「贔屓(ひいき)」は重荷を背負い、「推し」は背中を押す?江戸と令和の熱狂を比較してわかった決定的違い

「今日も推しが尊い」「推しのために生きてる」

SNSでこんな言葉を見かけたことはありませんか? 「推し活」は今や日本の国民的文化となり、アイドルから声優、Vtuber、二次元キャラまで、その対象は多岐にわたります。

でも実は、日本人が誰かを熱狂的に応援する文化は、江戸時代からずっと続いているのです。当時の人々は、歌舞伎役者や力士、水茶屋の看板娘を熱心に応援していました。そしてその行為を「贔屓(ひいき)」と呼んでいたのです。

「推し」と「贔屓」…同じ応援文化なのに、この2つの言葉には決定的な違いがあります。それは、対象との「距離感」と「責任感」の違いです。

本記事では、語源から現代の推し活まで、日本のファン文化を歴史的・文化的に深掘りします。


そもそも「贔屓(ひいき)」とは何か?語源は中国の伝説の生物から

贔屓の意味とは?現代と江戸時代での違い

「贔屓(ひいき)」という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。現代では「えこひいき」のように、特定の人を特別扱いする、やや否定的なニュアンスで使われることもあります。

しかし本来の「贔屓」は、もっと深い意味を持つ言葉でした。贔屓とは「自分の気に入った者に対して肩入れし、優遇すること」を指します。特に江戸時代には、歌舞伎役者や芸者を応援する「ご贔屓筋」という文化が栄えました。

贔屓の語源は「Bixi(贔屓)」— 重いものを背負う伝説の生き物

「贔屓」の語源は、中国の神話に登場する想像上の生物の名前です。竜の九子のひとつとされ、亀に似た姿をしていますが、その最大の特徴は「重いものを背負うのが好き」ということ。

実際、中国や日本の寺社には、巨大な石碑を背負った亀のような石像が置かれていることがあります。これが「贔屓(Bixi)」です。その姿は、どっしりとした体躯で、何トンもある石碑をしっかりと支えています。

国立国会図書館のレファレンスによれば、「贔屓」という漢字は「貝」(古代の貨幣)が複数組み合わさった構造になっています。「贔」も「屓」も、どちらも「貝」を含む漢字です。つまり、「たくさんの貨幣(財産)を抱える」「重い責任を背負う」という意味が込められているのです。

江戸時代の「ご贔屓筋」=パトロン文化の全盛期

この「重荷を背負う」というニュアンスは、江戸時代の文化にそのまま受け継がれました。

江戸時代、歌舞伎役者や芸者を応援する裕福な商人や武士たちは「旦那衆(だんなしゅう)」と呼ばれました。産経新聞の記事によれば、大坂(大阪)の船場の旦那衆は競って歌舞伎役者のパトロンとなり、大坂歌舞伎の隆盛を支えました。

彼らは単にチケットを買ったり、公演を観に行ったりするだけではありません。役者の生活費を援助し、衣装代を出し、借金の肩代わりをし、時には住居まで用意しました。

早稲田大学演劇博物館のnote記事によれば、「資産家の旦那衆は役者のパトロンともなった」と記されています。歌舞伎役者の市川團十郎家には、代々「大尽(だいじん)」と呼ばれる大口パトロンがつき、家族ぐるみの付き合いをしていました。

これが「ご贔屓筋」です。金銭的・社会的な責任を背負ってこそ、初めて「贔屓」と呼ばれる資格があったのです。


現代の「推し」とは何か?語源は「推薦」— AKB48から広まった文化

「推し」の意味とは?「好き」との違いを解説

では、現代の「推し」はどうでしょうか。山梨中央銀行のサイトによれば、**「推し」とは「推薦する、推す、などの動詞から派生した言葉」**です。

重要なのは、「推し」は単なる「好き」ではないということ。デジタル大辞泉では「人にすすめたいほど気に入っている人や物」と定義されています。つまり、自分だけが楽しむのではなく、他の人にも薦めたい、布教したいという気持ちが込められているのです。

推しの由来はAKB48の「推しメン」から

「推し」という言葉が広まったきっかけは、2000年代後半のAKB48ブームだと言われています。ファンの間で「推しメン(推しているメンバー)」という言葉が使われ始め、それが次第に「推し」として定着しました。

国民生活センターの資料によれば、「推し活」とは「推し=イチオシの存在を応援する活動全般」を指します。SNS時代の推し活は、「布教」的な側面が強調されます。好きなアイドルの動画をシェアし、魅力を語り、新規ファンを増やそうとする——これは「拡散」の文化です。

推しと贔屓の決定的な違い〜背負うか、押すか〜

「推し」の応援スタイルは、基本的に消費活動です。CDを買う、配信を見る、グッズを集める——これらはすべて、公式に用意されたチャネルを通じた、適度な距離感のある支援です。

もちろん、熱心なファンは多額のお金を使いますし、推しのために時間も労力も惜しみません。でも、それは「推しの人生全体を背負う」というものではありません。

面白いのは、「推し」という言葉の動詞的な使い方です。

「推しを推す」——この表現は、対象の背中を「押す」というニュアンスを含んでいます。

贔屓が「上から引き上げる」垂直的な関係だとすれば、推しは「後ろから押す」水平的な関係。贔屓が重荷を「背負う」なら、推しは背中を「押す」。この言葉のニュアンスの違いは、実に象徴的です。


【比較検証】江戸の「贔屓」vs 令和の「推し」— 3つの決定的な違い

ここまで見てきた「贔屓」と「推し」の違いを、もう少し構造的に整理してみましょう。

方向性の違い:垂直の「引き上げ」か、水平の「拡散」か

江戸時代の「贔屓」= フックアップ(引き上げ)文化

パトロンは、自分の財力と社会的地位を使って、役者や芸人を引き上げます。これは明確な上下関係です。旦那衆が役者の借金を肩代わりし、生活の面倒を見るのは、まさに「下から支え、上へ引き上げる」行為です。

現代の「推し」= シェア(拡散)文化

ファンは、自分と同じ目線の他のファンに向けて、推しの魅力を広めます。これは水平的な広がりです。Twitterのハッシュタグ、TikTokの動画拡散、ファンアートのシェア——すべて「みんなで応援すればもっと推しが輝く」という共有の価値観です。

関係性の違い:独占欲か、共有欲か

江戸時代の「贔屓」= 囲い込みとステータス

江戸時代の旦那衆は、自分が贔屓にしている役者を「囲い込む」ことに価値を見出しました。専属のパトロンであることが、社会的ステータスだったのです。

現代の「推し」= コミュニティと共有の喜び

現代の推し活には、「同担(同じメンバーを推している人)」という概念があります。かつては「同担拒否」という文化もありましたが、今では「同担歓迎」が主流です。むしろ、同じ推しを持つ仲間とコミュニティを作り、一緒に応援することに喜びを見出します。

推しの誕生日に集まる「推し会」、オフ会、SNSでのファン交流——これらはすべて、推しを通じた横のつながりを重視する文化です。

リスクの共有:一蓮托生か、切り替え可能か

江戸時代の「贔屓」= 一蓮托生のリスク

「贔屓の引き倒し」という言葉があります。これは、贔屓しすぎて相手をダメにしてしまう、という意味ですが、同時に贔屓する側も共倒れするリスクを含んでいます。

江戸の旦那衆は、役者が失敗すれば自分の評判も落ちるし、投資した金も無駄になります。まさに「一蓮托生」です。

現代の「推し」= ライトなリスク、切り替え可能

一方、現代の推し活は、基本的に切り替え可能です。推しが卒業したり、引退したりしても、ファンの人生そのものが破綻するわけではありません。「推し変」という言葉があるように、新しい推しを見つけることもできます。

もちろん、推しを失った喪失感は大きいですが、それは感情的なものであり、経済的・社会的な破滅ではありません。この「リスクの軽さ」が、現代の推し活をより気軽で、より多くの人が参加しやすいものにしているのです。


それでも変わらない「日本人のファン文化DNA」— 江戸の推し活事情

「贔屓」と「推し」——言葉も、スタイルも、責任感も違う。でも、日本人が誰かを熱狂的に応援する文化の根っこには、驚くほど共通するDNAがあります。

錦絵(浮世絵)はブロマイド、家紋はメンバーカラー

江戸時代、歌舞伎役者の姿を描いた錦絵(浮世絵)は、庶民の間で爆発的に売れました。**役者絵の第一人者である東洲斎写楽や歌川国貞の作品は、まさに当時のブロマイドです。

ファンは何枚も買い集め、部屋に飾り、友人と交換しました。これは現代の「推しのグッズ収集」と全く同じ行動です。

さらに、各役者には家紋(定紋)があり、ファンはその柄の手ぬぐいや着物を身につけて公演に通いました。七代目市川團十郎の「三升(みます)」、五代目尾上菊五郎の「八重襷(やえだすき)」——これらの紋様は、今で言うメンバーカラーそのものです。

特に有名なのが、佐野川市松という役者が舞台で着用した市松模様(白と紺の格子柄)。この柄は大流行し、「市松模様」として今も日本文化に残っています。推しの影響力が文化そのものになった、究極の例と言えるでしょう。

「会いに行けるアイドル」は江戸時代にもいた — 水茶屋の看板娘

江戸時代には、「水茶屋」という簡易的な茶屋がありました。そこで働く看板娘たちは、美貌で評判になり、多くのファンを集めました。

中でも有名なのが、笠森お仙(かさもりおせん)です。谷中の笠森稲荷門前の水茶屋で働いていた彼女は、その美しさから浮世絵に何度も描かれ、「江戸三美人」の一人に数えられました。

ファンたちは、お仙に会うためだけに谷中まで足を運びました。まさに「会いに行けるアイドル」です。現代のAKB48の劇場文化や、メイドカフェの文化と、驚くほど似ています。

さらに、お仙の人気にあやかって、多くの水茶屋が看板娘を前面に押し出すようになり、ちょっとしたアイドル戦国時代の様相を呈しました。これも、現代のアイドルブームと全く同じ構造です。


「贔屓」は覚悟、「推し」は共感 〜形は変われど、応援のエネルギーは尊い〜

「贔屓」と「推し」——この二つの言葉を比べてみると、日本人の応援文化がどう変わり、そして何が変わらなかったのかが見えてきます。

「贔屓」は、重荷を背負う覚悟の応援でした。パトロンとしての責任、一蓮托生のリスク、そして独占的な関係性。それは、ある種の「覚悟」を必要とする行為でした。

「推し」は、背中を押す共感の応援です。みんなで拡散し、共有し、コミュニティを作る。リスクは軽く、参加のハードルは低い。でも、その分、多くの人が自分なりのスタイルで応援できるようになりました。

どちらが良い、悪いという話ではありません。時代が変われば、経済構造も、コミュニケーションの形も、価値観も変わります。

でも、誰かの才能や努力に心を動かされ、応援したくなる——その純粋なエネルギーは、江戸時代から令和の今まで、何も変わっていません。

錦絵を集めた江戸っ子も、グッズを集める現代のオタクも、根っこは同じです。笠森お仙に会いに行った若者も、握手会に通うファンも、同じ気持ちです。

あなたの「推し」は誰ですか? その推しを応援する気持ちは、数百年前の江戸っ子たちとつながっているかもしれません。

次にライブやイベントに行くとき、ちょっとだけ想像してみてください。江戸時代の旦那衆や町娘たちも、きっとあなたと同じように、胸を高鳴らせて芝居小屋に向かったのだろうな、と。


参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times