プリントゴッコとは? 年賀状文化を支えた家庭用印刷機。閃光と匂いから消えた理由、リソグラフの現在まで解説

この記事でわかること

  • 「プリントゴッコ」とは何か、あの「ビガッ!」という閃光と匂いの正体(孔版印刷の仕組み)。
  • 1980年代に「一家に一台」と言われるほど爆発的に流行した理由。
  • PCプリンターの普及と年賀状文化の縮小という「二重の波」によって姿を消した背景。
  • その技術が「リソグラフ」として海外アーティストに再評価されている意外な「現在」。

年末の大掃除が終わり、新年の足音が近づく慌ただしい師走の夜。居間のこたつには、家族と数枚の年賀状、そして独特のフォルムを持つ四角い機械が置かれていました。

手書きのイラストをセットし、本体のフタを閉じて力を込める。そして、あの瞬間を迎えます。

「ビガッ!」

一瞬、目を閉じてしまうほどの強烈な閃光 。直後に漂う、何かを焦がしたような独特の匂い 。原稿が「版(マスター)」に焼き付けられた証拠です。そして、原色インクのツンとした油性の香り。

平成の年賀状文化を支えた家庭用印刷機、「プリントゴッコ」。

この機械にノスタルジーを感じる方は、きっと「あるある」として記憶されているはずです。インクを乗せすぎてベッタリと滲んでしまったり、乾く前に重ねてしまい、あえなく「悲惨なこと」(=失敗作)になったり 。

デジタル印刷のようにボタン一つで完璧な刷り上がりが約束されるわけでもなく、むしろ「手間」や「面倒」の象徴でさえありました。

にもかかわらず、なぜ私たちは、あれほど「プリントゴッコ」に夢中になったのでしょうか?

1980年代後半にピークを迎え 、昭和・平成の多くの家庭で「一家に一台」とまで言われたあの機械は、なぜ、そしていつ、私たちの前から姿を消したのでしょうか。

プリントゴッコとは?「遊び(ゴッコ)」が生んだ文化

プリントゴッコの本質は、単なる「印刷機」という言葉では捉えきれません。その核心は、製品名そのものに隠されています。

「孔版印刷」という魔法

プリントゴッコの核心技術は「孔版(こうはん)印刷」と呼ばれるものです 。これは、学校で使った「ガリ版」や、Tシャツプリントに使われる「シルクスクリーン」と同じ原理で、微細な穴(孔)の開いた版にインクを通過させて印刷する、非常にシンプルな技術です。

理想科学工業の功績は、この孔版印刷の「製版(版を作ること)」と「印刷(刷ること)」の工程を、家庭でも安全かつコンパクトに行える機械にパッケージ化した点にあります 。特に、原稿をフラッシュ(閃光)で焼き付けて版(マスター)を作る技術は画期的でした。

この技術のおかげで、当時の家庭用プリンターでは難しかった「金色・銀色」などの特色インクを使ったり、Tシャツなどの「布」にプリントしたりすることが手軽に実現できたのです。

なぜ「印刷機」ではなく「ゴッコ」だったのか

改めて、創業者・羽山昇氏が「親子で“印刷ゴッコ”を楽しんでほしい」という想いを込めて「ゴッコ」と名付けた逸話に注目してみましょう。もしこの製品が「家庭用簡易孔版印刷機 RISO-P1」のような無味乾燥な名前だったら、これほどのブームは起きなかったかもしれません。

「ゴッコ(遊び)」と名付けた慧眼(けいがん)こそが、この製品の本質(=結果ではなくプロセスを楽しむ体験型玩具)を的確に規定し、消費者に「これは家族で遊ぶための道具だ」と正しく伝えた、最大の成功要因だったと言えます。

この製品が提供していたのは、完璧な「結果(アウトプット)」ではなく、印刷に至るまでの「過程(プロセス)」そのものだったのです。

なぜプリントゴッコは爆発的に流行したのか?

プリントゴッコは1977年に発売され 、1980年代にその人気が沸騰。1987年には年間販売台数72万台を達成します 。あまりの売れ行きに生産が追いつかず、全国紙に「お詫び広告」を掲載したほどでした 。

この熱狂は、単に製品が優れていたからだけではありません。「プリントゴッコ」の成功は、当時の日本社会の複数のベクトルが、1980年代という一点で奇跡的に交わった「文化的ハブ」であったことを示しています。

1980年代という「奇跡の交差点」

  1. 「年賀状」という巨大な文化的インフラ: 当時はまだ、SNSはもちろんEメールすら普及しておらず、「年賀状」が国民的なコミュニケーションインフラとして絶対的な地位を占めていました。
  2. 「手づくり」への憧憬(しょうけい): 大量生産・大量消費の時代にあって、オリジナリティのある「手づくり」の温かみへのニーズが高まっていました。
  3. 「一家団らん」と「知育」という価値観: 高度経済成長を経て、家庭内での「一家団らん」や、子どもの「知育」 に価値が置かれていた時代背景がありました。

「プリントゴッコ」は、これら3つの社会的欲求すべてに応える、完璧なソリューションだったのです。

なぜプリントゴッコは消えたのか?

しかし、永遠に続くかと思われた「プリントゴッコ」の時代も、終わりを迎えます。2008年6月末に本体の販売が終了し 、2012年12月28日をもって、ついに事業そのものが終了となりました 。

この終焉は、一般的に「PCとプリンターの普及」 による「技術的敗北」として語られます。しかし、それは第一の要因に過ぎません。プリントゴッコは、二重の波に飲み込まれたのです。

PCとプリンターの普及という「技術の波」

第一の波は、「PC+インクジェットプリンター」の普及です 。

プリントゴッコが「プロセス」の楽しさ、すなわち「ものづくりの楽しさ」 を提供した のに対し、インクジェットプリンターが家庭にもたらしたのは、「効率性」「完璧さ」、そして「手軽さ」という、まったく異なる価値でした 。

豊富なフォント、無料のイラスト素材、そして何より「宛名印刷」という圧倒的な自動化。ボタンを押すれば、誰でも「失敗しない」美しい年賀状が約束されました。

この交代劇は、家庭における年末の恒例行事が、「創造的な“遊び”」から「効率的に処理すべき“タスク”」へと、その意味合いを大きく変えたことを示しています。私たちは「プロセス」の楽しさよりも、「アウトプット」の効率性を選ぶようになったのです。

年賀状文化そのものの縮小という「文化の波」

そして、より本質的だったのが第二の波です。プリントゴッコが立っていた土台、すなわち「年賀状文化」そのものが、根本から揺らぎ始めたのです。

日本郵便の発表を見ても、年賀状の発行枚数は2003年をピークに減少の一途をたどっています。新年の挨拶は「EメールやSNS」で済ますことが一般化し、LINEのスタンプやInstagramのストーリー機能 がその役割を代替していきました。「手間とコスト」「個人情報保護」「環境への配慮」 3 といった新しい価値観が、「年賀状じまい」 という行動さえ生み出しました。

プリントゴッコは、「技術の波」と「文化の波」という、二重の津波によってその役目を終えたのです。

プリントゴッコの「現在」。意外な場所での輪廻転生

RISO ART CFREATORSより引用

しかし、ここで物語は終わりません。それどころか、ここからが「知的なメガネ」を通して見える、最も面白い風景です。

プリントゴッコを駆逐したはずの「家庭用プリンター」ですが、皮肉なことに、今やそのプリンター自身が「年賀状需要の縮小」 という「第二の波」に直面しています。その結果、プリンターメーカーは「推し活(好きなアイドルやキャラクターを応援する活動)」グッズの自作といった、新たな需要に活路を見出そうと必死になっています 。

では、プリントゴッコの魂は、本当に消えてしまったのでしょうか?

「リソグラフ」としてアート界で再評価

いいえ、その技術(=孔版印刷)は、開発元の理想科学工業において業務用印刷機「リソグラフ(RISOGRAPH)」として継承されていました 。そして驚くべきことに、この「リソグラフ」が今、その独特の風合いゆえに、世界中のアーティストやクリエイターから熱狂的に再評価されているのです。

彼らがリソグラフを愛する理由。それは、デジタル印刷のような完璧さとは対極にある「アナログな不完全さ」にあります。

  • 「色の重なりや、独特なカスレ、ムラ」といった「レトロな風合い」
  • 「一枚一枚を手で刷ったようなインクののり具合、味わい」
  • 「仕上がりが想像を超えてくる」「予期しない色の重なり」
  • 「全てが同じ仕上がりにはならない」面白さ

クリエイターたちは、この「不完全さ」こそを「現代の版画表現」として高く評価し、アート作品やZINE(個人制作の冊子)を生み出しています 。

ここに、美しい「円環」が完成します。

かつて私たちが「プリントゴッコ」で「インクがはみ出た」「ムラになった」 と嘆いた「失敗」や「アナログな不完全さ」。それこそが、デジタルによる「完璧な」表現に飽きた現代において、最も価値のある「アート(RISO ART)」 として、世界の最前線で再発見されているのです。

おわりに

「プリントゴッコ」とは、私たちにとって何だったのか?

それは単なる過去のガジェットではなく、「効率性」がすべてを支配する以前の時代に、「ものづくりの楽しさ」という人間本来の喜びを、家族の団らん の中で実現させてくれた「体験装置」でした。

そして、プリントゴッコの物語は、テクノロジーの進化が「古いものが新しいものに取って代わられる」という単純な直線ではないことを教えてくれます。

それは、「効率」と「体験」、「完璧」と「不完全」の間を揺れ動き、巡り巡って価値が「再発見」される、豊かで愛おしい「円環運動(サイクル)」なのです。

私たちが「ビガッ!」という光と焦げた匂い と共に記憶している、あの愛おしい「手間」 の価値は、デジタル時代を経た今、「RISO ART」 として、確かに世界に受け継がれています。

私たちの日常に潜む「非効率」や、ちょっとした「ムラ」さえも、なんだか少しだけ愛おしく、面白く見えてこないでしょうか。

それこそが、私たちが「“ゴッコ”遊び」 から学んだ、最も大切なものなのかもしれません。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times