【保存版】日本の花火大会の歴史と起源とは?夏に開催される本当の理由

夜空をキャンバスにして鮮やかに咲き誇る花火は、日本の夏を象徴する風物詩です。毎年、全国各地で開催される花火大会には多くの人が足を運び、その美しい光と音の饗宴に魅了されています。

日本の花火大会のルーツを紐解くと、そこには単なるエンターテインメントの枠を超えた、先人たちの切実な「祈り」や「鎮魂」の想いが込められていることがわかります。花火大会の奥深い歴史や起源、そして夏に行われる本当の理由について、歴史的な事実を交えながら解説します。

日本の花火大会の起源と歴史

日本の花火大会の歴史は、社会的な危機や人々の悲しみと向き合い、それを乗り越えようとする国家的な祈りの儀式として幕を開けました。現在私たちが楽しんでいる花火大会の原点は、江戸時代中期に行われたある行事に遡ります。

記録に残る最古の花火大会「両国の川開き」

記録に残る日本最古の花火大会は、享保18年(1733年)に江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の命によって始まった「両国川開き」です。これが、現在の「隅田川花火大会」の前身にあたります。

この両国川開きの大花火を支え、日本の花火文化を牽引したのが、江戸時代を代表する花火師である「鍵屋(かぎや)」と「玉屋(たまや)」です。

鍵屋は、大和国(現在の奈良県)周辺で火薬技術を身につけた初代・弥兵衛が江戸に出て、万治2年(1659年)に創業した老舗であり、幕府御用達の花火師として両国の花火を一手に担っていました。その後、文化5年(1808年)に優秀な番頭であった清七がのれん分けを許され、「玉屋」を開業します。これにより、両国橋を挟んで下流を鍵屋が、上流を玉屋が担当し、互いに趣向を凝らした花火を打ち上げて技術を競い合う時代が到来しました。

観客が花火を見上げて「たまやー」「かぎやー」と声を掛ける風習は、両者の花火を称賛し、どちらの花火屋が打ち上げたものかを周囲に知らせる応援合戦として始まったものです。

しかし、玉屋の歴史は長くは続きませんでした。天保14年(1843年)、失火により大火事を起こしてしまい、翌日が12代将軍・徳川家慶の日光社参という重要な日であったことも重なり、玉屋は江戸所払い(追放)の処分を受けて一代で断絶してしまいます。それでも、玉屋の花火の美しさと「たまや」という発声しやすい語感が江戸っ子の心に強く残っていたため、現在にいたるまでその掛け声が受け継がれています。

始まりは「慰霊」と「悪疫退散」の祈りから

徳川吉宗が両国で花火を打ち上げさせた直接的な背景には、当時の日本を襲った未曾有の災厄に対する「慰霊」と「悪疫退散」の祈りがありました。

花火大会が始まる前年の享保17年(1732年)、西日本を中心に「享保の大飢饉」と呼ばれる深刻な凶作が発生。さらに江戸市中ではコレラなどの疫病が猛威を振るい、多数の死者が出ていました。この状況を憂慮した幕府は、犠牲者の霊を慰め、悪病を退散させる祈りを込めて隅田川で「水神祭」を執り行います。同時に、周辺の水茶屋などが死者の追善供養のための「川施餓鬼(かわせがき)」を催し、これに合わせて花火が打ち上げられたのが始まりです。

つまり、日本の花火大会の起源は、天空高く花火を咲かせることで死者を弔い、社会の不安を払拭するための壮大な「慰霊祭」でした。

また幕府は、川開きの期間に限り、周辺の船宿や見世物小屋の夜間営業を特別に許可しました。これにより、疫病や飢饉で落ち込んでいた江戸の経済を活性化させ、人々の心を元気づけるという、優れた経済政策・心理的ケアの側面も持ち合わせていたことが読み取れます。

なぜ日本の花火大会は「夏」に多いのか?

現在でも、日本の花火大会の大半は7月から8月の夏の時期に集中して開催されています。これには、日本古来の死生観と、季節に合わせた独自の庶民文化が深く関わっています。

お盆(お迎え火・送り火)や鎮魂の風習との関わり

夏に花火大会が多い最大の理由は、日本古来の「お盆」の風習との結びつきです。日本では伝統的に、8月13日から16日を中心とするお盆の期間に、先祖の霊が家族のもとへ帰ってくると考えられています。

古来より、火には邪気を払い、場を清める神聖な力があると信じられてきました。打ち上げ花火もまた、先祖の霊が迷わず帰ってこられるように焚く「迎え火」や、再びあの世へ戻っていく霊を見送る「送り火」の延長線上に位置づけられ、ご先祖様を供養する「精霊送り」の意味合いを持つようになりました。京都の「五山の送り火」や長崎の「精霊流し」と同様に、夜空に打ち上がる花火は御霊を慰める盛大な灯火としての役割を担っています。

江戸時代の「納涼」文化

もう一つの要因は、江戸時代に花開いた「納涼」文化との融合です。蒸し暑い日本の夏を乗り切るため、江戸の庶民は川辺で夕涼みを楽しむ文化を発達させました。屋形船を浮かべ、夜風に当たりながら空に打ち上がる花火を眺める行為は、夏の最高の娯楽として定着していきました。

明治時代に入ると、海外から発色剤などの化学薬品が輸入され、江戸時代の地味な「和火(わび)」から、赤や青、緑といった鮮やかな色彩を放つ「洋火(ようひ)」へと進化します。

さらに、日本の花火は世界的に見ても非常に珍しい構造を持っています。

比較項目日本の花火(割物)海外の花火
花火玉の形状球形(ボール状)円筒形(シリンダー状)
開き方360度、球状に均等に開く上方向など一定方向に放出される
色の変化途中で色が変化する(変わり玉)単色のものが多い
火薬(星)の形状球状に何層にも重ねて作る均一なペレット状など

日本の花火玉は「割物(わりもの)」と呼ばれ、上空で破裂した際に360度どこから見ても美しい真円を描いて開くのが最大の特徴です。この精巧な技術が納涼文化と結びつき、世界最高峰の芸術として今日まで受け継がれています。

日本三大花火大会の歴史と背景

日本全国には数え切れないほどの花火大会が存在しますが、「日本三大花火大会」と呼ばれる3つの大会は、それぞれ特異な歴史と深い背景を持っています。

大会名開催地開始年起源・主要な目的大会の特徴
長岡まつり大花火大会新潟県長岡市1946年長岡空襲の犠牲者の慰霊と復興8月1日の「白菊」打ち上げ、復興と恒久平和への祈り
全国花火競技大会「大曲の花火」秋田県大仙市1910年諏訪神社の祭典の余興昼花火の部がある、花火師の日本一を決める最高峰の競技大会
土浦全国花火競技大会茨城県土浦市1925年航空隊員の慰霊、震災犠牲者の鎮魂、農業振興秋(11月頃)開催、スターマイン(速射連発)の競技が盛ん

長岡まつり大花火大会(新潟県)ー 復興と平和への祈り

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月1日、長岡市は大規模な空襲を受け、1,480名を超える尊い命が失われました。その翌年、焦土と化した街の復興と犠牲者の慰霊を目的として開催された「長岡復興祭」が現在の前身です。

この花火を象徴するのが、真っ白な花火「白菊」です。現在でも、空襲が始まった同時刻である8月1日午後10時30分に合わせて、戦没者への手向けとして3発の白菊が静かに打ち上げられています。

全国花火競技大会「大曲の花火」(秋田県)ー 神社の祭典がルーツ

明治43年(1910年)に諏訪神社の祭典の余興として催された「奥羽六県煙火共進会」を起源としています。神事への奉納と、花火師たちの技術向上を目的として発展してきました。

大曲の花火は日本最高峰の競技大会であり、全国から選りすぐりの花火師が集結して内閣総理大臣賞をかけて技を競い合います。色煙を用いて空を彩る「昼花火の部」が行われる非常に珍しい大会でもあります。

土浦全国花火競技大会(茨城県)ー 航空隊員の慰霊と農業振興

日本三大花火大会の中で唯一「秋」に開催される大会です。大正14年(1925年)、神龍寺の住職が私財を投じて霞ヶ浦湖畔で開催したことに遡ります。

霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者の慰霊と、関東大震災の犠牲者への追善供養という強い願いが込められていました。また、秋に開催されるのは、実りの秋を祝い、農民の勤労を慰める農業振興の意味合いが含まれているためです。

地域に根付く歴史ある花火大会

三大花火大会以外にも、日本各地には独自の歴史と信仰に基づいた花火大会が存在します。その代表例が、自然災害への畏敬の念と、救済への感謝から生まれた奉納花火です。

鹿島神社奉納花火祭(和歌山県)ー 災害からの救済への感謝

和歌山県みなべ町で毎年8月1日に開催される「鹿島神社奉納花火祭」は、300年以上の歴史を持つ神事です。

宝永4年(1707年)の「宝永の大地震」と巨大な津波が紀伊半島を襲った際、沖合に浮かぶ「鹿島」が波を真っ二つに切り裂き、村への被害を最小限に食い止めたと伝えられています。当時の人々は、鹿島大明神が郷を救ってくれたと考え、その神恩に対する感謝を込めて翌年から花火を奉納するようになりました。

多くの花火大会が犠牲者の慰霊を目的とする中、「災害から救われたことへの感謝」という前向きな背景を持つ点が特徴です。

歴史を知ることで花火大会はもっと感動的になる

日本の花火大会は、江戸時代の飢饉や疫病に対する慰霊から始まり、お盆の鎮魂の風習や納涼文化と結びつき、戦争からの復興や災害への感謝など、各時代の人々の「祈り」とともに進化してきました。

先人たちが夜空に見上げたのは、亡き人を想う気持ちであり、平和への願いであり、明日を力強く生きるための希望の光でした。花火玉の一発一発に込められた職人たちの技術と、その背景にある歴史的ルーツを知ることで、夜空に打ち上がる大輪の花火はより深い感動を与えてくれます。次に花火大会へ足を運ぶ際は、ぜひその土地が歩んできた歴史にも心を寄せてみてください。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
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偏愛のミカタ PinTo Times