ジビエ料理はなぜブームになったのか。「害獣」から「ご馳走」になった理由

この記事でわかること

  • 「ジビエは臭い」という神話の正体:実は肉本来の匂いではなく、処理システムの問題だった
  • 美味しいジビエを支える見えない革命:料理人の情熱と国の政策が噛み合った瞬間
  • なぜ"今"ブームになったのか:健康(カラダ)・倫理(ココロ)・地域(つながり)という3つの現代的価値観が交差した理由
  • ヨーロッパ貴族とマタギの共通点:東西で異なる文化が持つ「命を余さず使う」という普遍的な哲学
  • 鹿肉の驚くべき栄養価:和牛と比較した高タンパク・低脂質・低カロリーの実力
  • 「害獣」を「資源」に変えた社会システム:捕獲の9割が廃棄されていた状況から、どう変わったのか

ちょっとお洒落なビストロのメニューを開くと、「鹿肉のロースト」の文字。隣のテーブルからは「猪肉、意外とあっさりしてるね」という会話が聞こえてきます。

「ジビエ」という言葉は、もはや美食家だけのものではありません。私たちの食の選択肢として、確かな居場所を見つけています。

でも、ここに小さな「矛盾」が潜んでいることに気づくでしょうか。

あなたが今「ご馳走」として味わっているそのシカやイノシシは、同じ日のニュースでは「農作物を荒らす害獣」として報じられている、まったく同じ動物です。農林水産省のデータによれば、野生鳥獣による農作物被害額は年間約158億円。そのうちシカとイノシシだけで全体の約6割を占めています。

つい昨日まで「厄介者」だった存在が、今日は「美味しい」とテーブルを囲む。この劇的な価値の反転は、いったいどうやって起きたのでしょうか。

実は、その背景には、私たちの知らないところで静かに進んだ「技術」「制度」「価値観」の三重革命がありました。この記事では、なぜ私たちがジビエを「ご馳走」と感じるようになったのか、その構造を解き明かしていきます。

この視点を手に入れれば、「害獣」と呼ばれる彼らの存在が、少しだけ違って見えてくるはずです。


「臭い」という神話は、どこから来たのか

かつて私たちが恐れた「ジビエ」

多くの日本人にとって、「ジビエ」という言葉には、ある種の「警戒心」がついて回っていました。それは「臭いんじゃないか?」という、五感レベルの強力なバリアです。

実は、この恐れには根拠がありました。

ひと昔前、「ジビエ=臭い」という評判は、あながち間違いではなかったのです。ただし、その原因は肉そのものではなく、捕獲後の「処理のシステム」が確立されていなかったことにありました。

野生鳥獣は家畜と違い、体温が非常に高い。シカは特にそうです。捕獲後、速やかに血を抜き、内臓を取り出して急速冷却しなければ、体温で肉のタンパク質が変性し、雑菌が繁殖してしまいます。

私たちが「獣臭さ」として感じていたもの。その正体の多くは、処理の遅れによって生じた肉の劣化臭でした。つまり、肉本来の風味ではなく、「人間の技術的失敗」が生み出した匂いだったのです。

現代の「ジビエ」が臭くない理由

では、なぜ今のジビエはあの独特の臭みを感じさせないのでしょう。

答えはシンプルです。「臭み」の原因だった血抜きと冷却のプロセスが、驚異的なスピードと衛生管理のもとで行われるようになったからです。

現代のジビエ処理は、捕獲の瞬間から始まります。信頼できるハンターは捕獲後ただちに血抜きを行い、衛生的な専門施設へ速やかに搬入します。施設では精密機械のように解体・洗浄・冷却が進み、「臭みの原因」が発生する隙を与えません。

つまり、私たちが「ジビエは臭い」という神話から解放されたのは、肉の味が変わったからではなく、それを受け止める人間の「システム」が進化したからなのです。


「美味しい」を支える見えないシステム

料理人の情熱「引き出す力」

では、その「美味しく食べるシステム」は、どう作られたのでしょうか。

物語の始まりは、現場の料理人たちの熱意でした。その象徴的な存在が、長野県で「オーベルジュ・エスポワール」を営む藤木徳彦シェフです。

彼は信州の厳しい冬の食材としてジビエの可能性に早くから気づいていました。しかし、調理法以前に巨大な「壁」が立ちはだかりました。当時、ジビエは法的に「食品」として位置づけられておらず、保健所からは「駆除で出たもの(=廃棄物)を客に出すのか」とストップがかかるほどだったのです。

藤木シェフは諦めませんでした。「これほど美味しい食材を、ただ処分されるだけにしてはいけない」。行政への働きかけを続けた結果、長野県は「信州ジビエ衛生管理ガイドライン」を制定。これが全国のモデルケースとなりました。

「こんなに美味しいのだから、なんとかして食卓に届けたい」。料理人たちがその価値を"引き出そう"とした情熱が、革命の第一歩でした。

政策の後押し「押し出す力」

一方、国も深刻な問題を抱えていました。増え続ける野生鳥獣による農作物被害です。

「駆除」するだけでは、担い手である猟師の意欲も続きません。農林水産省は、捕獲した鳥獣を「資源」として利活用すること、つまり「食べて経済を回す」ことが持続可能な対策だと舵を切りました。

そこで国は強力な"PUSH"を行います。

鳥獣被害防止総合対策交付金でジビエ処理施設などインフラ整備を支援し、さらに2018年、決定打となる「国産ジビエ認証制度」をスタートさせました。

この認証マークは、「定められたガイドラインに基づき衛生的に処理され、トレーサビリティが確保された安全なジビエである」ことを国が保証するものです。消費者の「臭いかもしれない」という不安を払拭する「信頼の証」となりました。

「美味しいジビエを食べたい」という料理人の"PULL"と、「ジビエを資源として活用し被害を減らしたい」という国の"PUSH"。この両輪が噛み合った瞬間、ジビエは「得体の知れない肉」から「信頼できる食材」へと変貌を遂げたのです。


コラム:「ジビエ」と「マタギ」—狩りをめぐる東西の物語

「ジビエ(gibier)」はフランス語で、狩猟で得た野生鳥獣の肉を指します。ヨーロッパで狩猟は王侯貴族の特権であり、ジビエは上流階級だけが味わえる「貴重なご馳走」として食文化に根付いていました。

この「高貴なご馳走」というヨーロッパの文脈と、近年の日本における「害獣」という文脈は、あまりに対照的です。

しかし、日本にも古来、野生鳥獣と向き合ってきた人々がいます。東北地方の「マタギ」です。彼らにとって、クマやカモシカは「山の神様からの授かりもの」。獲物を得た際は、毛皮から胆嚢に至るまで余すところなく利用し、感謝を捧げる厳格な文化を持っていました。

近年「捕獲鳥獣の約9割が廃棄されている」という現実が問題視されていますが、マタギの文化に触れると、命を「廃棄」する現代の状況こそが、日本古来の価値観から見れば「異常」だったことに気づかされます。

ジビエブームとは、フランス貴族の食文化を輸入しただけではなく、私たちが忘れかけていた「命を余さずいただく」という、古くて新しい価値観を再発見する旅でもあるのです。


なぜ"今"ブームになったのか—3つの欲求の交差点

シェフの情熱と国の政策で、安全で美味しいジビエが流通する「土壌」は整いました。しかし、それがなぜ"今"、これほどのブームになったのでしょうか。

実は、この新しい食材が、現代を生きる私たちが無意識に抱える「3つの欲求」のど真ん中に、完璧な形で着地したからです。

健康な「カラダ」への欲求

「人生100年時代」。私たちはかつてないほど、健康で良質なタンパク質を求めています。

ジビエ、特に鹿肉は、その理想的な答えでした。鹿肉は和牛サーロインと比べて驚くべき「高タンパク・低脂質・低カロリー」。100gあたりのカロリーは147kcal(和牛317kcal)、タンパク質22.3g(和牛17.5g)、脂質5.2g(和牛25.8g)。さらに鉄分は3.4mgと豊富です。

これは「罪悪感なく、美味しい赤身肉を食べたい」という、私たちのわがままな願いを叶える「奇跡の赤身肉」だったのです。

倫理的な「ココロ」への欲求

私たちは「SDGs」や「エシカル消費」という言葉を日常的に耳にするようになりました。背景には「どうせ食べるなら、地球や社会にとって少しでも"良い"ことをしたい」という良心の高まりがあります。

ここで、あの「捕獲鳥獣の9割が廃棄」という事実が効いてきます。

シカやイノシシは、農作物を守るためにいずれにせよ捕獲されます。その「奪わなければならない命」を単に廃棄するのではなく、私たちが「美味しくいただく」ことで、その命を「価値」に変える。

ミシュラン「グリーンスター」を獲得した「ラチュレ」の室田拓人シェフは指摘します。「シカが増えすぎると山の木を食べ、森が荒れ、それが海の環境悪化にもつながる」。適切に捕獲しジビエとして食べることは、森を守り、巡り巡って海をも守るサステナブルな活動そのものなのです。

地域との「つながり」への欲求

都市に住む私たちが無意識に渇望しているもの。それが「地域とのリアルなつながり」です。

ジビエは100%国産で「地域性の塊」のような食材です。農作物被害という「地域の課題」を、ジビエという「地域の魅力」に変える取り組みは、そのまま地方創生のストーリーとなります。

岩手県大槌町では、ジビエの解体体験や狩猟同行ツアーを通じて命を学ぶ「大槌ジビエツーリズム」が生まれています。長野県や岐阜県でも、ハンターと交流するジビエBBQなど、その土地の自然と文化に触れる観光コンテンツが人気を集めています。

私たちがジビエを食べることは、その食材が育った地域の「物語」を丸ごと消費し、そのコミュニティを応援することにも繋がっているのです。

ジビエブームは、単なる食の流行ではありません。「健康(カラダ)」「倫理(ココロ)」「地域(つながり)」という、現代の私たちが最も大切にする3つの価値観が、奇跡的に交差した点に咲いた、必然の花だったのです。


おわりに

今、あなたの目の前のメニューに「鹿肉のロースト」の文字があったなら、それはもう単なる「珍しい肉料理」には見えないはずです。

その一皿には、「臭み」という神話を技術で乗り越えた処理施設の静かな営みがあり、「これは廃棄物ではない、食材だ」と声を上げた料理人の情熱があり、「信頼」を制度化することで食卓と山間地を繋いだ国のシステムがあり、そして「廃棄」されていた命を「いただく」ことで森と海の循環を守ろうとする、私たちの新しい価値観が息づいています。

ジビエの物語は、「害獣」という深刻な問題を、人間の知恵と工夫、そして「もったいない」を「美味しい」に変えるポジティブな連鎖で解決しようとする、壮大な社会実験です。

かつては「厄介者」としてただ捨てられていた命。私たちは今、その命を「ご馳走」として、尊厳をもって「いただく」方法をやっと手に入れました。

そう考えると、目の前の一皿が、そして私たちが生きるこの世界が、ほんの少しだけ面白く、そして愛おしく感じられませんか。

参考

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-偏愛が気づかせる、私たちの見えていなかった世界-

なぜだか目が離せない。
偏った愛とその持ち主は、不思議な引力を持つものです。
“偏”に対して真っ直ぐに、“愛”を注ぐからこそ持ち得た独自の眼差し。
そんな偏愛者の主観に満ちたピントから覗かれる世界には、
ウィットに富んだ思いがけない驚きが広がります。
なんだかわからず面白い。「そういうことか」とピンとくる。

偏愛のミカタ PinTo Times