キッチュでグロテスク、その先にある「タイの地獄寺」の魅力

タイに存在する仏教の地獄を表現した寺院「地獄寺」に魅了され、フィールドワークをもとに研究・執筆活動を行っている椋橋彩香。これまでに100か所以上の寺院を調査してきた彼女が、世間一般では珍スポットとして知られている「タイの地獄寺」のキッチュでグロテスクなその先にある魅力を語る。

20歳、憧れの地獄寺へ
2013年、20歳だった私は初めて「タイの地獄寺」という場所を訪れた。地獄寺を知ったのは高校生の時。当時グロテスクなものにハマっていた私は、放課後に友達とグロテスクな写真をはじめとしたアンダーグラウンドな文化を漁る日々を過ごしていた。そのなかで、タイには地獄寺という場所が存在していることを知った。ちょうどその時、タイ料理にもハマり始めていたこともあって、すぐにタイへの憧れが生まれた。そのタイ料理屋さんでアルバイトをしながら機会をうかがい、やっとタイに行くことができたのは冒頭で述べた20歳の時。初めての海外旅行だった。
そしてついに憧れの地獄寺へ。言葉もわからないままアントーン県という少し田舎の町へ到着し、寺院名を記したメモ一枚を頼りに道を訊きまくり、最終的にはバイクタクシーのおじさんの背中にしがみついて、不安と安堵で泣きながら地獄寺へとたどり着いた。そこに広がっていた光景は、私にとっては地獄どころか天国のようだった。ネットで見て憧れていた場所が、ついに目の前に現れたのである。そしてこの時から私はタイの地獄寺に魅せられて、そのまま「地獄寺研究家」という前人未踏の道を歩むことになってしまった。

地獄寺という場所は、簡単にいえば、キッチュでグロテスクな彫像をつくって、仏教の地獄を表現している寺院のことだ。この地獄寺にはたくさんの亡者たちがいる(ある、ではない)。たとえば、釜ゆでにされている亡者たちや、棘の木に登らされている亡者たち、頭が動物になってしまった亡者たちなど、多いところでは数百体の亡者たちが立ち並んでいる。これらの亡者たちはひとりとして同じ者はいない。全員顔が違えば表情も豊かで、まるで人格を宿しているかのようである。だから私は、○○寺院のこの人、というように亡者ひとりひとりのことを記憶している。写真を撮る時はもちろん、「お~その表情いいねぇ~~!」と心 の中で言いながら、あらゆる角度から撮影する。この人のいちばんいい表情を撮る!と心に決めて、専属カメラマンになった気持ちで臨んでいる。

地獄寺研究の道へ
初めて地獄寺を訪れてから3年後の2016年、地獄寺の研究がしたい一心で大学院に進学した私は、フィールドワークを主にした調査を開始した。バックパックで移動しながら数日~数週間タイに滞在し、「一日一地獄」を目標に可能な限り地獄寺をめぐる。こうして現在までに100か所以上の寺院を調査してきた。
その調査中は、よくわからないド田舎の村に乗り込んだり、仙人のような僧侶にインタビューしたり、何匹もの野犬に追いかけられたり、アリのついたごはんを食べたり、少しばかりハードで刺激的な日々を送ることになる。なぜそこまでしてストイックに地獄寺をめぐるのかと言われることもあるが、自分でもよくわからない。研究という特性上、調査には意義が必要で、それを言葉にして説明しなければならないのだが、実際はタイが好き、地獄寺が好きという気持ちに突き動かされているだけなのである。好きに理由はない。だから私の中では、調査の苦労はすべて愛おしい思い出として蓄積されている。

こうした調査を経て、地獄寺という場所は「教育のため」につくられたということがわかってきた。つまり「悪いことをするとこんなふうに地獄に堕ちます!だからよい行いをしましょう!」ということを、人々に伝えるための3D教科書ということだ。
グロテスクなものを隠したがる現代の日本では、地獄寺のようにグロテスクな彫像が公の場にあるという状況はおそらく考えられないだろう。まして子どもの教育にも使われているなんて。私は地獄寺の亡者たちに対してグロテスクという感情はまったくないので愛おしいとしか思わないが、世の中の人たちにとっては見るに堪えないものである場合もあるらしい。
以前とある日本のイベントで亡者たちの写真を載せたチラシを配っていたら、「怖いので結構です…」と断られたことがある。この時、あぁみんなが地獄寺のことを好きなわけじゃないんだ!という気づきを得た。
それからというもの、地獄寺は怖いとか気持ち悪いとか、そういう感情を向けられる対象であることを忘れないようにしなければならない、と常日頃自分に言い聞かせている(亡者たちがあまりにもかわいいのですぐ忘れてしまうが)。
ただ、怖いものや気持ちの悪いものを過剰に排除してしまうことは、本当に正しいのだろうかと考えたりもする。現代の日本では他人の惨状や死、醜いものは規制がかけられたり自粛されたりして、身近ではなくなってしまっている。ゆえに生きることのありがたみが希薄になってしまっているのではないか、醜いものの存在を受け入れられなくなってしまっているのではないだろうか、と。もちろん地獄寺があるからタイでは悪事が少ない、というわけでは全然ないが、少なくとも、実在する悲惨な状況に向き合う覚悟は、日本の人々よりは備わっているのではないかと思う。

ただの「変なスポット」じゃない
地獄寺では、地獄釜や棘の木などの昔ながらの地獄のほかに、「薬物中毒」「バイク事故」「環境破壊」など、現代の悪を表現したものが散見される。これらはもともとの仏教の教えにはない寺院オリジナルの地獄であり、仏教が今も生活の中に生きているタイならではの発想だ。このようにタイの地獄寺では、現代の悪が反映され、その表現はアップデートを繰り返している。この先ももっと新しい地獄は増えていくだろう。
SNSで悪口を書き込んだ人が堕ちる地獄とか、セクハラやパワハラをした人が堕ちる地獄とか、いくらでも想像はつく。

こうした発想を逆手に取り、タイでは地獄表現に実在の人物を落としこんだ社会風刺的な一面も見ることができる。ある寺院では、地獄寺の亡者たちに政治批判的な絵が描かれている例がいくつも見られた。亡者たちの胸部には、警察による弾圧や重税に苦しむ農民、環境破壊を批判するような絵が描かれている。またある寺院では、汚職で悪名高い政治家や僧侶など、実在する人物たちが地獄釜で煮られる様子が表現されていた。これを寺院の壁画に描いてしまう勇気に脱帽するとともに、こうした静かなる政治批判が行われている事実にも目を向けなければならないと感じた。


愛すべき亡者たち
地獄寺はただの変なスポットではない、もっともっと意味のある場所だということをどうしても伝えたくて、私は「地獄寺研究家」という先の見えない道を歩んでいる。その活動が実を結び、2018年には『タイの地獄寺』(青弓社)という、学術的な書籍を出版することができた。そして私が地獄寺に出会ってから10年の間に、地獄寺が『地球の歩き方』に掲載されるようになったり、その取り上げ方が「学びの場」であると強調されるようになったり、タイの地獄寺はただの「変なスポット」から「意味のある場所」へと、少しずつ認識が変わりはじめたのを感じている。
こうした現状をふまえて、私の次なる野望に、愛すべき地獄寺の亡者たちをひとりひとり認識してもらうこ とが追加された。私が普段調査中に亡者ひとりひとりのことを記憶しているように、皆さんにも「あの寺のあの亡者かわいいよねぇ~!」というレベルの会話ができるくらいになってもらいたい。そのために、今はSNSで毎日毎日亡者の写真をアップしている。いつか「好きな亡者は?」で何時間も会話が続くことを夢見て、これからもタイの地獄寺研究と布教活動は続いていく。