【成金】日常に溶け込んだ将棋用語一覧【高飛車】
- 1. 盤の上の言葉が、いつの間にか口癖になっている
- 2. 「高飛車」は威圧的な攻めの姿勢そのものだった
- 3. 「王手」と「詰み」、あと一歩の攻防を映す言葉
- 4. 「捨て駒」というシビアな比喩
- 5. 「成金」と「と金」、歩兵が金に化ける出世物語
- 6. 「将棋倒し」は遊びから群衆事故の言葉へ
- 7. 「歩のない将棋は負け将棋」が説く、目立たない一枚の重み
- 8. 「桂馬の高跳び歩の餌食」が戒める、実力不相応な高上がり
- 9. 「先手を打つ」「後手に回る」は囲碁将棋共通の言葉
- 10. 「待った」はルール違反のはずなのに、なぜ広まったのか
- 11. 江戸の観戦文化から令和のネット配信まで、言葉が広まる回路
- 12. 将棋語源の日常語 早見表
- 13. 知らずに使っていた言葉の重み
- 14. 参考
盤の上の言葉が、いつの間にか口癖になっている

「あの人、高飛車だよね」「これでもう詰みだ」「王手をかけられた」。こうした言い回しを、将棋を指したことがない人でも普通に使っています。実はこれらはすべて将棋から生まれた言葉で、駒の動かし方や対局の作法が、そのまま日本語の比喩表現として社会に溶け込んだものです。将棋盤を挟んで向き合ったことなど一度もない人同士の会話にまで、盤上の駒の動きが比喩として入り込んでいるというのは、考えてみるとかなり不思議な現象でもあります。
将棋は江戸時代、徳川幕府が「将棋所」という役職を設けて庇護した特別な技芸でした。1612年には棋士の大橋宗桂に俸禄が与えられ、将棋は武家だけでなく町人の間にも広がっていきます。明治維新で幕府の後ろ盾を失った棋士たちは、庶民向けに指南所を開いたり本や雑誌を出したりして生計を立てるようになり、さらに明治後期からは新聞に囲碁・将棋欄が設けられたことで、対局の様子が観戦記として一般家庭にまで届くようになりました。将棋が「観て楽しむもの」として大衆化したこの時期に、盤上の言葉が新聞紙面を通じて日常語へとにじみ出していったと考えられます。
ここでは、そうして日常語になった将棋用語を、本来の意味と合わせて見ていきます。
「高飛車」は威圧的な攻めの姿勢そのものだった
「高飛車な態度」というときの高飛車は、将棋の戦法用語がそのまま転用されたものです。飛車を自陣の前方、高い位置に進出させて攻める指し方を「高飛車」と呼び、相手の駒の前進を抑え込みながら圧力をかけていく攻撃的な戦法を指します。
この、相手を押さえつけるように攻める飛車の様子から、人に対して高圧的にふるまうことを「高飛車な態度」「高飛車に出る」と表現するようになりました。比喩としての用法自体は江戸時代からすでに見られるといい、盤上の駒の配置が、人の性格を形容する言葉にまで転用された珍しい例といえます。
面白いのは、高飛車という戦法そのものは決して反則でも卑怯な手でもなく、正々堂々とした攻めの選択肢の一つに過ぎないという点です。それにもかかわらず、日常語としての「高飛車」には、相手を見下すようなネガティブな響きがしっかり定着しています。盤上では合理的な作戦名だった言葉が、人間関係の中では否定的な形容詞として独り歩きしてしまった、言葉の変質の好例でもあります。
「王手」と「詰み」、あと一歩の攻防を映す言葉
「王手をかける」は、相手の玉将(王将)に対して自分の駒を利かせ、次に取れる状態に追い込む指し手のことです。ここから転じて、スポーツの勝敗や契約の成立など、あと一歩で目的を達成できる状況全般を指す言葉として使われるようになりました。「優勝に王手をかける」といった使い方は、スポーツ中継などでもおなじみでしょう。
一方の「詰み」は、相手がどの手を指しても次の手で玉を取られてしまう、防ぎようのない状態を指します。将棋の対局はこの詰みが生じた時点で終了します。日常語としての「詰み」は、そこから転じて、どう手を尽くしても状況を打開できない「八方塞がり」の意味で使われます。ゲームやビジネスの文脈で「この状況、詰んでる」と表現されるのは、将棋の終局そのものを人生や仕事の局面に重ね合わせた言い方ということになります。
この二つの言葉が対になって使われる場面も多くあります。「王手をかけたと思ったら、逆に詰まされた」というように、攻めていたはずが一転して追い込まれる展開は、スポーツの逆転劇や選挙の情勢報道などでもよく重ねられる筋書きです。あと一歩で決着がつく緊張感を「王手」が、決着そのものの重さを「詰み」が担うことで、二つの言葉は攻防の始まりと終わりをセットで表現しています。
「捨て駒」というシビアな比喩

将棋には、目先の駒得を犠牲にしてでも、後の展開を有利に進めるためにあえて駒を取らせる「捨て駒」という戦術があります。一時的に戦力を失っても、それによって相手の陣形を崩したり、次の一手を有利にしたりできるなら、その駒を捨てる価値があるという考え方です。
この言葉は日常語としてもかなりシビアな意味合いで使われます。組織の立て直しのために一部の人員を切り捨てるようなケースを「捨て駒にする」と表現することがあり、将棋の戦術用語が、そのまま人間関係やビジネスの冷徹な一面を語る言葉になっています。盤上では合理的な一手でも、それが人に置き換わった瞬間に重みを増す言葉です。
興味深いのは、将棋の対局中では捨て駒は決して感傷的な手ではなく、盤面全体を見渡した上での合理的な判断だという点です。目先の駒得だけにとらわれていては勝てないというのが将棋の理屈ですが、それを人間社会にそのまま当てはめてよいのかという違和感が、この言葉には常について回ります。だからこそ「捨て駒にする」という表現には、合理性の裏にある冷たさへの批判めいたニュアンスが込められることが多いのです。
「成金」と「と金」、歩兵が金に化ける出世物語
将棋の駒は、敵陣(相手から見て手前の三段)に進入すると裏返り、格上の駒と同じ働きをするようになります。これを「成る」といい、成った駒のことを「成金」と呼びます。なかでも、盤上でもっとも弱い駒とされる歩兵が成ったものは特に「と金」と呼ばれ、一番弱い駒が金将並みの働きをするようになるさまが、庶民が急に富を得て成り上がる様子に重ね合わされました。
日常語としての「成金」が広く使われるようになったきっかけとしては、明治末期の熱狂的な株式ブームで巨利を手にした人物に対して最初に使われたという説があります。当初は庶民から富裕層にのし上がった人への一種の賞賛を込めた呼び方だったとされますが、現在ではにわかに富を得た人を揶揄するような、皮肉めいたニュアンスで使われることが多くなっています。将棋の駒の出世が、そのまま人間社会の成り上がりを語る言葉になったわけです。
盤上の「と金」には、もう一つ面白い特徴があります。歩兵が成って「と金」になっても、動き方は金将と同じになるだけで、金将そのものに格上げされるわけではありません。それでも一度成ってしまえば、二度と歩兵に戻ることはありません。この「後戻りできない出世」という性質もまた、株や事業で一代で富を築いた人物のイメージと重なる部分があり、言葉としての説得力を強めているのかもしれません。
「将棋倒し」は遊びから群衆事故の言葉へ

将棋の駒を立てて一列に並べ、端の一枚を倒すことで隣の駒を次々と倒していく遊びがあります。ここから、人が密集した場所で一人が倒れたことをきっかけに、次々と将棋の駒のように折り重なって倒れてしまう現象を「将棋倒し」と呼ぶようになりました。
現在この言葉は、多くの人が関わることで被害が拡大する群集事故を指す専門的な文脈でも使われています。花火大会や初詣、コンサート会場などでの雑踏事故のニュースで耳にすることがありますが、その語源をたどれば、駒を並べて楽しんだ素朴な遊びに行き着きます。
将棋の駒はどれも同じ五角形の板状で、立てて並べやすい形をしています。ドミノ倒しに似た遊びがなぜ「ドミノ」ではなく「将棋」の名を冠して定着したのかを考えると、明治期以降、駒を使ったこの遊びが将棋そのものと同じくらい身近だったことがうかがえます。深刻な事故用語として使われる一方で、語源をたどると誰もが一度は手にしたことのある駒遊びに行き着くという振れ幅の大きさが、この言葉の面白いところです。
「歩のない将棋は負け将棋」が説く、目立たない一枚の重み
将棋の格言のひとつに「歩のない将棋は負け将棋」という言葉があります。歩兵は盤上でもっとも弱く、動きも前に一マス進むだけというシンプルな駒ですが、攻めでも守りでも実戦でもっとも使い道が多い駒でもあります。手持ちの歩が尽きてしまうと、いざというときに攻めをつなげられなかったり、相手の攻めを受け止められなかったりして、それが敗因になりやすくなります。だからこそ、盤上の歩も持ち駒の歩も大切に扱うべきだ、という実戦経験から生まれた教えがこの格言です。
この言葉は将棋の枠を超えて、目立たない基礎的な仕事や、地味だが欠かせない役割の重要性を語るたとえとしても使われています。歌手の北島三郎が「歩」という楽曲でこの格言をモチーフにした歌詞を歌っていることでも知られており、将棋を指さない人にまで、この格言的な感覚が届いている例といえるでしょう。もっとも弱い駒についての教えが、もっとも人間味のある教訓として広がっているのは興味深いところです。
「桂馬の高跳び歩の餌食」が戒める、実力不相応な高上がり
桂馬は前方二マス先の斜めにしか進めず、しかも一度跳んだら後戻りができないという癖の強い駒です。この桂馬を、十分な読みの裏付けもないまま相手陣地の奥深くまで跳ばせてしまうと、行き場を失って相手の歩に取られてしまいやすくなります。この様子を戒めた将棋の格言が「桂馬の高跳び歩の餌食」です。似た言い回しに「桂馬の高上がり」があり、こちらは人が実力に見合わない高い地位に急に就くと、思わぬ失敗を招くという教訓として使われています。
軽率に先走ることの危うさや、身の丈に合わない立場に立つことのリスクを、後戻りのきかない桂馬の動き方一つで言い表しているところが、この格言の巧みなところです。出世や抜擢の場面で「あの人事は桂馬の高上がりだ」というように、ビジネスの文脈でもそのまま使えそうな言葉として今も生き続けています。桂馬という一つの駒の可動域の癖から、これほど実感のこもった処世訓が生まれたことは、将棋というゲームがいかに緻密に設計されているかを物語ってもいます。
「先手を打つ」「後手に回る」は囲碁将棋共通の言葉

将棋も囲碁も、先に指し始める側を「先手」、後から指す側を「後手」と呼びます。盤上でどちらが先に打つかは対局の公平性に関わる重要な要素で、一般に先手を取ったほうがわずかに有利とされています。
ここから、相手より先に行動して主導権を握ることを「先手を打つ」、逆に相手に先んじられて受け身にまわることを「後手に回る」と表現するようになりました。災害対応や企業の危機管理のニュースで「後手に回った対応が批判されている」といった表現を見かけることがありますが、これは囲碁・将棋という盤上ゲームの手番の概念が、社会的な対応の速さを評価する言葉にそのまま転用されたものです。
「待った」はルール違反のはずなのに、なぜ広まったのか
囲碁や将棋、さらには相撲などの勝負事において、指し直しや取り直しを求める行為を「待った」と呼びます。正式な対局では、一度指した手を取り消す「待った」は明確な反則とされています。
それにもかかわらず、この言葉は「開発計画に待ったをかける」のように、進行中の物事を一旦中断させる意味の日常語としてすっかり定着しています。本来は許されない行為を指す言葉が、日常では「口を挟んで止める」というニュートラルな意味合いで広く使われているのは、考えてみると少し不思議なねじれ方をした言葉だといえます。
江戸の観戦文化から令和のネット配信まで、言葉が広まる回路
将棋用語が日常語ににじみ出ていく流れは、江戸から明治にかけての新聞観戦記だけで終わった話ではありません。近年では、若くしてトップ棋士に駆け上がった藤井聡太の存在が、将棋界を大きく超えたメディア露出を生んでいます。公式戦の連勝記録がテレビのワイドショーで連日取り上げられ、対局の勝敗を伝える速報がテレビ画面に流れるほどの社会現象となり、将棋用品が品切れになるなど「藤井フィーバー」と呼ばれる盛り上がりも起きました。
こうした注目の高まりを背景に、インターネットでの対局配信も定着し、自分では指さないものの観戦を楽しむ「観る将」と呼ばれる新しいファン層まで生まれています。テレビや配信を通じて「詰み」「王手」「後手」といった言葉に触れる機会が増えるほど、それらの言葉は将棋を知らない人の語彙にも自然と入り込んでいきます。新聞の観戦記が言葉を広めた時代から、動画配信が言葉を広める時代へと回路は変わっても、盤上の言葉が社会に染み出していく構造そのものは変わっていないのかもしれません。
将棋語源の日常語 早見表
| 言葉 | 将棋での本来の意味 | 日常語としての意味 |
|---|---|---|
| 高飛車 | 飛車を前方の高い位置に構える攻撃的な戦法 | 相手に高圧的な態度をとること |
| 王手 | 玉将に迫り、あと一手で取れる状態にする指し手 | あと一歩で目的達成という状況 |
| 詰み | どう指しても玉が取られる、防ぎようのない状態 | 打開策のない八方塞がりの状況 |
| 捨て駒 | 有利な展開のためにあえて駒を取らせる戦術 | 目的のために犠牲にされる人や物 |
| 成金・と金 | 駒が敵陣で「成る」ことで格上の働きをすること | 急に富を得た人(やや皮肉を込めて) |
| 将棋倒し | 駒を並べて端から倒す遊び | 折り重なって次々倒れる群集事故 |
| 先手・後手 | 先または後に指し始める対局上の手番 | 主導権を握ること/握られること |
| 待った | 指し直しを求める行為(正式には反則) | 進行中の物事を一旦止めること |
知らずに使っていた言葉の重み
こうして並べてみると、将棋というボードゲームの語彙が、性格の形容から事故の呼び方、ビジネスの冷徹な比喩まで、驚くほど幅広い場面に染み込んでいることがわかります。盤の上でのやり取りは、二人の対局者だけの限られた世界の出来事のはずなのに、そこで使われる言葉は時代を超えて多くの人の口に上り続けています。
しかも面白いことに、これらの言葉の多くは将棋というゲームの厳密なルールから離れ、それぞれが独自のニュアンスを持って一人歩きしています。「高飛車」は本来まっとうな戦法なのに人を評する言葉としては否定的だったり、「待った」は反則行為なのに日常では単なる中断の意味で使われたりと、盤上の正しさと日常語としての意味合いが、必ずしも一致していないところにも、この言葉たちのしたたかさが表れています。
次にニュースで「後手に回った」「詰んでいる状況」といった言葉を聞いたときには、その裏に将棋盤の駒の動きがあることを思い出すと、少しだけ言葉の見え方が変わってくるかもしれません。

参考
- 「王手をかける」「成金」…日常で使われる将棋用語の本当の意味 いつの間にか遊ばれなくなった「将棋倒し」から関連する地名まで
- 高飛車/たかびしゃ - 語源由来辞典
- 「結局」「成金」だから「高飛車」。これ、ぜーんぶ囲碁・将棋が語源
- 4.王手と詰み|本将棋|将棋の基礎知識|日本将棋連盟
- 日本将棋の歴史(2)|将棋の歴史|日本将棋連盟
- 将棋倒し | ルーツでなるほど慣用句辞典
- 高飛車に出る | ルーツでなるほど慣用句辞典
- 続・日本語の中の囲碁・将棋|日本文化ダイアリー|駒沢女子大学・駒沢女子短期大学
- 待った(マッタ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- 歩のない将棋は負け将棋:将棋格言解説|将棋講座ドットコム
- 手のない将棋は負け将棋 | 会話で使えることわざ辞典 - imidas
- 藤井ブームに沸く将棋界と経済界の「意外な接点」
- 桂馬の高上がり | 会話で使えることわざ辞典 - imidas
- 桂の高跳び歩の餌食:将棋格言解説|将棋講座ドットコム



