「おじさんの我慢」から「若者のウェルビーイング」へ。なぜ私たちはサウナで“ととのう”を求めるのか?

この記事でわかること

  • かつて「おじさんの我慢」の場だったサウナが、なぜ今「若者のウェルビーイング」の場へと変化したのか。
  • ブームの火付け役となった漫画『サ道』と、「ととのう」という“魔法の言葉”が果たした役割。
  • 「ととのう」とは何か? サウナ・水風呂・外気浴が引き起こす「自律神経の強制リブート」のメカニズム。
  • ストレス社会やデジタル疲れの中で、現代人がサウナに「心身のリセット」を求める心理的・時代的背景。

最近、あなたの周りでこんな「小さな謎」に遭遇したことはないでしょうか。

SNSのタイムラインで、あるいは職場の休憩室で。普段は理知的でクールな友人や同僚が、まるで哲学者のような、あるいは求道者のような真剣な眼差しで、うっとりとこう語るのです。「昨日、久しぶりに“ととのった”……」と。

彼らが語る「サウナ」の世界は、私たちがかつて持っていたイメージ——薄暗い施設で、中高年の男性たちがテレビを見ながらじっと汗を流す「我慢大会」のような光景——とは、似ても似つかないものです。彼らの口から飛び出すのは、ロウリュ、アウフグース、サ飯(サめし)、そして何より、あの魔法の言葉「ととのう」です。

なぜ今、これほどまでにサウナはブームなのでしょうか。そして、誰もが口にする「ととのう」という、あの不思議な感覚の正体とは、一体何なのでしょうか。

この記事は、サウナの入り方や「ととのう」ためのコツを伝授する実用ガイドではありません。これは、現代人が「サウナ」という熱い小部屋に、何を求め、何を見出しているのか。さあ、一緒にこの熱く、そしてクールな謎を探求してみましょう。

サウナをめぐる「構造」の変化――「昭和」と「令和」の対比

現在のサウナブームの本質を理解するために、まずはその「過去」との鮮やかな対比から見ていく必要があります。私たちが「サウナ」と聞いて思い浮かべるイメージは、実は時代によって大きくその「構造」が異なっているのです。

「昭和サウナ」の誕生とイメージの確立

日本のサウナ文化が産声を上げたのは、1964年の東京オリンピックでした。フィンランドの選手団が選手村にサウナを持ち込んだことが注目され、これが日本におけるサウナの「文化的起点」となったのです。

その後、サウナはカプセルホテルやスポーツ施設、健康センターといった場所に併設される形で全国に普及していきました。この歴史的背景から、当時の利用者はもっぱら男性であり、「サウナ=おじさんが行くところ」というイメージが強固に形成されます。

この時代のサウナは、高温・高湿の日本独自仕様、いわゆる「昭和ストロングスタイル」が主流でした。そこでの価値は「我慢」の先にある「発汗」や「健康効果」、あるいは水風呂上がりのビールといった「社交場」としての機能でした。それはあくまで「お風呂+α」の付加価値だったのです。

「令和サウナ」へのパラダイムシフト

一方、現在のブームはどうでしょう。ブームの主役の一翼を担うのは、若者やこれまで縁遠いとされてきた女性たちです。

彼らが向かう施設は、「おしゃれ」で清潔感が重視され、サウナストーンに水をかけて蒸気を発生させるフィンランド式の「ロウリュ」などが導入されています。

そして何より決定的な違いは、その「目的」です。

令和のサウナは、「我慢」や「発汗」そのものを目的としません。サウナ(熱)→ 水風呂(冷)→ 外気浴(休)という一連の「プロセス」そのものを楽しみ、その結果として得られる「ととのう」という心身のリセット感覚こそが、最大の価値とされています。

この二つの時代のサウナ観を、「構造」として整理したのが以下の表です。

比較項目昭和サウナ(1960s-1990s)令和サウナ(2019-)
主な利用者中高年男性若者、女性、ビジネスパーソン
キーワード我慢、健康、発汗、社交場ととのう、ウェルビーイング、リセット
スタイル高温・高湿(日本式ストロングスタイル)高温・低湿(フィンランド式)、ロウリュ
文化的起点1964年東京五輪漫画・ドラマ『サ道』
価値「お風呂+α」の付加価値「心身の調整」という体験そのもの
「昭和サウナ」と「令和サウナ」の構造比較

この対比が鮮やかに示しているのは、サウナという「モノ(ハードウェア)」自体が劇的に進化したのではなく、サウナを体験する「意味(ソフトウェア)」、すなわち文化的文脈が完全に書き換わったという事実です。

昭和が「身体的・外的」な価値(健康、付き合い)を求めたのに対し、令和は「精神的・内的」な価値(ととのう、リセット)を求めているのです。

ブームの火付け役と「魔法の言葉」の誕生

では、この劇的な「意味の書き換え」は、どのようにして起きたのでしょうか。その最大の功労者が、表にもある文化的起点、タナカカツキ氏の漫画『サ道』です。

2019年にドラマ化されたこの作品は、単なるブームのきっかけという以上に、「サウナの伝道漫画」と称されるほどの決定的な役割を果たしました。

『サ道』の最大の功績は、サウナの魅力をスタイリッシュに描いたこと以上に、「ととのう」という言葉を世に広めたことです。

この「ととのう」という言葉は、もともとサウナ愛好家のブロガーである「濡れ頭巾ちゃん」氏が、サウナ後に訪れる多幸感を表現するために提唱した「(心身のバランスが)整う」という表現が起源とされています。それ以前は、同じ状態を指す言葉として「恍惚」や「サウナトランス」、果ては「ニルヴァーナ(涅槃)」といった、どこか掴みどころのない言葉でしか表現されていませんでした。

タナカカツキ氏がこのSNS上で使われていた言葉を見出し、自身の作品『サ道』で紹介したことで、「ととのう」は爆発的な認知度を獲得します。

これは、文化人類学でいう「名付け(Naming)」の力そのものです。

それまで曖昧で個人的な感覚でしかなかったものが、「ととのう」というキャッチーな“名前”を与えられた瞬間、それは「再現可能な体験」へと昇華しました。『サ道』は、「サウナ→水風呂→休憩」という一連のプロセス(マニュアル)と、「ととのう」という明確なゴールをセットで提示した「聖書」となったのです。人々は初めて、その曖昧な感覚を「目指すべきゴール」として明確に認識し、共有することが可能になりました。

なぜ「ととのう」のか?――心と身体の「強制リブート」

では、『サ道』が広めた「ととのう」とは、私たちの心身にとって科学的にどのような状態なのでしょうか。

そのメカニズムの鍵を握るのが「自律神経」です。

  1. サウナ(高温):まず、90℃を超える高温のサウナ室に入ると、私たちの身体は極度のストレス(生命の危機)を感じます。これにより、心身を「戦闘モード」にする交感神経が優位になります。
  2. 水風呂(低温):次に、15℃前後の水風呂に入ることで、身体はさらなる危機を感じ、交感神経の働きはピークに達します。血圧は急上昇し、心臓は激しく鼓動します。
  3. 外気浴(休憩):そして、危機的状況(熱と冷)から脱し、外気浴でリクライニングチェアなどに横たわると、脳は「危機が去った」と認識します。すると、今度は身体を「リラックス・修復モード」にする副交感神経が一気に優位に切り替わります。

「ととのう」の瞬間は、この「3. 外気浴」のプロセスで訪れます。

交感神経の興奮による高揚感(頭は冴えている)と、副交感神経が優位になったことによる深いリラックス(身体はゆるんでいる)が、一時的に両立するのです。これが「ととのう」の正体、すなわち「自律神経の強制リブート」です。

さらに、近年の脳科学的なアプローチでは、この外気浴中に脳波に特異な変化が現れることが確認されています。ある研究によれば、外気浴中は「θ波(シータ波)」と「α波(アルファ波)」が増加することが示されました。

これらは「リラックス状態」や「内省的に静かに集中している状態」に関連するもので、奇しくも瞑想や安静時にもよく見られる脳波なのです。

マインドフルネスや瞑想が「精神」からアプローチしてこの状態を目指すのに対し、サウナは「肉体」への過酷な刺激(熱と冷)を通じて、強制的にこの状態へと到達しようとします。これは、複雑な現代社会において、手っ取り早く心身をリセットしたいというニーズに応える、極めて効率的な「生理学的なショートカット」と言えるでしょう。

日常を愛おしむ「五感」のフック

サウナの魅力は、こうした分析的な理解だけでなく、私たちの「五感」や「原体験」を強く刺激する点にもあります。

【味覚】「サ飯(サウナ飯)」はなぜあんなに美味しいのか?

サウナ後のご飯、特に麻婆豆腐やカレー、あるいはただの炭酸水が、人生で一番と言えるほど美味しく感じた経験はありませんか?

それは、気のせいではありません。

サウナでの大量の発汗は、身体を軽い「サバイバル状態」にします。体内のエネルギー(糖)とミネラル(塩分)が失われているため、身体は失われた栄養素を効率よく補給しようとします。その結果、糖分、塩分、旨味といった「生命維持に必要な味」に対する味覚の感度が、一時的に引き上げられるのです。

さらに、サウナの温熱効果で全身の血流が良くなることで、食事に密接に関わる「胃腸」の働きも活発化し、まさに「ととのう」状態になります。

「サ飯」のあの格別な美味しさは、私たちの身体が「生きるため」に五感を研ぎ澄ませた、生命力そのものの味なのです。

【触覚・聴覚】サウナ室の「暗黙のルール」が守るもの

サウナ室では、なぜか皆が静か(黙浴)で、水風呂に入る前には必ず掛け湯やシャワーで汗を流します。一部では、これを怠る人を「汗流しカットマン」 と呼ぶこともあるほど、このマナーは徹底されています。

これらは単なる公衆浴場でのマナーを超え、一種の「儀式」として機能しています。

こうしたローカルルールが守っているのは、水風呂の清潔さだけではありません。それは、サウナという空間を「日常」から切り離された「非日常」の聖域として保つための、利用者全員による暗黙の合意です。この静かで秩序ある空間こそが、「ととのう」ために必要な「内省的な集中」を可能にしているのです。

なぜ「“今”」私たちは“ととのう”を求めるのか?

サウナは1964年から、『サ道』は2019年から存在していました。しかし、なぜコロナ禍を経た「今」、これほどまでにブームは加速し、人々は「ととのう」ことを切実に求めているのでしょうか。

デジタル・デトックスという「避難所」

第一に、私たちはスマートフォンによって24時間「接続」され、常に情報と刺激にさらされています。サウナは、物理的にスマートフォンを持ち込めない、現代に残された数少ない「避難所」です。そこでは、外界からの情報が強制的に遮断され、「熱」という一点に集中せざるを得ません。これは、究極の「デジタル・デトックス」です。

ストレス社会と「パフォーマンス向上」

第二に、現代のビジネスパーソンは、常に仕事のプレッシャーにさらされています 8。サウナによる「強制リブート」は、ストレスを解消するだけでなく、自律神経のバランスを取り戻すことで、翌日の集中力や創造力を高める、いわば「パフォーマンス向上のためのメンテナンス」として捉えられています。

ウェルビーイングという「世界的潮流」

そして第三に、今、世界は「ウェルネス」や「ウェルビーイング」(=身体的、精神的、社会的に良好な状態)を重視する大きなトレンドの中にあります。

サウナは、肉体的な健康(血流改善など)、精神的なリラックス、さらには幸福感(セロトニンやエンドルフィンの分泌促進)を同時に満たす、非常に効率的なウェルビーイング実現手段として、世界的に再評価されているのです。

サウナブームは、単なる偶然の流行ではありません。それは、デジタル化とストレスが極限まで高まった現代社会において、人々が「心身の主導権を取り戻したい」という普遍的な欲求の表れです。「ととのう」は、時代のニーズがサウナという古い装置に「発見」した、最も新しい「生存戦略」なのです。

おわりに

私たちは今日、「おじさんの我慢」(昭和)から始まったサウナが、いかにして「若者のウェルビーイング」(令和)へと、その「意味」を鮮やかに書き換えたかを見てきました。

サウナという現象の裏には、

  • 1964年のオリンピックという「歴史」
  • 『サ道』という「文化的触媒」
  • 「ととのう」という「魔法の言葉」
  • 自律神経をリセットする「身体のシステム」
  • そして、デジタル・デトックスとウェルビーイングを求める「時代の切実な欲求」

という、壮大な構造が横たわっていることがわかります。

次にあなたが街でサウナの看板を見かけたとき。あるいは友人が「ととのった」と嬉しそうに語っているとき。

あなたはもう、それを単なる「熱い部屋」や「流行り言葉」として見ることはないでしょう。そこには、ストレス社会の中で、どうにか心身のバランスを取り戻そうと奮闘する、私たち自身の健気(けなげ)で愛おしい姿が映っています。

サウナは、その起源である2000年以上前から、ただそこにあるだけ。変わったのは、サウナを見る「私たち」の側でした。

そう考えると、この息苦しいようでいて、どこか面白いこの世界が、ほんの少しだけ愛おしく感じられませんか?

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times