昭和の定番土産「ペナント」が消えたのはなぜ?姿を消した3つの理由と意外な現在

実家の古い柱や長押、ふすまの上の鴨居のあたりに、赤茶けた画鋲の小さな穴を見つけたことはありませんか?

昭和の時代、その穴の多くには、色鮮やかなフェルト生地に金色のフリンジがあしらわれた三角形の旗、「ペナント」が誇らしげに飾られていました。

修学旅行から帰ってきた子どもたちが、お小遣いで買った名所のペナントを自室の壁に並べては、楽しかった旅の余韻に浸る。それは、昭和の日本においてごく当たり前の、そしてちょっと誇らしい日常の風景でした。

ところが時代は平成、令和へと移り変わり、かつて全国どこのお土産屋さんでも風に揺れていたあの色鮮やかな三角旗は、いつの間にかすっかり姿を消してしまいました。

あんなにも日本中の観光地を席巻し、誰もが買い求めた大ヒット商品が、なぜ最前列から消え去ってしまったのでしょうか。この記事では、ペナントが普及した歴史的な背景を振り返りながら、衰退を招いた「3つの理由」、そして現代における意外な復活劇について紐解いていきます。

観光地の定番!昭和のお土産「ペナント」とは?

観光地のお土産として親しまれた「ペナント」は、細長い二等辺三角形をした色鮮やかな旗のこと。長方形や台形に近いデザインも一部ありましたが、フェルト調の生地に名所のイラストや地名がダイナミックに描かれた三角形のスタイルが王道でした。

そもそもペナントという言葉は、中世ヨーロッパの騎士が槍の先につけていた三角形の小旗「ペノン(Pennon)」と、軍艦などがマストに掲げる細長い三角旗「ペンダント(pendant)」が組み合わさってできた言葉だと言われています。

軍隊や船で使われていたこの言葉が日本で広く知られるようになったのは、スポーツ、特に野球の影響が大きいようです。19世紀後半、アメリカの大学スポーツで優勝チームに贈られる「優勝ペナント」の文化がメジャーリーグに広まりました。日本でも1936年にプロ野球の公式戦が始まったことで「ペナントレース」という言葉がすっかり定着し、特別な旗を意味する言葉として世間に浸透していったのです。

最盛期は1960〜70年代!爆発的ヒットの背景

では、スポーツの優勝旗であったペナントが、どうして「観光地のお土産」に姿を変え、全国規模で大ヒットしたのでしょうか。そのルーツには、主に2つの有力な説があります。

起源の説時代背景と詳細
間タオル(鎌倉市)による企画開発説1959年頃、鎌倉市の「間タオル」創業者が、野球場の優勝ペナントを見て「観光地の絵を入れて売れば当たる」と思いついたという説。東京タワーをモチーフにした第一弾が大ヒットし、全国から注文が殺到したとされています。
大学山岳部・運動部の記念ペナント説1920年代頃から、大学の山岳部員たちが登頂記念としてリュックに小さな三角旗を結びつける文化がありました。そこで記念用ペナントの製造業者が、一般観光客へターゲットを広げて売り始めたという説です。

どちらの説が本当の始まりにせよ、これほどのブームを巻き起こした最大の要因は、戦後の高度経済成長と「大衆の国内観光ブーム」の幕開けにあります。

生活に少しずつゆとりが生まれ、団体列車や大型バスで誰もが気軽に国内旅行を楽しめるようになった時代。ペナントは、旅のワクワク感と非日常を持ち帰るための最高のアイテムとして迎え入れられました。

当時の若者たちのステータスシンボル

ペナントが特に修学旅行生や若者たちから絶大な支持を集めたのには、昭和という時代ならではの理由がありました。

ペナントが飛ぶように売れた1960年代から70年代は、今のように誰もがスマホでパシャパシャ写真を撮れる時代ではありません。カメラは重くて高価な精密機器。大人の富裕層や一部の写真愛好家だけが持つ特別なものでした。

そんな時代だからこそ、色鮮やかな名所の風景が描かれたペナントは「記念写真の代わり」であり、旅先の記憶を鮮明によみがえらせるための大切なアイテムだったのです。

また、子どもの限られたお小遣いでも買える手頃な値段だったことも、普及の大きな後押しになりました。帰り道に荷物がいっぱいになっても、くるっと丸めてリュックの隙間に押し込めば、折れたり壊れたりすることなく無事に家まで持ち帰れます。

そうして持ち帰ったペナントは、自分の部屋の壁や柱に画鋲で隙間なく張り付けられました。「自分はこんな遠くまで行ったんだぞ」「こんなにたくさん名所を巡ったんだ」という経験値を可視化し、遊びに来た友だちにちょっと自慢するための、立派なステータスシンボルだったわけです。

観光地からペナントが消えたのはなぜ?3つの主な理由

かつてはお土産界の王様として君臨し、どこの土産物屋でも一番目立つ場所に飾られていたペナントですが、今では新品を見つけることすら至難の業です。この劇的な衰退の裏には、私たちのライフスタイルやテクノロジーの変化という、3つの大きな理由が隠されていました。

理由① 住宅事情の変化とインテリアの洋風化

ひとつ目の理由は、日本人の住環境とインテリアに対する感覚の変化です。

昭和の日本家屋には、ペナントを飾るのにぴったりの「木出しの柱」や「土壁」、「鴨居」といった木のスペースがたくさんあり、そこに画鋲を刺すことへの抵抗感もあまりありませんでした。

ところが、平成に入る頃から住宅の洋風化が一気に進みます。壁紙が貼られたフラットな石膏ボードの洋室が当たり前になり、賃貸・持ち家を問わず「壁に画鋲で穴を開けること」が強く敬遠されるようになりました。

さらに、白やベージュを基調としたシンプルなインテリアが流行する中で、原色で彩られ金色のフリンジがキラキラ輝くペナントは、いまどきの部屋から完全に浮いてしまう存在に。「買って帰っても飾る場所がないし、部屋の雰囲気に合わない」。このミスマッチが、ペナント離れの最初の引き金となりました。

理由② 旅行スタイルの変化(団体旅行から個人旅行へ)

ふたつ目の理由は、旅行スタイルの変化です。

ペナントが飛ぶように売れたのは、会社の慰安旅行や大規模な修学旅行などの「団体旅行」の全盛期でした。みんなで同じ大型バスに乗り、同じ名所を巡り、同じ土産物屋で「誰もが知っている定番の証」を買うことに価値があった時代です。

しかし、交通網の発達や情報化が進むにつれ、人々の旅行スタイルは「個人旅行」や「少人数の家族旅行」へと細分化されていきます。旅行者は「いかにもな定番土産」よりも、「自分だけの特別な体験」や「その土地ならではの伝統工芸品」、「おしゃれな雑貨」など、より個人的でこだわりのあるアイテムを求めるようになっていきました。

理由③ 実用的なお土産の台頭(お菓子やご当地キャラクター)

そして最後の決定的な理由が、テクノロジーの進化と競合するお土産の台頭です。

1990年代に入ると、「写ルンです」に代表される安価な使い捨てカメラが爆発的に普及します。これにより、子どもでも旅先で気軽に写真撮影を楽しめるようになり、その後デジカメ、スマートフォンへとカメラの技術は劇的な進化を遂げました。かつてペナントが担っていた「記念写真の代わり」という最大の役割は、カメラによって完全に奪われてしまったのです。

同時に、限られたお土産屋のスペースを奪い合うトレンドも大きく変わりました。

時代旅の記録手段お土産の主流トレンドペナントの立ち位置
1960〜70年代ペナント、通行手形、絵葉書形に残る重厚な記念品(装飾品、金属製キーホルダーなど)お土産の王様。記念写真の代わりとして飛ぶように売れた。
1980〜90年代コンパクトカメラ、使い捨てカメラ個包装のご当地銘菓、ファンシー絵みやげ流行遅れの象徴になり需要が激減。売り場の隅っこへ。
2000年代以降デジタルカメラ、スマートフォンご当地キャラクターグッズ、実用的な雑貨、ご当地グルメ土産物屋からほぼ完全に姿を消す。

職場や学校で配りやすい個包装の「ご当地銘菓」が売り上げの主力になり、キーホルダーなどの小物も、重厚な金属製メダルからポップで可愛い「ファンシー絵みやげ」や「ご当地キャラクターグッズ」へと世代交代を果たしました。より現代のニーズに合った実用的なお土産に押し出される形で、ペナントは静かに表舞台から姿を消していったのです。

ペナントはいつ頃から見なくなったのか?

お土産売り場からペナントが消えていった具体的な時期は、使い捨てカメラや可愛いファンシー絵みやげが広まり始めた1980年代後半(昭和末期)から1990年代(平成初期)にかけてと思われます。

1970年代から80年代前半にかけては、ズッシリとしたご当地キーホルダーや木製の通行手形などと一緒に、まだまだ観光土産の主役として店頭に並んでいました。しかし、平成に入る頃には、修学旅行生たちにとってペナントはすっかり「親世代のダサいお土産」という扱いになっていきます。

子どもたちの興味は、ローマ字で地名が書かれた可愛いキツネやタヌキのキャラクターグッズへと完全に移り変わりました。その後、2000年代に入って誰もがカメラ付きの携帯電話(ガラケー)を持ち歩くようになると、新しくペナントを作る業者も激減。土産物屋の棚卸しや店舗改装のタイミングで、ひっそりと姿を消すことになりました。

完全に消滅した?ペナントの現在と意外な需要

「飾る場所がない」「写真で十分」「時代遅れ」。そんな理由で観光地の第一線から退いたペナントですが、実はこの世界から完全に消滅してしまったわけではありません。最近になって、私たちの思いもよらない形で「復活」を遂げているんです。

昭和レトロブームによる再評価

観光のお土産としての役割を終えたペナントですが、いま若い世代を中心とした「昭和レトロブーム」の中で、その独特なデザイン性がアートや歴史的資料として改めて高く評価されています。

小さな二等辺三角形という限られた布のキャンバスに、その土地の風景や名産品、ダイナミックな文字を絶妙なバランスで詰め込む手法は、現代のデザイナーから見てもかなり秀逸です。当時の熱量があったからこそ作れた独特の魅力を持つヴィンテージペナントは、現在では手に入らない希少なコレクターズアイテムとして、ネットオークションなどで活発に取引されています。

また、福祉施設などで古いお土産品を丁寧にクリーニングし、ネットショップで再販するといった素敵な取り組みも行われています。古いお土産が持つ歴史的な価値が見直され、丁寧な手仕事によって新しい持ち主へと受け継がれていく。そんな温かな物語も生まれています。

カプセルトイやグッズとしての復活

さらに面白いのが、ペナントの形やレトロなデザインを活かした「新しい楽しみ方」の登場です。今ではジャンルの垣根を越えて、アニメやゲームキャラクターがプリントされた推し活グッズになったり、小さなペナントを紐で繋ぎ合わせたインテリア用の「ガーランド」として活躍したりと、現代のライフスタイルに合わせて幅広く楽しまれています。

そして極めつけは、カプセルトイ(ガチャガチャ)によるミニチュア化と実用化です。

近年、当時のレトロなイラストや金色のフリンジ風プリントを施した「ペナント型のポーチ」がカプセルトイとして発売され、SNSを中心に大きな話題を呼びました。

「壁に画鋲で飾る」という現代では少しハードルの高い使い方を捨てて、ペンケースや小物入れとして使える「ポーチ」にしたことで、ノスタルジーを感じる大人世代から、レトロ可愛いデザインを新鮮に感じるZ世代まで、幅広い層の心をガッチリ掴むことに成功したのです。

昭和の観光地に必ず存在し、若者たちの部屋の壁を彩ったペナント。

時代やライフスタイルの変化によって本来の役割を終えましたが、決して無価値な過去の遺物になったわけではありません。当時の熱気を感じさせるあの極彩色の三角旗は、時を経て「昭和を象徴するレトロアート」へと見事に生まれ変わりました。

実用的なポーチになってカプセルトイの中に並び、ヴィンテージ品としてコレクターたちを熱狂させる現在のペナント。それは単なる古いお土産ではなく、「旅の思い出を形にして残したい」といういつの時代も変わらない人々の願いを映し出し続ける、色褪せない「時代の鏡」なのかもしれません。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times