学者・天野信景で、彼の随筆にこの説が記されています。
似た系統の説として、同じくサンスクリット語で「無知」を意味する「mahallaka(マハラカ)」に由来するという説もあります。言語学者の新村出や石黒修らが支持したことで知られており、こちらは「摩訶羅(まから )」という音写を経て「馬鹿」に転じたと説明されます。どちらの説も、仏教とともに大陸から伝わった言葉が、僧侶の隠語を経由して庶民の言葉に降りてきたという流れは共通しています。寺院というやや閉じた社会の中で使われていた言葉が、時間をかけて一般社会に広まっていったのだとすれば、今わたしたちが友人同士の軽口で使う「馬鹿」の遠い祖先は、仏教の修行の場にあったことになります。
中国の故事「指鹿為馬」はよく知られているが俗説とされている

「馬鹿」の語源としてもっとも広く知られているのは、おそらく中国の史書『史記』に登場する「指鹿為馬(鹿を指して馬となす)」の故事でしょう。秦の始皇帝の死後に実権を握った宦官の趙高が、自分に逆らう家臣をあぶり出すために、二世皇帝の前で鹿を献上しながら「これは馬です」と言い張った、という話です。家臣たちは趙高の権勢を恐れ、鹿を見ても「馬です」と答え、正直に「鹿です」と答えた者は後に排除されてしまったと伝えられています。
この故事は権力に迎合する人々の滑稽さと恐ろしさを描いた話としてよくできており、「鹿を馬と言い張るような愚かなふるまい」から「馬鹿」という言葉が生まれた、という説明は非常に納得しやすいものです。実際、これを紹介する読み物は数多く存在します。しかし言語の研究者の間では、この故事と「馬鹿」という日本語の言葉を結びつける直接的な証拠はなく、後づけで作られた語呂合わせに近い俗説だと位置づけられています。よくできた話ほど広まりやすく、広まった話ほど本当らしく感じられてしまうという、言葉の由来探しにありがちな罠がここにあります。
「破家」や「戯く」など日本語の内部に語源を求める説

サンスクリット語説や中国故事説とは別に、日本語そのものの変化として「馬鹿」の成立を説明しようとする説もあります。室町時代の国語辞典『文明本節用集』には、「馬鹿」の異表記として「母嫁」「馬娘」「破家」といった当て字が並んでおり、「狼藉之義也(乱暴でたちの悪いふるまいの意味である)」と注釈されています。この「破家」説では、家を破るような無分別な行いをする者、というところから意味が広がっていったと考えられています。
また、古語で愚かなことや、ばかげたふるまいを指す「をこ(痴・烏滸)」という言葉が変化した、とする説も存在します。「痴」を「をこ」と読ませる用法は平安時代の文学作品にも見られ、日本語の中に「愚かさ」を表す語彙がもともと豊富にあったことがうかがえます。外来語由来説と国内語源説、どちらが正しいかを決定づける証拠は今のところ見つかっておらず、複数の言葉の流れが合流して今の「馬鹿」という言葉に落ち着いた、という見方をする研究者もいます。
文献に残る最古の「馬鹿」―『太平記』での使われ方

言葉そのものがいつから使われていたかを考えるうえで手がかりになるのが、文献に残る最古の用例です。南北朝時代の軍記物語『太平記』の巻十六には、「かかるところに、いかなる推参の馬鹿者にてありけん」という一節があり、これが文献上確認できるもっとも古い「馬鹿」の使用例とされています。
興味深いのは、この時代の「馬鹿者」が、今わたしたちが使う「愚かな人」という意味とは少しずれていた点です。当時の「馬鹿者」は「狼藉をはたらく者」、つまり無法な振る舞いをする乱暴者というニュアンスで使われていました。これが時代を経るうちに、「無分別で乱暴な者」から「思慮の足りない者」「愚かな者」へと意味の重心が移っていき、江戸時代に入るころには現在に近い「愚か」の意味で定着していったと考えられています。同じ言葉でも、使われる時代が変われば指し示す人物像がまるで違っていた、というのは言葉の歴史を追う面白さのひとつです。
全国に散らばる「バカ」―方言分布が明かした意外な事実

「馬鹿」の由来を語るうえで欠かせないのが、テレビ番組をきっかけに始まった大がかりな方言調査です。もともとはバラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」に寄せられた、大阪出身の妻と東京出身の夫が「アホ」と「バカ」のどちらが正しいかで言い争っているという投稿がきっかけでした。この投稿をもとに、プロデューサーの松本修が全国から視聴者の証言を集め、3年がかりで「バカ」を意味する言葉の分布図を作り上げ、書籍『全国アホ・バカ分布考』にまとめています。
この調査で明らかになったのが、民俗学者・柳田國男が提唱した「方言周圏論」が、驚くほど見事に当てはまるという事実でした。方言周圏論とは、新しい言葉は都(かつての京都)で生まれ、そこから同心円状に地方へと伝わっていくため、都から離れた地域ほど古い時代の言葉が残りやすい、という考え方です。柳田はこの理論を、カタツムリを指す方言の分布から見出しましたが、松本の調査による「アホ・バカ」分布はカタツムリの事例をはるかに上回る、実に18重もの同心円を描いていることがわかりました。そしてこの分析から、比較的新しい言葉である「アホ」が近畿地方を中心に広がっているのに対し、「バカ」はそこから外側へと連なる、より古い時代からの言葉である可能性が高いことも示されています。
日本各地には、「アホ」「バカ」以外にも、その土地ならではの呼び方が数多く残っています。
| 地域 | 呼び方の例 |
|---|---|
| 北海道 | はんかくさい |
| 青森県 | ほんじなし |
| 茨城県 | でれ |
| 富山県・石川県 | だら |
| 山梨県 | ぬけさく |
| 愛知県・岐阜県 | たわけ |
| 福岡県・熊本県 | あんぽんたん |
たとえば北陸地方で使われる「だら」は、「足りていない」を意味する「足らず」が「だらず」を経て短くなった、という説が有力とされています。「たわけ」や「はんかくさい」も含め、それぞれの言葉は「何かが欠けている」「常識から外れている」というニュアンスを、その土地なりの言い回しで表現してきたことがうかがえます。「馬鹿」という一語だけを追いかけていては見えてこない、日本語全体としての「愚かさの表現方法」の豊かさが、方言分布図の中にはぎっしりと詰まっています。
なぜ「アホ」は関西発祥で、「バカ」と分かれて広まったのか

「アホ」の由来についても、複数の説が伝えられています。江戸時代には、秦の始皇帝が築いたとされる巨大な宮殿「阿房宮」と結びつける説が広く語られていました。豪華すぎて後に焼き払われたと伝わるこの宮殿の名前が、「大きいばかりで中身のない愚かなもの」を指す言葉として転用された、という説明です。
一方で、中国の江南地方で「おばかさん」を意味していた方言「阿呆(アータイ)」が、禅僧を通じて日本に伝わり、「あはう」という読みを経て「あほう」になったとする、大陸からの伝来を重視する説もあります。文献をたどると「アハウ」から「アハア」、そして「アホウ」「アホ」へと発音が変化していった跡が確認でき、この言葉が京阪神を中心に周辺へ広がっていった様子とも重なります。「バカ」が全国に古くから根を張っていたのに対し、「アホ」は比較的新しい時代に近畿地方で勢いを増し、その地域を中心に独自の存在感を放つようになった、という構図が浮かび上がってきます。
英語圏にも共通する「侮蔑語がたどる数奇な運命」

言葉が時代とともに意味を変えていくのは、日本語に限った現象ではありません。英語で「愚か者」を指す言葉の歴史をたどると、「馬鹿」の由来をめぐる状況とよく似た構図が見えてきます。
たとえば「idiot」は、もともと古代ギリシャで「公共の仕事に関わらない私人」を意味する言葉でした。それが「共同体の物事に関心を持たない者」という意味合いを経て、最終的に「知的に劣る者」を指す言葉へと変化していったとされています。また「moron」は、ギリシャ語で「愚かな」を意味する「モーロス」に由来する語で、20世紀初頭のアメリカで心理学者ヘンリー・ゴダードが、特定の知的発達段階にある成人を分類するための学術用語として整備した経緯を持ちます。もとは医学的・行政的な分類名として使われていた言葉が、1920年代には日常会話での侮蔑語として一般に広まっていきました。
私人を指す言葉が侮蔑語に変わり、学術分類の名前が悪口として定着していく。こうした「中立的だった言葉が、時間の経過とともに人を貶める言葉へと転じていく」という流れは、僧侶の隠語や宮殿の名前から始まったかもしれない「馬鹿」「阿呆」の成り立ちとも重なります。人を評価する言葉というのは、洋の東西を問わず、もともと持っていた意味から離れて独り歩きしやすい宿命を背負っているのかもしれません。
「馬鹿」は必ずしも悪口ではない

ここまで語源をたどってくると、「馬鹿」はもっぱら人を傷つけるための言葉だと感じてしまうかもしれませんが、実際の使われ方はもう少し幅があります。「親馬鹿」は、わが子かわいさのあまり周りが見えなくなっている親を、どこか温かい目で表現する言葉ですし、「野球馬鹿」「釣り馬鹿」のように、ひとつのことに脇目もふらず打ち込む人を指す場合には、呆れながらも一種の敬意がにじみます。「馬鹿正直」は要領の悪さを表しつつも、嘘のつけない誠実さを言い当てた表現ですし、「馬鹿力」は思いがけない場面で発揮される大きな力を指す、驚きを込めた言い回しです。「馬鹿と天才は紙一重」ということわざも、常識から外れた発想をする人を、否定と紙一重の敬意で捉えた言葉だといえます。
同じ「馬鹿」という二文字が、罵倒の言葉にも、愛情表現にも、驚嘆の言葉にもなる。この振れ幅の大きさこそが、由来がひとつに定まらないほど複雑な歴史を歩んできた言葉らしい、という見方もできそうです。
「たわけ」に見る、もうひとつの語源論争

方言分布の話に登場した「たわけ」にも、実は語源をめぐる論争があります。よく知られているのは「田分け」説です。田畑を子どもの数だけ分けて相続していくと、代を重ねるごとに一人当たりの取り分がどんどん小さくなり、しまいには一家が立ち行かなくなってしまう、そうした愚かな相続のやり方をする者を指して「田分け者」と呼んだ、という説明です。相続と土地の広さという、暮らしに直結した具体的なイメージが伴うため、非常に語られやすい説になっています。
しかし言語学的には、この「田分け」説には無理があるとする指摘が根強くあります。歴史的な文献の表記を調べると、「田を分く」を「たはく」と読ませた例が見当たらず、むしろ「ふざけたことをする、たわむれる」を意味する古語の動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞化して「戯け」になった、という語源のほうが文献的には無理がないというのです。もっともらしいエピソードを持つ語源ほど広まりやすく、実際の言葉の成り立ちとは別の道を歩んでしまう、というのは「馬鹿」の由来をめぐる状況とよく似ています。
語源が定まらないからこそ見えてくるもの

ここまで見てきたように、「馬鹿」という一語の背後には、仏教とともに渡ってきたかもしれない外来語の記憶、中国の史書から借りてきた教訓話、日本語自身の内部で育った言い回し、そして時代とともに意味を変えながら生き延びてきた歴史が、いくつも折り重なっています。さらに視点を全国に広げれば、ひとつの言葉が京都を中心に同心円状に広がっていったという、方言学の理論を裏づける壮大な調査結果にまで行き着きます。
語源がひとつに決まらないというのは、一見すると煮え切らない話に思えるかもしれません。しかし裏を返せば、それだけ長い時間をかけて、多くの人がこの言葉を使い、少しずつ意味や形を変えながら受け継いできた証でもあります。何気なく口にしている「馬鹿」という言葉の奥に、これだけ奥行きのある歴史が眠っていると知ると、次にこの言葉を耳にしたときの印象も、少し変わってくるのではないでしょうか。
参考
- バカ/馬鹿/ばか - 語源由来辞典
- 阿呆/あほう/あほ - 語源由来辞典
- 「馬鹿(バカ)」の語源はサンスクリット語? 実はこんなにあった語源説。あなたはどれを支持する? | Japaaan
- 「馬鹿」という言葉の語源が知りたい。「馬鹿」という漢字は当て字なのか。 | レファレンス協同データベース(国立国会図書館)
- 「馬鹿」について|泉聲悠韻
- 「阿呆」について|泉聲悠韻
- バカの方言一覧!各地域の「バカ」をのぞいてみよう! | 方言ジャパン
- 『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路―』 松本修 | 新潮社
- 718夜 『全国アホバカ分布考』 松本修 − 松岡正剛の千夜千冊
- 田分け(タワケ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- The Clinical History of 'Moron,' 'Idiot,' and 'Imbecile' | Merriam-Webster
- The Words Moron, Imbecile, and Idiot Mean Different Things | Today I Found Out





